武田信玄は、京都への西上作戦途上、帰らぬ人となったんさ“さきちゃん” | (続)さきちゃんの独り言

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さき太郎ちゃん愛称千葉県房総半島内房の袖ケ浦市鎌倉街道蔵波の牧場犬さきちゃんでーす。北海道から沖縄まで大好き、袖ケ浦市の観光、お店、御食事処、農産物紹介の ポータルサイトの“そでなび”ホームページ運営の取り締まられ役会長ちゃんワンのさきちゃんでーす。

 さきちゃんでーす。大好きな義経様のワンご家来様のさき太郎様のDNAを受け継いじゃっている、木更津市のお隣の袖ケ浦市(大きなケさ)の大好きな頼朝ちゃんの鎌倉街道蔵波で、毎日美味しいものにはお目目がない、スイーツに目がテンの、あるときはワンワン、都合により、ワンコちゃんのおサキワンコちゃん、愛称さきちゃんでーす。“そでなび”ホームページの取り締まられ役ワンコのさきちゃんでーす。


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 こちら千葉県房総半島内房の袖ケ浦のお天気は、まあさ、朝から、お空は、まあまあの雲で覆われちゃっているさ、・・午前のおやつ頃からは、チョコの小雨もさ、・・そんで、午後のおやつ頃には、小雨が、止んじゃったものの、・・いつまた、雨が降るか判んないお天気さ、一日中鬱陶しいお天気さ、今日もは風ないさ、穏やかさ、・・そんで、今朝の室温は、17度と、チョコ寒いんさ、・・日中も、お陽様は見られなく、風もないんだけんどさ、・・寒くはないんだけんどさ、温かくも無いさ、まあまあ過ごしやすいお天気さ。

