19年間ぶりに「猫」がいない生活になったこの約1カ月、もともと猫好きなのであのもふもふに触りたい衝動にかられる時がある。

近所の猫友さんがパセリとセージが使っていたペットバギーを貰ってくれるというのでお届けついでにニャンズに触らせてもらったり、今日もスーパーへ行く途中に人懐こい茶トラ猫さんが近付いてきてくれてなでさせてもらった。


やっぱり「猫」は可愛い。

でも「パセリ」と「セージ」じゃない。

私が触りたいのは「猫」じゃなくて
「パセリ」と「セージ」なのだなと確信する。



お恥ずかしい話、パセリを亡くして1カ月が経とうとしている今も、パセリの死を受け入れることができない。

受け入れたくない。

受け入れるのが怖い。

受け入れていない反面、私にたくさん愛をくれたパセリに私はどれだけ愛を返すことができただろうかと、毎日毎日疲れるほど泣いてしまう。

慣れない涙もあるのだと、そして、目の周りのヒリヒリが痛くてたまらなくて、悲しい涙は塩分が高いのだなぁと妙に事に納得している。


セージを亡くした時も、悲しくて悲しくて仕方なかったけど、彼がもういない事は今より早い段階で受け入れていたように思う。

死を受け入れてから、不思議だけどセージが心の中にいるような、とても近くに感じるような感覚になった。

死を受け入れる事は前に進む第一歩だと思う。

パセリの死を受け入れられていない今、パセリはどこにもいない。

だから余計に悲しいのかもしれない。

パセリとセージが高齢と呼ばれる年齢になってからの約10年間、若い頃ほったらかしてしまっていた分、この子らにとっての幸せは何か、何を望んでいるか、日々側にいるにはどうしたらいいかと、そればかり考えてきた。


無償の愛を教えてくれたこの子らに私も愛を返したかった。2人のために生きたかった。


失った悲しみと、これからどう生きたらいいかわからないのとでなんだか頭真っ白なんだけど、こんなんじゃパセリも行き場がなくて困っているかもしれない。


今の状態は、私にとってもパセリにとってもよくないなと思う。

頭ではわかっているけど、気持ちがついていかない。

違うか

心では理解しているけど、頭が働かない。

かな。



見ているのがつらくて、それに少しでも早く立ち直ろうとして、私は早い段階でパセリのものを少しずつ処分していた。

点滴パックは病院に返し、
18年くらい世話になった猫トイレも破棄した。

でも都度悲しくて、福岡へ引っ越す際に購入し通院にも利用していたペットバギーやご飯皿、ファーミネータ(ブラシ)、今日はこれなら食べてくれるかと悩みながら買ったご飯はなかなか捨てられない。

優しい猫友は、7年モノのペットバギーを快く譲り受けてくれると言ってくれた。

しばらくこのバギーは生き続けると思うと救われる思いだった。

とはいえ、コロコロで隅々までキレイにする作業は、パセリとセージの痕跡を消す作業であり、これはこれでかなり辛かった。

そのバギーの中に、パセリが亡くなる3日程前に寝たきりの彼女の枕代わりになればと買った小さなクッションが入っていた。

たった3日の付き合いだったので特に思い入れもなく、洗濯して何気なくバギーに入れたものだった。

そのクッションをバギーから出した時、ふわっとパセリのにおいがした。

洗濯したはずなのに、確かなパセリのにおい。

その時、いつも以上にわんわん泣いた。

先に進むためだからと私は急ぎ過ぎていたなと思った。

思い出のものを見るのは辛いけど、そこを乗り越える事は死を受け入れるのに必要な作業だったのかもしれない。




パセリとセージがいない生活に戻る。


パセリとセージの居なかった日常をあの頃の私はどんなふうに生きていたのか全然思い出せない。



20代前半、あの頃やろうとしていたけどパセリとセージと出逢ってやめた事はなんだったっけ。


そうだ、猫がたくさんいるマルタ島へ短期留学をしてみたかった。



ニャンズがうるさがるのでやらなかったけど、何か楽器の趣味が欲しかったし、引っ掻きや猫毛を気にせず日々家でも着物で生活してみたかった。


もう後ろ髪を引かれて出歩かなくていいんだし、久しぶりに旅行にも行くのもいいかもしれない。


そう。

少しずつやればいいんだよね。



でもなんでだろう。

パセリたちがいた時は憧れていたのに


今は全然興味がわかない。



猫のいない生活。
あの子達がいない生活に慣れるのはまだ少し時間がかかりそうだ。