「人に期待しない方がいい」
そんな言葉を聞くことがあります。
誰かに期待すると、その期待が裏切られたときに傷ついたり、イライラしたりする。
だったら、最初から期待しなければいい。
確かに、とても分かりやすい考え方ですよね。
実は僕自身も、若い頃はそう思っていました。
誰かに「こうしてほしい」「ああしてほしい」と望む。
でも、そのとおりにならない。
すると、がっかりしたり、腹が立ったりする。
だから、できるだけ人には期待しないようにしようと思っていたんです。
でも、年齢を重ねる中で、少しずつその感覚が変わってきました。
今回は、人に期待することについて、今の僕が感じていることを考えてみたいと思います。
期待しないことで、自分を守ろうとしていた
若い頃の僕は、人に期待することを、あまり良いことだと思っていませんでした。
期待すると、思いどおりにならないことが起こる。
そして、思いどおりにならないことで、自分が嫌な氣持ちになる。
だったら、最初から期待しなければいい。
そんなふうに考えていたんです。
今振り返ると、それは期待しないことで、自分を保とうとしていたんだと思います。
誰かに期待しなければ、期待を裏切られることもない。
そうすれば、傷ついたり、イライラしたりする機会も減る。
とてもシンプルな考え方ですよね。
そして、今でもその考え方が理解できないわけではありません。
むしろ、よく分かるんです。
僕自身、そういう時期を経験してきましたから。
でも、今の僕は、そのあり方に何となく違和感を持つようになりました。
人に期待できることは、悪いことなのだろうか?
そもそも、人に期待するというのは、どういうことなのでしょうか。
例えば、誰かに対して、
「この人なら、きっとできる」
「この人なら、きっとやってくれる」
そう思うことがありますよね。
僕は、こういう思いを持てること自体が、悪いことだとは思えないんです。
むしろ、誰かに対して「きっとできる」と思えることは、とても素敵なことなんじゃないでしょうか。
まだできていないことでも、この人ならできるようになるかもしれない。
今は難しいことでも、いつかできるようになるかもしれない。
そういう可能性を感じられる。
僕は、そんなふうに人と関われることに、豊かさを感じるんです。
反対に、誰に対しても期待しない。
この人ならきっとできる、と思うこともない。
そんな自分を想像すると、今の僕には、あまり豊かなあり方には感じられないんですよね。
もちろん、期待しないという選択が悪いと言いたいわけではありません。
ただ、期待しないことで自分を守るというあり方以外にも、人との関わり方があるんじゃないかなと思うんです。
期待することと、期待どおりになることは別
では、人に期待すると、なぜイライラするのでしょうか。
僕は、期待すること自体が問題なのではないように感じています。
大切なのは、期待どおりにならなかったときに、その現実をどう受け止めるのかということなんじゃないでしょうか。
例えば、誰かに「こうしてほしい」と期待したとします。
でも、相手はそのとおりにはしてくれなかった。
そのときに、
「どうしてやってくれないんだ」
「できると思っていたのに」
と感じることがあります。
でも、よく考えてみると、そもそも期待していたのはこちらの都合なんですよね。
相手が必ず期待に応えなければならないというわけではありません。
相手には、相手の事情があります。
今できることもあれば、できないこともあります。
そして、いつできるようになるのかも、分からないことがあります。
それなのに、自分が期待したからといって、そのとおりにならなかったことを問題にしてしまう。
そこに、何か考える余地があるように思うんです。
「できて当たり前」と「きっとできる」は違う
ここで、僕が特に大切だと感じていることがあります。
それは、「できて当たり前」と思うことと、「できるかどうか分からないけれど、きっとできる」と期待することは、違うんじゃないかということです。
例えば、誰かに仕事をお願いしたとします。
その人なら、当然できると思っている。
だから、その仕事を任せた。
これは、できて当たり前という前提で関わっている状態ですよね。
一方で、こんな場合もあります。
今のその人にできるかどうかは、分からない。
でも、僕はこの人ならきっとできると思っている。
だから、チャレンジしてほしい。
こちらは、少し違う感じがしませんか?
前者は、できることを前提にしています。
後者は、できるかどうか分からないことを前提にしています。
僕は、このふたつを同じ「期待」という言葉で扱ってしまうと、少し話がややこしくなるように思うんです。
できて当たり前だと思っていたことが、できなかったら?