 そういえば今日は、大好きな武田信玄が、お亡くなりになられちゃった日さ、1573年のことさ、451年前のことさ、・・つい昨日のことのようさ、・・51歳の若さだったさ、・・若すぎさ、・・大好きな曙は、54歳の若ささ、・・若すぎさ、・・不死身と思っていたのにさ・・、可哀想さ、残念さ・・、・・そんで、大好きな武田信玄と言っちゃったら、・・大好きな戦国大名の、大好きな甲斐武田家第19代ご当主様さ、・・そんで、大好きな武田信玄は、大好きな信濃の国を平定しちゃった後は、大好きな京都に上る西上作戦さ、・・そんで、その進路に立ちはだかるのは、大好きな徳川家康、織田信長さ、・・そんで、1573年のことさ、・・大好きな京都へ向かう、西上作戦の途上のことさ、・・大好きな尾張の織田信長と、同盟している、大好きな三河の家康の領地に、・・大好きな武田信玄は、大軍を率いちゃって攻めて来ちゃったんさ、・・そんで、大好きな静岡県浜松市での、三方ヶ原の戦さ、・・大好きな武田軍は、ここまで優勢に戦を進めて来ちゃったさ、・・劣勢の大好きな家康は、恐怖のあまり、大好きな小豆餅(あずきもち)の食い逃げ、お洩らししながら、・・大好きな浜松城へ逃げ帰りさ、・・結果的には、お命拾いさ・・、・・大好きな信玄の方は、・・この戦いには、圧倒的に勝っちゃっていたものの、・・体調不良が、更に悪化しちゃったさ、・・そんで、仕方なく、大好きな信濃への帰還中、大好きな長野県の阿智村駒場(あちむらこまば)の、大好きな長岳寺(ちょうがくじ)で、病没されちゃったんさ、残念な事さ・・、・・大好きな信玄辞世の句さ、・・大抵 還他肌骨好 不塗紅粉 自風流・・、そんで、訳さ・・、・・大ていは地に任せて肌骨好し紅粉を塗らず自ら風流・・、・・おおよそ此の世を生きるには、世の中の流れに身を任せるべきなのだ、見せ掛けで生きてはいけない・・、・・さきちゃんには難しくてさ・・、・・ちんぷんかっぷん・・、・・そんで、大好きな信玄は、大好きな長野県下伊那郡阿智村駒場で、極秘のうちに火葬されちゃったさ、・・そんで、3年後に、大好きな山梨県甲州市塩山(えんざん)の恵林寺(えりんじ)で葬礼を行い、埋葬されちゃったさ、・・そんで、大好きな信玄の死を、公にしちゃったら、・・大好きな武田家は、・・存続できないかもさ・・、・・早速、大好きな上杉謙信が、襲ってくるかもさ、・・そんなんで、大好きな信玄の死を秘匿しちゃったさ、・・そんなんで、秘匿の3年もの間、葬られておられたのが、大好きな甲府市岩窪町(いわくぼちょう)の、大好きな武田信玄公墓所さ、・・ここは大好きな信玄の居城の躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)跡の南東1kmのところさ、・・現在は、・・大好きな住宅団地の中の公園の一角にある墓地さ・・、・・そんで、大好きな躑躅ヶ崎館の、北東20kmのところにある、大好きな山梨県甲州市の恵林寺(えりんじ)には、・・大好きな信玄公の墓所があるんさ、・・大好きな恵林寺は、・・その後9年後の1582年に、・・大好きな織田軍の焼き討ちにあったんさ、・・このときのことさ、・・大好きな快川(かいせん)和尚が、燃え盛る三門の上で、・・心頭を滅却すれば火も自ら涼し・・、とおっしゃられちゃって、焼死されちゃったんさ、・・大好きな信玄亡き後、この9年間で、・・大好きな強国の甲斐武田家も、没落の一途だったさ、・・1575年の事さ、最初は有利に戦っていた、大好きな愛知県新城市長篠((しんしろしながしの)での長篠の戦いで、大好きな織田信長・徳川家康の連合軍に破れちゃったんさ、・・その後は、没落の一途だったさ、そんで、・・1582年の山梨県甲州市大和町の天目山(てんもくざん)の戦いでも負けて、大好きな武田勝頼は、妻子とともに、やむなくご自害さ、大好きな甲斐武田氏は滅亡しちゃったんさ、・・残念さ、・・山梨県甲州市大和町田野の大好きな景徳院(けいとくいん)を訪れると、・・涙が出るさ、・・思うだけで涙さ、・・もし、たら、れば、なら、いふさ、・・大好きな武田信玄が、・・早期に、ガンの手術がなされ、直ったならば、・・日本のおへその大好きな諏訪湖のほとりは、・・日本の中心のはずさ、大好きな諏訪都さ、・・大好きな恵林寺は、大好きな諏訪中央宮さ・・、大好きな新幹線も、大好きな国際空港も出来たはずさ、・・大好きな信玄は、大好きな諏訪姫をこよなく愛しちゃっておられ、大好きな諏訪湖もこよなく愛しちゃって居られたんさ・・、・・そんで、・・大好きな恵林寺さ、・・その後、大好きな恵林寺は、大好きな徳川家康によって、再建されちゃったさ、・・その後、大好きな江戸幕府の将軍徳川綱吉の側用人で、大好きな甲府城の城主となられちゃった、大好きな柳沢吉保の墓所もあるんさ、・・大好きな信玄のお墓は、大好きな恵林寺の境内の一角に、眠っておられるんさ、立派なお墓さ、・・最近は、・・通常は公開しないみたいさ・・、・・大好きな恵林寺には、大好きな武田信玄公宝物館も設置さ、・・絶対、何度も訪れたくなる大好きなお寺様さ、・・そんで、大好きな甲府のお土産は、可愛く、綺麗すぎる、大好きな武田菱家紋入り、ビニール風呂敷入りの、大好きな桔梗信玄餅(ききょうしんげんもち)さ、・・大好きなきなこ、黒蜜をこぼさないよう、・・容器に残さないよう・・、・・ペロッと容器を舐めちゃって・・、・・お上品に食べたいさ・・。

 

 

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■袖ケ浦市、君津市の理容
  ⇒ アノンのホームページ