2015年2月2日(月) 高橋克也 第11回公判(仮谷事件) 

証人 井上嘉浩

 

<検察側 主尋問>

 

あなたは平成7年2月28日に起きた仮谷さん事件に関与しましたね。

「はい」

 

事件に関与したいきさつは。

「平成7年2月26日の夜、東信徒庁長官のI田E子さんから電話がありました。「出家するはずだったN科さんが急にいなくなった。探すから手伝ってくれないか」と言われ「今行けません」と断りました。CHSの部下であるH田、M本を貸してくれないかというので、とりあえず行くことについては了解し、平田、M本はI田のところへ行ったはずです」

 

証人から行くように話した?

「はい」

 

N科さんのことを知っていた?

「東信徒庁の熱心な信徒で、I田さんが担当していると。私自身は面識はありませんでした」

 

翌2月27日は何をしていた?

「昼間、高橋克也さんと一緒にCHSの在家信徒とファミレスで会って信徒対応をしていました」

 

在家信徒とは?

「企業に勤める信徒さんです」

 

目的は。

「産業スパイ活動のためです」

 

まず何があった?

「I田さんと中村昇さんから交互に電話がかかってきました。「今目黒駅にいる。N科さんを探している。来てくれないか」という主旨でした。はじめは即答しませんでしたが、何度も電話がかかってくるので行くことは了解しました。夕方になって高橋さん運転のマスターエースで目黒駅に向かいました」

 

マスターエースはどんな車ですか?

「ワゴン車で、2列目がツーシートで3列目が3人掛けになっており、2列目が180度回転するようになっています。2列目と3列目が列車の椅子のように向かい合わせになるものです」

 

そして?

「目黒駅に着くと、I田さん、K原さん、中村昇さんがいました。I田さんと中村さんがマスターエースに入ってきました」

 

車内の位置関係は?

「運転席に高橋さん。2列目の助手席側に私。私はいつもここに座っていました。2列目の運転席側に一人、その後ろにもう一人座っていました」

 

座席はどうなっていた?

「向かい合って座れるようにセットしました」

 

そして?

「2人から話を聞かされました。N科さんは出家するはずだった。急に不自然な形でいなくなった。目黒公証役場の土地建物をお布施するはずだったがお兄さんのものだったので、もめていたらしい。日中にK原さんが公証役場へ行ったら兄と名乗る人が出てきて「N科はいない」と不自然な対応をされた。尾行したが銀行へ行ったり、喫茶店に入っても何も注文せず電話だけして出てきたりしていた。そのあとヤクザと思われるようなボディーガードのような人を連れて出てきたとのことでした。

N科さんは財産目当てで殺されているかもしれない。監禁されているかもしれない。拉致して聞き出した方がいいんじゃないか?と二人が言っていました」

 

証人が言ったのではない?

「それは違います。私が拉致を提案するような指示はしていない」

 

何故そう言える?

「おばあちゃんだったN科さんを出家させようとしたこと自体に無理がある。自分の意思で教団から離れたのではないか?と思った。お布施が何億という額になることから二人の焦りを感じました。彼らの状況判断には疑問を感じました」

 

そして?

「怪しいかもしれないけどもうちょっと様子を見た方がいい、と言いました。まずは部下に見張らせては?と」

 

その後中村昇とどんな会話をしたか。

「中村「もうあまり時間がないんじゃないか?おじいさんだし簡単にできるよ」

私「待った方がいい」

中村「侵入して手がかりがつかめないか?」

私「麻原の指示が出なくてはできない」

中村「まあ、ちょっと見ていってよ」

と言われ、公証役場の2階のN科さんの自宅を見に行くことになりました」

 

公証役場の2階を見に行っている時、高橋被告はどこにいた?

「ワゴン車の中で待っておられたという記憶です」

 

その後どうなった?

「目黒駅でI田さんと別れ、中村昇さんを青山道場まで送って別れました」

 

どの車で?

「マスターエースです」

 

運転は誰が?

