再び高まる中央アジア地域の地勢学的重要性の認識 ① | 中央アジア・中央ユーラシア往還

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 「露・ウクライナ戦争」の長期化のもと、ロシアとの政治的距離感を拡大させている中央アジア諸国に対して、その地勢学的存在の重要性を再認識して、政治・経済的関与を一段と拡大させようとしている関係大国の動きがより顕著になってきている。

 

因みに、前回の中央アジアの地勢学的存在感の高まりは、局面は異なるが9・11事件(2001年9月)後のアウガにスタンにおける対テロ作戦実施のために、隣接の中央アジア3か国に西側同盟国の空軍基地がおかれた時期にあたる。とくに、キルギスのマナス空港を拡大するかたちで2001年12月に駐留を開始した米軍は、2009年6月に名称を「マナス中継輸送センター」と変えたが、2014年7月まで駐留を続けた後に撤退している。

 

 さて、「一帯一路」構想を見直しつつある中国は、改めてその最重要地域である中央アジア諸国の取り込みを強化すべく、初めての対面による「中国+中央アジア」サミット(2023年5月の「西安会議」)を開催している。同サミットでは中国のリーダーシップに基づく経済協力の強化を中心とする15項目にわたる「西安宣言」が採択されている。

 

  一方、2023年9月の国連総会に合わせて、ニューヨークで初の「米国+中央アジア」サミットが開催された。2015年に発足した「米国+中央アジア」対話枠組みは、国務大臣・外務大臣レベルで運営されてきたが、中央アジア地域に対する、「露・ウクライナ戦争」の長期化に伴うロシアの影響力の後退と中国の取り込み姿勢の強化等の動きを見て、急遽これを首脳会議に格上げしたものと考えることが出来る。

 

 これに続き、同年9月には、これも初めての「ドイツ+中央アジア」対面首脳会議がベルリンで開催された。EU加盟国が単独で対中央アジア首脳会議を開催するのは勿論初めてのことである。欧米諸国が中央アジアとの対話を強化する背景には、中央アジア域が欧米諸国の対露経済制裁の迂回ルートになっているため、経済制裁の効果が思ったほど挙がっていないことに対する懸念と焦りがあることが指摘されている。無論、旧西側としては、中央アジア・南コーカサス諸国が、元の権威主義的国家群に回帰することは絶対に防がねばならないということが大前提にある。

 

サミット前に開催された「ベルリングローバル対話」に参加したカザフスタン(現在すでにドイツに対する第4位の原油供給国)のトカエフ大統領は「カザフスタンはEUの対露経済制裁を支持する」として、ロシアと長い国境を持つカザフスタンとしても対露貿易制裁の迂回ルートになることは極力回避したいとの意向を示している。初の「ドイツ+中央アジア」サミットでは、中央アジア5か国のトップがドイツ大統領、同首相と会談し、経済協力、貿易、投資、物流に関する協力事項、気候変動に伴う環境問題、アフガン情勢とロシアのウクライナ侵攻の長期化の影響等幅広いテーマにつて討議、また、「ドイツ・東欧経済関係委員会」との会合では、水素エネルギ―の利用協力、レアーメタルの加工技術の交換、農業と水資源管理の近代化、輸送インフラの拡充、職業訓練の5分野に関する協力の推進が提起された。

 

 さらに「中央アジア+1」の形態とは異なるが、2023年7月にはサウジアラビアのジッダで、中央アジア5か国首脳と中東湾岸諸国首脳会議(GCC)メンバーによる初の地域間サミットが開催された(議長はサウジのムハンマド皇太子)。同会合では、改めて輌地域の地政学的連結性を強化することの重要性に関する討議が行われ、『2023~27年の両地域の戦略的対話と協力のための共同行動計画』が策定・承認された。

 

実は、こうした「中央アジア+1」スタイルの国際協力機構は日本が一早くスタートさせたものである。2004年の8月に当時の川口外務大臣が中央アジア4か国を訪問し、「中央アジア+日本」対話枠組み(ただし、外相レベル)を発足させている。中国の「環球時報」はすぐに「日本、中央アジアへの接近を図る」と1ページ全部を使った警戒感に満ちた論評を発表し、米国が2015年に「中央アジア+米国」外相会議スキームを立ち上げた時に、米国当局者に「この構想は実は日本の対話枠組みのコピーである」とまで言わしめたほどの影響力を持った。日本国内ではそれほど注目されなかったが、川口大臣室に単独で呼ばれこの枠組みの原案作りに最初に参画したものとしては、このような海外での反応・評価については国内に正しく伝え記録しておきたいとは思う。2023年9月に初の対面「中央アジア+米国」サミットが開かれた同じ日、同じ場所で日本の外務大臣が「中央アジア+日本」対話枠組みの首脳会議への格上げと2024年の早い時期での活動開始を表明したのは、やや出遅れ感はあるものの、ギリギリのタイミングで日本の対中央アジア外交の再強化の意向表明だったということになる。ただ上川発言は、外相レベルの対話枠組み結成では先行した日本が、その後の中央アジア外交では精彩を欠いてきたが、このところの米国の動きに触発されてようやくその重い腰を上げて「首脳サミット」に格上げしたという含意も窺える。

 

(②に続く)