仕事(お金)、本、コーヒー、酒、音楽、自然(木)、これがその六つ。

平山の朝食は缶コーヒー。木造アパートを出たところに自動販売機があり、平山は毎朝缶コーヒーを買って停めてある小さなバンに乗る。たぶんBOSSだったと思う。

映画comの記事を読んではじめてこの映画が「the tokyo toilet project」から始まっていると知った。このプロジェクトで渋谷区の17か所のトイレを世界的な建築家やクリエイターが改修したそうだ。それらの公共トイレを舞台にトイレの清掃員として働く平山(役所広司)の日常が描かれている。

平山は無口だ。映画が始まって五分の一くらいは一人暮らしの平山が目覚めてからのルーティン、黙々と働く平山の映像が続く。会話はない。その後同僚やすれ違う人々と交わす言葉も最小限。

大きなドラマはないが、心に沁みてくるものがある。

目覚めた平山は部屋のテーブルに並べた小さな鉢植えたちにひとつひとつ霧吹きで霧をかける。この小さな木々は平山が公園などでもらってきたものらしい。働き場所のトイレの一つの近くにある神社の一本の木。どうも平山の友達らしき木があるのだが、その根元に生えた小さい苗木を掘って手製の紙の袋に入れていた。そのとき通りかかった神主に許可を求めるようにちょっと頭を下げる。神主はうなずくだけ。ことばはない。でもそのやり取りはけっして冷たいものではない。

木も小さな苗も、人も、それぞれありのままでそれぞれ存在が許されている、そんな感じだ。

夜寝る前に平山は古書店で買ってきた文庫本を読む。幸田文、フォークナー。平山はインテリっぽい。でも古書店の女主人が「幸田文ってもっと読まれてもいいですよね」とか話しかけても返事はしない。応答はないが、けっして冷淡なわけではない。彼女も気にしていない。淡々としたものが通い合っている。

平山は語り合わない。まして自分語りなどしない。ただそこに居て、目の前のことをひとつひとつていねいに行う。それを観ているだけでなぜか癒される不思議。

好きな場面は、河川敷で影踏みをするところ。

平山が唯一つながりを持ちそうな可能性を感じさせるスナックのママ(石川さゆり)の元夫(三浦友和)がやってきた。その後川の傍まで平山を追ってきた元夫は自分は癌で余命いくばくもないと打ち明けた。平山は元夫の出現に内心動揺しているようだったが、彼の話を穏やかに聴く。

その後平山の提案で二人は影踏みをして遊ぶのだ。初老の男二人がする影踏み。苦しそうな息、小さな笑い声。

平山の過去は明らかでない。姪のニコが家出して平山のアパートに転がり込んきた。その母である平山の妹がニコを迎えにきたときに少し判明するが、詳しくは語られないのだ。平山のひっそりとした暮らしのようすからももしかしたら以前犯罪に巻き込まれたのかなというような印象を受ける。平山の妹は運転手付きの車でやって来た。話しぶりからも裕福な教養ある女性のようだ。平山は人生のどこかの時点で今までとは別の世界へ転落したのだ。

でも平山は人間の生活に必要なものはみな持っている。

音楽と本、コーヒーと酒と木と仕事だ。