例えば、できて当たり前だと思っていた仕事を、相手ができなかったとします。
そんなとき、どう考えるでしょうか。
「できると思っていたのに、どうしてできなかったんだ」
そう感じることもあるかもしれません。
でも、僕はそこで、少し違うことを考える必要があるように思うんです。
それは、できて当たり前だと思っていた自分自身のことです。
どれだけできると思っていても、現実にはできなくなることがありますよね。
体調が悪くなることもあります。
予想していなかった出来事が起こることもあります。
本人の能力とは別の理由で、できなくなることもあるはずです。
だとしたら、できなかったときにどうするのか。
そこまで考えておく必要があったんじゃないでしょうか。
つまり、できて当たり前だと思って任せたのであれば、できなかった場合への備えも、自分の側で考えておく必要があるように思うんです。
これは、相手に一切責任がないという話ではありません。
ただ、できることを前提にしていた自分にも、見直すべきところがあるんじゃないかということです。
「できると思っていたけれど、できないこともあるんだな」
「だったら、次はそういう場合にも対応できるようにしておこう」
そんなふうに考えることもできるはずですよね。
相手を責める前に、自分がどんな前提で関わっていたのかを見直してみる。
僕は、そこが大切なんじゃないかなと思っています。
できるかどうか分からないけれど、期待する
では、もうひとつの期待はどうでしょうか。
今のその人にできるかどうかは分からない。
でも、この人ならきっとできると思う。
だから、やってみてほしい。
僕は、こちらの方が、今の自分が感じている「期待」に近いように思うんです。
例えば、小さな子どもに対して、
「この子なら、きっと大丈夫だろう」
「今はできないけれど、いつかできるようになるだろう」
そんなふうに思うことがありますよね。
そのとき、今すぐできることを求めているわけではありません。
いつできるようになるのかも、分かりません。
それでも、この子ならきっとできる。
そう思える。
僕は、そういう関わり方に期待というものを感じるんです。
そして、その期待には、必ずしも今すぐ結果を出してもらう必要はありません。
できるかどうか分からない。
いつできるようになるかも分からない。
でも、きっとできると思っている。
そこには、できて当たり前という考え方とは違うものがあるように感じます。
期待どおりにならないことを受け入れられるか
僕は、人に期待すること自体には、良いも悪いもないように思っています。
ただ、その期待とどう関わるのかは、とても大切なんじゃないでしょうか。
期待する。
でも、期待どおりにならないこともある。
それを受け入れられるかどうか。
ここが、ひとつの大きな違いになるように思うんです。
例えば、誰かに期待していたことが実現しなかったとします。
そのとき、
「期待していたのに、どうしてできなかったんだ」
と思うのか。
それとも、
「今回はできなかったんだな」
「でも、これからどうなるかは分からないよね」
と思うのか。
そこには、随分違う関わり方があるように感じます。
もちろん、期待どおりにならなかったときに、残念に思うこともあるでしょう。
がっかりすることもあると思います。
でも、その残念な氣持ちを感じることと、相手を責めたり、期待したこと自体を否定したりすることは、別のことですよね。
期待どおりにならないこともある。
その現実を受け入れながら、それでも相手に期待できる。
そんな関わり方があってもいいんじゃないでしょうか。
期待しないことで、自分を守るという選択
ここまで考えてみると、若い頃の僕がしていたことも、少し違って見えてきます。
僕は、期待どおりにならないことを受け入れるのが難しかったから、最初から期待しないという選択をしていたのかもしれません。
期待しなければ、がっかりすることも減る。
イライラすることも減る。
だから、自分を守るために期待しない。
それはそれで、ひとつの方法だと思います。
実際に、その考え方によって楽になることもあるでしょう。
でも、今の僕は、その先にも違う関わり方があるように感じているんです。
期待しないことで、自分が傷つく可能性を減らす。
それだけではなく、期待どおりにならないことも受け入れながら、人と関わる。
そういうあり方も選べるんじゃないでしょうか。
僕は、そちらの方に何となく豊かさを感じています。
期待しないことは、相手との関わりを小さくすることなのかもしれない
ここで、もうひとつ考えていることがあります。
それは、期待しないことで自分を守ろうとするとき、相手との関わりそのものを、少し小さくしているのかもしれないということです。
もちろん、誰かに期待しないからといって、その人を大切にしていないとは限りません。
ただ、僕自身が若い頃にしていたように、期待どおりにならないことを受け入れたくないから期待しないという選択をするのであれば、どうでしょうか。
そのとき、自分が嫌な思いをしないことを、相手との関わりよりも優先しているのかもしれません。
相手がこれからどう変わっていくのか。
今はできないことが、いつかできるようになるのか。
そんな可能性に関わることよりも、自分が傷つかないことを大切にしている。
そう考えると、今の僕には、少しもったいないように感じられるんです。
もちろん、無理に誰かに期待する必要はありません。
でも、自分を守るために期待しないという選択だけが、人との関わり方ではないはずです。
人に期待することと、イライラすること
改めて、最初の問いに戻ってみます。
イライラしないために、人に期待しない方がいいのでしょうか。
僕は、必ずしもそうではないように思っています。
期待しないことで、イライラする機会を減らすことはできるかもしれません。
でも、それと同時に、誰かに対して「この人ならきっとできる」と思える機会も減ってしまうのかもしれません。
そして、期待することそのものよりも、期待どおりにならなかった現実をどう受け止めるのかということが、大切なんじゃないでしょうか。
できて当たり前だと思っていたことができなかったのであれば、自分の前提や備えを見直してみる。
できるかどうか分からない相手に期待していたのであれば、できなかったことも含めて、その人と関わっていく。
そんな違いを意識してみることもできると思うんです。
僕は今、人に期待しないことで自分を守るよりも、期待どおりにならないことを受け入れられる自分でいたいと思っています。
そして、誰かに対して、
「この人なら、きっとできる」
そう思える自分でいたいんです。
それが本当に豊かな関わり方なのかどうかは、まだ分かりません。
でも、少なくとも今の僕には、そういうあり方の方がしっくりくるんですよね。
イライラしないために、人に期待しない方がいいの?
それとも、期待どおりにならないことも受け入れながら、人に期待することはできるのでしょうか。
皆さんは、どう考えますか?
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僕は、人との関わりや日常の中にある「問い」を入り口に、対話や身体を通して、本質を感じ、考える活動をしています。
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