「高橋克也さんです」

 

その後?

「1月27日の深夜、上九の第2サティアンの3階で信徒対応の会議に参加しました」

 

参加者はどれくらい?

「30名ほどです」

 

そこでどのようなことが?

「I田さんが中村昇さんを連れて麻原のそばにいました。I田さんが「N科さんの居場所が分かりません」とか、「目黒駅で…」とか、「中村さんと相談したんですが、N科さんの居場所を探すためにお兄さんを拉致することもある(?)」と話していた。

麻原は「お前がたるんでるからこんなことになるんだ。そんなに悪業を積んでいるならポアするしかないんじゃないか?」と言いました」

 

ポアするとは誰を?

「お兄さんのことだと思いました」

 

「その時、その場にいた新実さんが「シーッ」と合図を送ってきた。この場所にはポア=他者の命を奪うことと知らないサマナがいたが、麻原は目が不自由なのでなんとかしろ、という合図だと思いました。「そんなこといわれても」と思ったら、その時村井が麻原に何か耳打ちした。麻原は「この件はほかしておこうか」と言って、ポアという言葉をごまかすようにして部屋に戻っていきました」

 

その後?

「第2サティアン3階の麻原の部屋に行きました。その場には少なくとも村井さん、I田さん、中村昇さんはいました」

 

何を話した?

「麻原「中村、どう思うか?」

中村「拉致するしかないんじゃないでしょうか」

麻原「お前とIがやれ」と指示しました」

 

何をやれという意味だと?

「仮谷さんを上九に連行してN科さんの居場所を聞き出すという意味だと思いました」

 

Iさんというのは?

「名古屋支部にいた新人サマナで、武道ができるということで中村さんがひっぱってきました」

 

その後どんな会話?

「中村さんに「ボディーガード役がいますがそれについてはどうしますか?」と聞かれた。麻原は村井さんと相談し、当時教団で開発した小型レーザー銃があったので、平田信さんにレーザー銃を使った目くらましをさせることになりました。

麻原が「じゃあ中村これでいけるな?」と言い、中村さんが「手伝いはどうしますか?」と聞くと、麻原は「CHSの連中に手伝ってもらうしかないんじゃないか?なあ井上」と言いました」

 

手伝うとはどういうことだと思った?

「車の調達や現場でのサポートを私がやれという指示だと受け止めました」

 

その後?

「私と中村さんが「医師はどうしましょうか?中川さんに手伝ってもらってもいいでしょうか」と聞くと、麻原は「中川しかいないんじゃないか」と」

 

なぜ医師が必要だと?

「過去にもそういうことがありました。平成5年12月、中村昇さんが在家信徒のおばあさんにお布施をさせようと娘さんの協力で麻酔で眠らせて上九へ連れて行った。平成6年1月と3月には私自身も同じようなことをやりました。平成6年の12月にはI田E子さんが同じようなことをやり、CHSのメンバーが手伝った。教団の医師が同行して麻酔を打って医療管理をしながら上九に連れて行ったので、同じ流れだと思いました」

 

他には何か話をした?

「この場面ではこれくらいです」

 

N科さんの居場所を聞き出す方法については?

「具体的な言葉としては出てきていません」

 

証人自身はその方法についてはどう考えた?

「ナルコを使用するとは当時の状況として考えていた。平成5年の12月、東京本部長をしていた時、部下のサマナを2人使って中川さんが麻酔で眠らせて本音を聞き出すスパイチェックをした。省庁制発足後、ナルコ、バルドーのイニシエーションを体系づけて確立させた方法です」

 

ナルコとバルドーのイニシエーションの違いは?

「方法はまったく同じ。麻酔を打ち眠らせます。覚めるのを待って半覚醒状態の意識レベルにし、意識はないが会話ができる状態、これがナルコの状態。これでスパイチェックをする。これに修行のデータを入れたり(?)マインドコントロールをかけると、バルドーのイニシエーションと呼ぶ場合が多かったです」

 

証人はどうしてこの話合いの状況で、ナルコをすることになるだろうと思った?

