生い立ち⑨~高校卒業まで・自分が行動すれば周りが変化する~ | 田中健一blog ~一期一会・プラスアルファの豊かさを~

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ほんの少しの心の持ちようで、
事態は大きく変えられる!!!



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みなさん、おはようございます!
田中 健一です。



私は、働く道と夢を追う道を選んで、

進学校を1年で退学し、働きながら通える

通信制の高校に転向しました。


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ただ、私の中では、

高校は3年間で卒業するものだ!

という考えが強かったため、

通信制の高校でも、授業を出来るだけ取り、

結果的には進学校1年・通信制2年の、

合計3年間で卒業することができました。



仕事と学校の両立は大変でしたが、

合計3年間で卒業するという目標への意識が強かったため、

なんとか乗り越えることが出来たと思います。



卒業までの間も色々とありました。



特に、家族のことはかなり深刻な状況で、

実際、辛くて涙した日々もありました。






でも、自分に出来ることは、

一生懸命働いて、少しでもお金を稼いだり、

自立した姿を家族に見せることだけ
でしたから、

それを精一杯やりました。



17歳くらいの頃までは、

家族がこうなった原因を作った父親を憎んでいたし、

いなくなればいいのに・・・」と、毎日思っていました。



しかし、姉が大学に進学したとき、

私に宛てて書いてくれた手紙の中に、

こんな言葉が書いてありました。



  父親がいなくなればそれで済む。
  確かにそうかもしれない。
  でも、わたしはそれは本当の解決じゃないと思う。




そのときは、その言葉を素直に受け取ることができませんでした。

しかし、時間が流れれば流れるほど、

だんだん、自分自身の気持ちに変化が現れていきました。



思い出すのは、悩みもなかった、

みんなが仲が良かった、幼少期の頃のこと。



私は、どちらかというと、

母親より、父親のほうが好きでした



いつも家にいるわけではなかったので、

その分、優しくしてくれたのが嬉しかったのでしょう。



そんなことを思い出すと、

心の底から憎み切ることは出来なくなっていった



いつからこんな風になってしまったのだろう。

もう、あの頃のようには戻れないのだろうか。。。



  いや、完璧に修復することは無理でも、
  今の状況を変えることはできるはずだ!!!




そう考えるようになったわたしは、

顔を合わせるのも嫌だった父親と、

一緒にいる時間を少しずつ長くしたり、

会話も少しずつ多くしたりと、


たったそれだけのことかもしれませんが、

出来ることを少しずつ努力していきました。




どれだけ続けたのか、もう覚えていませんが、

その努力が功を奏したのか、

家族の雰囲気も少しずつ良くなっていったと思います。



もちろん、母親と父親の溝だけは、

完全には埋まらないかもしれない。

でも、少しだけでも埋まっていけばいいと、

そんな思いで行動していたと思います。



少しの行動や、少しだけ考え方を変えるだけで、

大きく変えられるものがある
と、

若いながらに実感できた瞬間でした。






さて、高校を無事に卒業したはいいものの、

バンド活動等でお金は全く残っておらず、

夢の「上京」を果たすためには、

取り急ぎのお金を貯めなければいけませんでした。



そこで、地元の企業に就職します。



ここでの出会いと経験が、

仕事に対する今のわたしを作ってくれていると言っても

過言ではありません。



どのような出会いがあったのか。



それはまた次回をお楽しみに☆



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