CT検査の後、6月に入って脊髄外科学会と私ともう一人の先生で始めた脳腫瘍の会で6年ぶりに発表したりしていくらか気分がまぎれました。特に脳腫瘍の会は若い先生方と懇親会でいろいろとお話しできて、とても楽しい夜を過ごすことができました。そして、6月最終運命の火曜日、Y教授受診はさすがに緊張しました。いつものように家内に同行してもらい8時に大学病院駐車場に到着してすぐ採血。外科の受付に持ってきたCD-ROMと検査所見を渡して、朝絶食なので院内のコンビニでカツサンドを買って外来棟内で朝食。そして待合で自分の番号が表示されるのを裁判官の判決を待つ容疑者の気持ちで待ちました。そして、意外に早く番号が表示されました。Y教授の診察室に夫婦で入ると白人の留学生が同席していて紹介されました。私は留学生の顔をよく見る余裕がありませんでしたが、家内はすごいイケメンだったと言っていました。そして、判決「無罪」を言い渡されました。教授によれば右肺の問題の場所は半年前のCTでも同じようにうつっており、古い炎症の跡かなんかで問題ないとのことでした。いつものことながらどうせ見てもわからないので自分ではあまりよく見てなかったのですが、結局左右を間違えて去年手術した左肺の手術の跡を今回の病巣と間違えていて、「去年の春に最初に見つかった時より大きいな」などと思っていました。

 

 要するに3回連続で別の病院や施設で造影CT検査をすることになってしまったため、前の写真が大学病院にしかないため余計な心配をすることになってしまいました。Y教授も「頭と胸ではCTの左右が反対なので見間違えられたのでしょう」とおしゃっていました。その時はなるほどと思いましたが、後で考えてみると確かに私や2つ下のY教授が医者になった頃は頭部CTと全身CTは左右が反対、すなわち頭部は断面を上から見た画像、全身(胸腹部)は断面を下から見た画像でした。しかし、数年後には頭部も下から見た画像に統一されましたので、教授も何と古いことを言っていたのだろうと思いました。まあ、私と反対に頭の写真を見られることはないのでしょうが。その後は6月初めに会った中学高校と同期だった女性が、2浪して医学部に入ってY教授と同級生だったこと、姓が中学高校時代と同じだけど実は結婚していて旦那さんと同じ場所で開業していることなどをお話ししました。余裕が出たので留学生に英語で話しかけてみればよかったのですが、私は英語は読んだり書いたりできるけど、古い英語教育の弊害で聞いたり話したりは苦手なのでやめときました。

 

 ということで、次の診察は3か月後で血液検査のみ、腫瘍マーカーの検査は最初から陰性でしたので実質的には半年後の造影CT検査まで無罪放免となりました。早速、お話をいただいていた、北関東県庁所在地の病院に常勤で9月から勤務する希望を伝え、現在所属する病院にも改めて8月末退職を告げました。6月末に脳神経モニタリング学会のため新潟へ行きました。もちろん家内も一緒です。6月3回目の発表は学会会長からシンポジウムでの講演を依頼されたものであり、珍しく座長もやりました。脳外科が中心となっているモニタリングの学会で、脳外科医でモニタリングを本当に専門にしている人は私を入れて数人しかいませんし、経頭蓋刺激運動誘発電位モニタリングという分野では、恥ずかしながら私が日本の第一人者であると自負していますので、たいへん充実した学会参加でした。夜は癌が発見され3回手術した時に在籍していた病院で最もたくさん脊髄手術を手伝ってもらった脳外科の先生夫妻と家内の4人で居酒屋へ行きました。私より半年後に赴任して、私が辞めたやはり半年後に辞めて私と同じ2年4か月その病院に在籍した先生ですが、何とその奥さんも大腸がんの手術をされて化学療法も1回だけやられたとのことでした。現在は再発もなくとてもお元気でいらして、やはり励まされました。家内も学会の間、奥さんに新潟の観光地へ車で連れて行ってもらい大変感謝していました。日帰りでしたが、いろんな意味で大変有意義な1日になりました。