「麻原が仮谷さんの拉致を指示したのは、N科さんを監禁しているかもしれないから。でも仮谷さんが自発的に話してくれる判断はなかった。教団ではそういうときにはナルコを使うからそう思いました」

 

下向したサマナに対してナルコを指示したこと?

「麻原の近くの女性サマナを探すために、関係のあった男性サマナを、下向していたけど私が説得して連れてきて、林郁夫さんがナルコをして聞き出したが知らないと分かった、ということがありました」

 

N科さんを探そうとしている理由について。

「一つには、武力革命の兵器開発で毎月2億円を使っていた。資金が必要だった。N科さんが出家すれば2億円以上が入ってくるのでそれを得たいと。もう一つは出家しようとしていたが居なくなってしまったので、何とか探さなくてはと」

 

その後?

「部屋を出たあと中村昇さんが平田信さんを呼び出し、指示をしました」

 

どのような?

「N科さんがいなくなった。お兄さんに監禁されているらしい。尾行したがボディーガードがいた。レーザー銃を使って目くらませ役をしてほしいと」

 

そして?

「レーザー銃はバッテリー充電が必要なので、終わり次第、東京に来て合流することになりました」

 

その後どうなりましたか。

「2月28日の朝、上九から東京へ向かいました。グリーンコーポでI田E子さんと会い、午前7時ごろ今川の家に戻りました」

 

誰と一緒でしたか?

「少なくとも中村昇さんは一緒でした」

 

今川に着いて何があった?

「しばらくすると中川さんが医療用のキャリーバッグを持って来ました。VXの時と同じものです。私と中村昇さんと中川さんでこたつの部屋で仮谷さんをどこで拉致するか相談しました」

 

どのような話?

「仮谷さんの自宅は亀戸道場に近いので、平田信さんがすぐ合流できるのなら自宅前で拉致するのがいいんじゃないか?と。でもすぐ来ないとしたら、昼から夕方になうようなら公証役場の方でやる方がいいんじゃないかと」

 

なぜ亀戸では難しい?

「住民の反対運動があり、自分達の姿を見られている。長時間待機しなくてはいけないとすると難しいだろうと」

 

他には何を話した?

「中村さんが「Iさんが間に合わないかもしれないので高橋克也さんを貸してくれないか。柔道ができるし」と言いました」

 

柔道ができる?

「私の運転手を始める前、一般のサマナに柔道を教えるサマナの一人が高橋さんでした」

 

その後どうした?

「私はH田さん、高橋克也さんに指示をしています。N科さんを助けなければならないこと。お兄さんを拉致して居場所を聞き出すということです。

H田さんに運転手を頼んだら、「今日はワークがある」とか「東信徒庁のワークなのになんでCHSがやらなきゃいけないのか」と文句を言っていました。

高橋さんに「今日は中村さんを手伝ってほしい」と言い、M本さんにはワゴン車の運転手をするように指示をしました」

 

何のために拉致をするのかという話はした?

「この場面ではあらためて二人に説明した状況ではありません。27日の夕方、目黒駅のワゴン車の中でI田さん、高橋さんには話していたので」

 

その後?

「午前10時ごろ、平田信さんから電話がありました。東京に来たと。私たちも出発し合流し、公証役場に午前12時ごろに着きました」

 

移動手段は?

「レンタカーのワゴン車のデリカと、ギャランの2台です」

 

その後?

「K原さんがIさんを連れてきました」

 

その時現場にいたのは?

「私、中村昇さん、中川さん、H田さん、平田信さん、高橋克也さん、Iさん、M本さんです」

 

「中村さんが「中に突っ込んで行ってやればいいんじゃないか?」と言いました」

 

ワゴン車内にいたのは?

「中川さん、運転手のM本さん、Iさん、高橋さんはいました」

 

中に突っ込んで行ってとはどういう意味?

「私が理解したのは、中に入って拉致したらいいんじゃないかという意味だと思いました。中、つまり公証役場ということです」

 

それに対して?

