(他人の関係)は金井克子の歌でした。

夫婦漫才は、実際の夫婦である必要はありません。

男女コンビの漫才=(夫婦漫才)の認識は昭和の時代で、今は男女コンビで実際の夫婦のコンビは少ないですよね〜。 

(南海キャンディーズ)(相席スタート)(パーパー)(にゃんこスター)(メイプル超合金)(ゆにばーす)(蛙亭)みんな夫婦じゃないですよね。

(正司敏江・玲児)(宮川大助・花子)まで遡らないと夫婦、元夫婦は見つからないか?

まあ、今の感覚からすると、(お笑い)を目指すコンビで夫婦関係は邪魔ですよね。

昔は男女コンビで夫婦じゃないと、不自然な雰囲気がありましたからね〜。

今回登場は、ミスワカサ・島ひろしのご両人です。


ミスワカサ
1921年(大正10年)京都産まれ
本名(今岡 鈴代)さんです。
父親がレコード店やダンス教室をしていた事で、幼少期から芸事に興味を持ちます。
小学校の頃から、雨の日に体育館で、(桂春団治)の落語を披露していたとの事ですから、早熟ですね〜。
ダンサーや歌手(岡輝子)でも活動していましたが、
1942年 (岡テル子)の芸名で、新芸演劇部所属になります。
1944年 (ミスワカサ)に改名。

島ひろし
1912年(大正元年)福島県産まれ
本名(三浦 定四郎)さんです。
俳優になりたくて、(島陽之助)一座に入ります。
(原章三郎)の芸名で舞台にあがりましたが、端役ばかりで芽が出ず、大阪に出ます。
吉本興業と契約してボーイズグループで活動したりしていた時に(岡テル子)が見初めて漫才の世界に転向。
9歳年下のワカサの弟子になり、コンビを結成します♥


1943年(昭和18年)コンビ結成!
岡テル子(22歳)・島ひろし(31歳)のコンビです。
戦後に宝塚新芸座の座員になり朝日放送ラジオ(漫才学校)で人気が出ます👏
あっ、遅くなりましたが、この二人が(他人の関係)です。ミスワカサは師匠ミスワカナ譲りの口八丁手八丁で、まくし立てるます、ひろしがいつもやり込められる役どころでした。

ワカサは師匠ミスワカナと違い、私生活は物静かな性格だったとの事、心臓に持病があったからかも知れません。
近眼で舞台を降りるとメガネをかけていたらしいですが、コンタクトが出て、舞台でコンタクトレンズで漫才した始めての芸人との記録があります。

ひろしの劇団員時代の殺陣を活かした(剣戟漫才)も阪東妻三郎ばりで人気を博しました。 

舞台では、華やかなミスワカサにおっとりした島ひろし。
同時期活躍したミヤコ蝶々・南都雄二よりも夫婦らしいコンビに見えますね〜。
昭和30年代は東宝・松竹の映画にも出演!

島ひろしには奥様がいて、ミスワカサは生涯独身でした。
1974年(昭和49年)ミスワカサさんが持病の心臓病で亡くなります。53歳。

島ひろしさんはワカサ死後、島キクコとコンビを組み神戸松竹座で再出発。
その後ミスウララ・木村栄子(三遊亭小円との夫婦漫才をしていて、小円が亡くなり、ひろしと組んだ)と角座の舞台に立ちました。
関西演芸協会の会長もつとめ76歳で亡くなります。

豪快に芸を極めて、夫婦漫才の先駆けだったミスワカナは打ち上げ花火の様な生涯でした、弟子のワカサは島ひろしという相方に恵まれ堅実な芸人人生を歩みました。

生涯独身だったミスワカサ(今岡)鈴代)さんに、聞いてみたい。(ひろしさんが、好きでした❓)


合掌