ゴールデンウィーク 東京
ゴールデンウィーク中の東京の良いところ。
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それは日頃の街中にある世知辛い空気感がかなり弛緩しているということ。
一年の中でもこの時期の東京はけっこう好き。
よそへ遊びに行けないゴールデンウィークの時はこの街の空気を楽しむようにしている。
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![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140504/13/tanakadaihei-4th-oct/5e/a3/j/o0480064012929377766.jpg?caw=800)
広範なビジネス街を貫く第一京浜もこの通り。
ガ~~ラガラ。
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渋谷のような歓楽街は
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さすがに混んでいるが
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自動車の交通量が断然少ないためかずいぶん静かに感じのどかに思える。
………、やはりそうか。街の騒音の8割は自動車だ!
全ての自動車が電気自動車に代わったら、日頃喧騒な渋谷、新宿がとても静かな大都会になる。
確信したよ(笑)。
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再開発で忙しい渋谷駅前も今は槌音が止まっており周辺はさらに静かだ。
こんな風にいつもと違う目線で街を見ていると宝くじの看板が視野に入った。
自分にとっては珍しい。
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totoBIG買ったよ。
当たるかな………?
改憲しても、しなくても。
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今日は憲法記念日だ。
憲法について(主に九条)各ニュース番組が盛んに取り上げ、日本各地でもそれを変えるか否か議論討論が盛んだったようだ。
ブログでこの話しをするとドツボにハマりそうなのでなるべく短く切り上げたい(笑)。
皆さん考えるのは第九条を変えるか変えないか、だろう。
来る将来、どちらかに必ず決着する。
どっちにになっても変わらない真実があると僕は思っている。
それは
平和ボケはダメ。
ということ。
何年か前、憲法九条がらみのTV討論会を見た。
スタジオでそれに参加していた視聴者が
「何故、平和ボケがいけないの。ボケるくらい平和に暮らせるなんて最高じゃない。」
とおめでたいことをのたもうた。
僕がスタジオにいたらすぐに反論していたな(笑)。
どうして平和ボケがいけないのか。
それは平和ボケであることが巡り巡ってその平和を失うことに繋がってしまうからだ。
まず平和にボケると、必ず、人は平和であることの有り難みをその心の中から無くしてしまう。
ここの部分が一番重大だと僕は考える。
平和は脆く崩れやすく、決して平和はただではないのだ。
実際、現実社会では平和ボケからの気の緩みが原因でたくさんの事件事故が起きている。
わかりやすい例は、東京電力福島第一原発の事故だ。
“安全神話”というこれ以上ないゴージャスな平和ボケの結果起きてしまった人災だろう、おそらく。
国際社会の平和も全く同様。
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脆く崩れ易い平和を永く守るには全てが安穏としていてはいけない。
一部であってもそれを厳しく見守る緊張感が必ずいる。
それを忘れてはいけない。
そして今現在も僕たちが平和を享受するその裏側で緊張感を持ってそれを見守ってくれている存在があるということも絶対に忘れてはならない。
憲法九条がどうなろうと、このことに考えが及ばなければ望む平和は保たれない。