「私が「レーザー使えるか分からないし」と反対しました。

そこでレーザーを実験し、使いものにならないことが分かり、車に戻って報告しました」

 

その時車内にいたのは?

「私、中村さん、中川さん、高橋さん、Iさん、M本さんがいました」

 

「中村さんが「高橋さんもIさんもいるから、中に突っ込んで行ってやればいいんじゃないか」と。私が「中の様子は未知数だし、関係ない人を巻き込みたくない」と。

ちょうど八百屋が開店して、車を八百屋の前に停めてやることはできないということになりました」

 

「仮谷さんがもし3人でやってきたら実行はしない。1人もしくは2人だったら状況を見て中村さんができそうならやろうということになりました」

 

誰が話をした?

「主に私と中村さんが話し、他のメンバーは聞いている状況です」

 

仮谷さんが歩いてくるルートについて話した?

「中村さんが前日に見ていたので、目黒駅方面に行くだろうと。T字路に差し掛かったとき進路をふさいで押し込む方法を取ろうということになりました」

 

その後?

「段取りと役割分担を確認しました。麻原の指示により、中村さん、Iさんが実行役。中川さんは薬で眠らせる。高橋さんは中村さんのリクエストで実行役。M本さんはワゴン車の運転役です。

私がメンバーに確認していきました。他のメンバーにも聞こえるように。すみやかに拉致するためには他のメンバーの役割を理解していなくては連動できないと思ったからです」

 

具体的にどのように指示した?

「実行役3人は、仮谷さんをワゴン車に押し込む。中川さんは、仮谷さんを暴れないように薬を打って眠らせること。M本さんはワゴン車で進路をふさぐ。3人が乗り込んだら現場を速やかに離脱すること。私はギャランで見ている。前後の様子をチェックして目撃者がいそうなら無線で中止の連絡をすると。

H田さんはギャランかワゴンかどちらかで(?)、ワゴン車の中に引き込む役割と説明しました。平田信さんにはギャランの運転手をしてほしいと」

 

そして?

「その後、配置に着きました」

 

証人はどこにいた?

「私はギャランに待機していました」

 

実行役3人は?

「ギャランの後部座席で待機していました」

 

3人は何か会話していた?

「仮谷さんをどのように拉致するか、左右に並んで追いかけるのか、前後になって追いかけるか、隊列について話していた記憶があります」

 

その後何があった?

「3人が車内にいたか外にいた時かはっきりしないが、中村さんが「仮谷さんかもしれない」と追いかけていきました。目黒駅まで行っても何もなかったので中村さんが戻ってきて、話を聞きました」

 

その時被告は車に乗っていた?

「乗っていたかどうか記憶がありません」

 

人違いだった?

「声をかけたが見向きもされなかったと。中川さんが「大丈夫か」と注意し、私も「本当に大丈夫か」と言いました」

 

「その後、対向車線でミニパトが駐車違反の車のレッカー移動をし始め、お蕎麦屋さんも不審そうにこちらを見ていた。この場所で見張りを続けるのはあまりにも危険だと思い、見張り場所を見てくる、なければ今日はここでやるのはやめようと言って無線機を持って外に出ました」

 

何時ごろ?

「午後4時半になっていない頃だと思います」

 

その後?

「周辺のビルに上がっていたところ、無線が混線し「OK」の声が聞こえました。戻ると、T字路の角に中村さんのスキー帽が落ちていた。ワゴン車はなくギャランが残っていたので乗り込みました」

 

どう思った?

「拉致がうまくいったんだなと思いました」

 

ギャランには誰が?

「平田信さんだけでした」

 

その後?

「環八沿いのファミレスの並んでいる駐車場で合流することに決めて向っていたら、I田E子さんから電話がかかってきました。「N科さんから電話があった。出家をやめにしたい。居場所は分からない」とのことでした」

 

どう返事した?

「強い口調で「今さらそんなこと言われたって遅い。拉致はもう行われた。麻原に今後どうしたらいいのか確認してください」と言いました」

 

その後?

