青いサンタさん 発見 最終章
サンタさんが噴水の公園と大きな公園に入ったときだけ一瞬ですが
見えます。ただし、入ってしまうと消えてしまいます
なんとか会える方法がないか、なにか仕組みがあるはずだと思い
いろいろ試行しました。
そして12時から1時の間には確実にあえることがわかったのですが
その時間は行列ができて、公園には待ちができてしまいます
ついでに
- マイケル・ジャクソン THIS IS IT(特製ブックレット付き) [Blu-ray]/マイケル・ジャクソン
- ¥4,980
- Amazon.co.jp
土地に同化する
食は民族の元、
某国の方々は、海外旅行先、駐在先で、その国の料理や食事
は、ほとんどとらず、もっぱら自国の料理をとる傾向が強いらしい
日本人はわりとこだわらないらしい
食によってidentityの確認をし、自己の存在をアピールする彼ら、
一方同化しようとすることでアピールする日本人
ともに異郷の地で、居場所を確保続けようとする行動パタン
生物学的に見た場合
前者は、派手さで外敵から身を守るタイプ、
後者は擬態、わからないようにその身を変化させるタイプ
いずれにせよ
どちらがその地で長く生き伸び続けていけるか・・・適者生存
アジア、アフリカ、中南米とグローバルに活動せざるを得なくなって
きた昨今、その行動の元に食の在り方姿勢が大きく重なって
いることが、おもしろい
追記)
某国は自国の料理に固執するといのは、某国に関する本に
記載される、ステロタイプな回答であると思う
奮戦記おじさん 再就職後
わたしのアメーバブログのきっかけ、
奮戦記おじさん 再就職されてから 元気なく、エアロ活動
もほどほどだったのですが、(膝を悪くされてようでした)
退職直前は、エアロ命という感じだったのですが、
最近、休日出勤までされて、今度は仕事に励まれて
いらっしょるようです。
やはり、日常は仕事がメイン、趣味はエッセンス程度と
いうのが心身ともにベストなんでしょうね
頭がさがる思いです
追記)あなたのせいです、最近かなりの時間を、ここに
とられています、ほどほどにします、師匠
日焼けコンテスト
どなたかのピグのマイプロフィールの「ちょっと自慢できること」
という欄に
「くろんぼ大会2位」という記載がありました
見たとたん、
あったよねーこれ、夏休みの終わりころに、日焼けを競う、健康
コンテスト、だいたい元々地黒いのが優勝してましたが・・・
この言葉で、忘却の彼方にあった小学生のときの夏休みが、
よみがえる(言葉の威力)
これを自慢できることに記載しようとするセンス、さらに優勝
でなく、2位という微妙な順位(優勝できなくてちょっと悔しいけど、
優勝って言ったってただ黒いってだけだし・・・で2位ていう)まで記載
するお笑い感覚に、すっぽり、はまり、
「くろんぼはあかんやろー」
「亜米利加大統領は今や黒人でっせ」
「せめて黒人大会にしとかんと」
て、つっこみたくなってしまい、
本当にメールでつっこんでしまったら、
「じゃ、黒人大会に書き直すか、あの記載、消せばいいんですね」
って怒られてしまいました
平謝りでした、ほんと、ごめんなさい
んー
すべての人に、「やきそば やきやき」は通じない
追記)
- コパトーン トロピカルローション ハワイ 120ml/エスエスエルヘルスケアジャパン
- ¥1,575
- Amazon.co.jp
とあるリゾートのカフェ
とある南の島ののカフェ
木立の下に日よけの傘にテーブルと大きめの椅子を
配置したオープンテラス
名前はcafe batu gimbar(カフェ バトゥ ジンバール)
(名前聞いて、わかる方にはわかってしまいます
隠してもむだなので、はい、そうです バリ島です)
(Sanur - Bali - Indonesia)
このカフェ
街がかわり、
オーナが代わり、
その立地場所が変わり、
建物がかわり、
内装がかわり、
提供される飲食のコンセプトがかわり、
働いている人が 変わっても、
変わってないものがひとつだけある
休暇にここを訪れるお客さん
ほぼ恒例
毎年同じ顔と出あう
各国から
お互いの無事と家族の繁栄を喜び確認し合う場所
この店の変遷は、この島の観光の歴史を凝縮している
華人が営業するような食堂(rumha makan)や小さな店(toko)