「世田谷道場へ行って仮谷さんを連れていくためのワゴン車を受け取って、合流場所へ行きました」

 

誰と?

「平田信さんとです」

 

どうなった?

「乗り換えたワゴン車が同じ色のデリカだった。中村さんや中川さんから「こんなの使えないよ」と言われ、毛布を取ってきてほしいとも言われて、私と中村さんと平田信さんで世田谷道場へ行きました。

世田谷で毛布は確保したが車がなかった。I田さんから「青山道場に警察から電話があった。会えないか?」と電話がかかってきて、会おうとしたが会えなかった。会うと巻き込んでしまうと思い、中村さんと話し合って会わないことにしました。麻原の意向を確認してもらったが、特になかった。どうしようか相談し、ヴァジラヤーナの原則としては麻原から新しい指示がなければその通りにやることになっていたので上九に連行することにしました」

 

車はどうした?

「CHSに警察にマークされていない車があったので、平田信さんと取りに行きました」

 

車種は?

「マークⅡです」

 

そして?

「合流場所に戻りました。「何で勝手にやったんだ」とH田さんに文句を言いました。目撃者がいないかどうか確認して無線指示するはずだったのにやっちゃって、目撃者が出て警察から連絡が来たので、自分の部下だったので思わず愚痴りました」

 

その後?

「午後10時ごろ芦花公園に着き、仮谷さんをワゴンからマークⅡに乗せ替えました」

 

仮谷さんの様子を見た?

「チラッとだけ見ました」

 

誰が仮谷さんを上九に連れて行った?

「中川さん、中村さん、Iさんが行くことになっていたが、中川さんが「Iが動揺している」と言うので、高橋さんに替わってもらい運転を指示しました。

中村さんよりも献身的なH田さんの方がいいと要望があったので、中村さんとH田さんを入れ替えました」

 

マークⅡに乗ったメンバーは。

「運転が高橋さん、医療役に中川さん、あとH田さんです」

 

移動経路は(?)。

「東名を使って向かっているはずです」

 

上九に行かなかったメンバーはどうした?

「ギャラン、デリカの指紋や血を拭き取る作業をし、レンタカーを返却しました」

 

その後?

「今川近くのファミレスで食事をしました。2月28日の23時過ぎまでです。

私はその後中村さんとIさんを杉並道場に送り届け、月末だったのでCHSの在家信徒をまわってお布施を受け取って、上九に行くことにしました」

 

何故上九に行くことに?

「お布施を渡すのと、CHSの報告、あとは仮谷さんの確認のためです。

中村さんも杉並にいたので拾って今川へ行き、M本さんの運転するマスターエースに乗って3月1日の午前0時30分ごろ、上九に出発しました」

 

そして?

「中央高速の八王子インターから大雪が降りだし、時間がかかり、上九に着いたのは午前3時ごろです」

 

上九に着いてからは?

「麻原は教団の○○に行っていると言われました。そこで第2サティアン1階の中川さんの所に行きました」

 

なぜ行った?

「拉致は済んだが新しい指示があったのではと思った。あとは高橋さんとH田さんが上九に行きっぱなしだったので放っておけないので」

 

第2サティアンに行ってどうなった?

「中村さんと1階のリビングに入ると、林郁夫さん、中川さんがいました。

林郁夫さんが「N科さんの居場所は分からない。これ以上ナルコをやってもしょうがないんじゃないか」と言ってきたので、「私にそんなことを言われても分からない。麻原の指示をお伺いした方がいいんじゃないか」と言いました。

中川さんが中村さんに「村井からの指示で、麻原が中村さんに、仮谷さんにナルコをして居場所を聞き出すようにと言われている」と。中村さんが「自分はそんなに知らない。I田さんにしてもらった方がいいんじゃないか」と言いました」

 

そしてどうなった?

「私と中村さんが東京に戻って麻原にお伺いを立てることになりました。出発前に中川さんから依頼されて仮谷さんの所持品をチェックしました」

 

証人自身が仮谷さんにナルコをした?