以外、とりたてて何もなかった通りに西欧風のオープンテラス
のカフェが、出現、
80-90年代カフェと呼べるのはたぶんここだけ、
ホームシックなお客が集ったのも無理ないことである
90年代、巨大ホテルの進出(Nusa-dua)により、この街は、
一時期寂れる、それでも、この店は、集うお客に支えられ
いまなおいきつづけ、10年来、20年来の贔屓客でにぎわう
のである
カフェは、やはり人が集い、語らう場所、
参考)
現在この島の収入の3分の2が観光でなりたち、国家の大きな
財源ともなっている
この島の観光の歴史は大きく4つの波がある(持論)
ヨーロッパの植民主義と自然回帰指向による1930年代の
観光ブーム(特権階級のみ)これが第一の波
その第一陣の人たちによってもたらされた情報に反応した
芸術家たちが訪れ、長期滞在し、サロンとして集った1950-60年代
これが第2の波
(このときの文化がいま芸能とされているものの源流となっている)
そして国際空港の開港によって、訪れたのがヒッピーとサーファーたち
これが70年代で第3の波
(サーファーってリゾートの先達である。かれらは波を求めて
どんな辺鄙なとこにもでかけていく、滞在費用が安ければ多少
の生活の不便は厭わないようだ)
そしてこの第3の波以降にマスツーリズムとして
一般大衆が訪れる1980-90年代、90年代には世界的なホテル
の資本が投入され国際観光リゾートして成立する
これが第4の波
そして他の南洋リゾートのモデルケースとして成長し現在に
至っている
アメーバピグの森を徘徊する外国人
ピグの森の中はボーダレス、国境と時差を乗り越えて
色んな国の、いろんな世代の人との出会いがある、
(ここにも可能性、単なるチャットでない、ジャパンスマートと評される
「可愛さ」がある)
当初、日本に住んでいる方々と思っていたのだが、話をすると
どうもそうでない、
更に、日本行ったこともないという方もいらっしゃる
(それでも、日本語辞書搭載のPCだったりします)
日本語使用のピグの森(かってにこの仮想世界を森と呼んでます)
で、結構楽しんでいらっしゃるようです。
やはり、「可愛さ」が魅力のようです
出会って、情報交換したり、自分の国や相手の国の話をしたり
ちょっとした考えたのやりとりもあったり、・・・・・・・・
安宿での、旅人同志のような気軽さと、親近感があったりします。
私には、衰えつつある語学の練習場となっています。
これまであった方の祖国
韓国
ウクライナ
インドネシア
クウェート
フランス
ポーランド
スペイン
フィリピン
カザフスタン
(なんか怪しい日本人もいたような)
カフェー 一考 お気に入り
街路に面して、テーブルや椅子が置かれ、かつ店内にも
カウンターやテーブル席がある、紅茶やコーヒー、軽食な
んかとれる場所のことを、
今、圧倒的にカフェと呼んでる
圧倒的といったのは、ほんの数年前までは、カフェという
呼び名が主流ではなかったから・・・・
カフェでイメージするのがパリのシャンゼリゼ通り、
これは老いも若きもそんなにイメージに格差はない
もひとつが大正モダンから昭和初期のカフェ、
いわゆる「カフェの女給」のあのカフェである
最近喫茶店という言葉が消えて カフェが復活している
そう、少し前までは喫茶店と呼んでいた
上記の大正から昭和初期にかけての、あのカフェは
いかがわしい場所というマイナスイメージがつき、
純粋にコーヒー等を提供する場は喫茶店と名乗り、
そこにもいかがわしいのや、傍流がでてくると
純喫茶とまで名乗るようになった
そうした変遷を経て、また喫茶ができる場をカフェと
呼ぶようになった
今度のカフェが、いかがわしいことをしたとき、
なんて名乗るようになるんだろうか・・・・・
お気に入りのカフェ、カフェ文化、どう展開し、どう
根づいていくんだろうか
追記)カフェバーなんてのも一時期あったような
また、ネットカフェというのが隆盛した時期もあった、
こちらは、いかがわしくなりそうなときに、ネットカフェ
ならぬ、ノットカフェ(自分はカフェじゃないですよー
)と自らカフェであることを否定して、カフェを傷つけ
ぬよう身を引いていった(あるいは引かされた感がる)
次回は、お気に入りのカフェを紹介します
(takezousan の行くカフェなんて参考にならないなんて
言われても投稿します)