「していません」

 

仮谷さんの姿を見た?

「見ていません」

 

仮谷さんがどこにいるか分かった?

「この部屋にいるよとは教えられています」

 

どこですか?

「リビングに入って左の部屋。中川さんか林郁夫さんに教えられました」

 

<図面で説明する>

 

「H田さんと高橋さんがリビングの奥の部屋で寝ていたのを見ましたが、起こすまでもないと思って声はかけまぜんでした」

 

「午前3時半過ぎ、M本さんの運転するマスターエースに私と中村昇さんが乗って、中央高速を使って東京に向かいました。

午前5時ごろ、八王子あたりで大雪による通行止めになりました。携帯で上九に電話をし、麻原は戻っていないか確認しましたが、戻っていないとのことでした。調布インターチェンジから高速に乗り、午前8時半ごろ都内に近づきました。携帯で上九に数回連続して電話し麻原の警備担当者に居場所を確認してもらったところ、麻原が上九方面にいる、上九に戻っているか、向かっていることが分かりました。

その直後に中川さんから電話があり、「I君を上九に連れてきてほしい」とのことでした」

 

中川からの指示?

「中川さんの判断というより、麻原・村井の指示なんだろうと理解しました」

 

どう思った?

「麻原は上九方面にいる。一刻も早くIさんを連れて行かなくてはと思いました」

 

そして?

「中央高速の高井戸インターチェンジを降り、杉並道場に行こうとしましたが、甲州街道で大雪のため車が進まなくなった。早稲田通り沿いの杉並道場まで自分達が行くよりも、Iさんにこちらの方に来てもらった方が時間が半分で済むと思い、午前9時前後に携帯から杉並区の今川の家にいたCHSの林武さんの携帯電話に電話をかけました。「杉並道場でIさんを拾って環八沿いのファミレスの駐車場にきてほしい」と言いました。

さらに私の携帯で杉並道場に電話し、中村さんからIさんに「杉並で待っておくように。林が行くから」と言ってもらいました。Iさんと林さんは面識がないので交互に連絡をしました」

 

そして?

「京王線明大前の開かずの踏切にひっかかり、午前10時半ごろ合流場所に到着しました。11時ごろに二人がやってきました。M本さんとIさんに運転を交替してもらいました」

 

M本さんはどうした?

「林さんに今川に連れて帰ってもらいました」

 

そして?

「Iさんの運転するマスターエースで、私と中村昇さんが乗って、東名高速で上九に向かいました」

 

上九には何時ごろ着いた?

「14時か14時半に着きました」

 

上九についてどこへ?

「第2サティアンの1階です。Iさんをワゴン車に残し、私と中村さんがリビングに入りました。

中川さんが「村井から、仮谷さんをIさんにポアさせろと言われた。でももう仮谷さんは亡くなってしまった。言わずにIに首を締めさせる。終わったら地下の焼却炉で焼却する」と」

 

その時いたのは?

「ここまでは中村昇さんがいましたが、Iさんを呼びに行ったと思います」

 

そして?

「私は中川さんが事情を打ち明けてくれるのを待って沈黙しました。中川さんが「Iさんにポアさせろと指示されたので、どうせポアさせるんだから薬物の効果を確かめてみようと思った。点滴してみたところ、急に光り出して亡くなってしまった。指示はIさんによるポアだから、危なくなれば…(※書き取れず)、光りだされたからポアした」と」

 

ポアとは?

「宗教用語で肉体から…(説明)」

 

光り出した?

「魂が抜けるときに体が光りだす。亡くなっていかれるカラーを目の前で見ていたと理解しました」

 

その後?

「中村さんがIさんを連れてきました。中川さんと中村さんが「ポアするように」と。仮谷さんのいる部屋に、Iさん、中川さん、私、中村さん、H田さん、高橋克也さんが入ってIさんが首をしめました」

 

それぞれどの位置にいたのか。

「H田さんは頭の方にいた。中川さんは脈をとるふりをしていた。他のメンバ-についてははっきりしません」

 

その後?

「地下焼却炉に遺体を運びました」

 

その時のメンバーは?

「先程部屋に入ったのと同じメンバーですが、H田さんがいたかは明確な記憶がありません」

 

その後?

「誰が焼却に立ち会うべきか、第6サティアンの1階の麻原の部屋に私、中村さん、中川さんで聞きに行きました」

 

そして?

「私は麻原に集めてきたお布施を渡しました。麻原は「なんで無理してやったんだ。警察が動いでいるじゃないか」と。「焼却はお前たちでやるしかないんじゃないか」と言っていました」

 

中川の話は麻原にはした?

「中川さんから「このことは言わんといてくれ」と言われたので、麻原には言いませんでした」

 

焼却は誰がした?

「中川さん、中村さん、Iさん、高橋克也さんです」

 

証人は?

「CHSに戻れと言われたので、高橋さんに焼却を手伝うように指示をしました」

 

焼却はどのように?

「第2サティアンの地下との間のパネルが2階構造になっており、マイクロ波発生装置が…(書き取れず)、金属のパイプで網目状のドラム缶につながっています。仮谷さんの体を折り曲げるような形で入れます」

 

焼却後のことに関わった?

「それは関わっていません」

 

焼却はいつ頃終わった?

「仮谷さんの事件が起きたのが火曜日で、日曜日頃までには少なくとも終わっていたという記憶です」

 

その後、仮谷さんの事件のことで被告と何か会話しましたか?

「はい」

 

いつ?

「3月上旬です」

 

どのような?

「高橋さんが、「お父さんと仮谷さんがダブった。非常につらかった。なんでこんなことになったんだ」、と、初めて不満をぶつけられました」

 

どう思った?

「私としては高橋さんがこれをきっかけに疑念を持って下向するのではないかと。そうすればポアの指示をされることは間違いないので高橋さんをなだめた記憶は残っています」

 

死因に関する中川さんの発言を初めて法廷で証言したのはいつ?

「昨年の平田信さんの法廷です」

 

取り調べでは?

「高橋さんが逮捕された時に話しています」

 

それまでは話していない?

「平成7年、仮谷さん事件で逮捕された時、弁護人にそのまま伝えていましたが、アドバイスとして「直接見ていないんだから本当のことは分からない。殺人共謀と思われたらどうする。自分の言動が罪にとられるので話すな」と言われ、私自身の判断で捜査官には話しませんでした」

 

その後話したのは何故?

「きっかけは、私の二審判決前に仮谷実さんが接見に来て下さって、死亡原因を何でもいいから話してくれないかと言われたことです。その時、弁護方針を守りたいのもあったし、中川さんが本当のことを話すべきと思って何も話せませんでした。

その後、二審判決が無期懲役から死刑にかわり、仮谷さん事件での罪状が逮捕監禁から逮捕監禁致死になりました。この段階で話すと、死刑回避のため中川さんに罪をなすりつけると思われると思い、お話しできませんでした。

その後、死刑囚となり、毎日罪や死刑という刑罰を見つめる中で、仮谷さんは自分の命がどのように奪われたのかということすら家族に伝えられないという現状が胸に重くのしかかり、仮谷実さんが接見しに来た時に話せなかった自分が情けない、悔しいという思いでぐちゃぐちゃになりました。

中川さんの最高裁判決が近いというニュースを聞き、死刑囚となれば近い人としか会えなくなる。確定したら仮谷さんが中川さんに直接確認する機会が失われるかもしれない。私がどのように思われても構わないと思い、両親から弁護人の了解を得て、2011年の夏、お盆前に両親を通して仮谷実さんにお手紙を出しました。

お話しできなかったことは、突き詰めれば、仮谷さんやご家族の方々よりも自分を大切に守ろうと思っていたからに他ならず、誠に慚愧の念に堪えません。本当に申し訳ありませんでした」

 

<検察側主尋問 終了>