※去年連載していた「アオゾラペダル」の番外編です
side 翔
「えー、潤さんの誕生日って30日なんですかー!」
店のキッチンで、注文された料理を作っていたら、客席のほうから高めの可愛らしい声が聞こえた。
「お店で何か企画とかやらないんですか?」
「ははっ、やりませんよ。自分の誕生日の企画だなんて恥ずかしいし。」
「そうなんだ…何かお祝いしたいよねぇ。」
女性たちはそう言うと、わいわいと盛り上がりはじめた。お花とか貸し切りとか、そんなワードが飛び交う。
「お気持ちだけで。ありがとうございます。」
潤はそう言うと席から切り上げて、キッチンへ入ってきた。
「翔くん、デザート追加。ケーキだから俺出して持ってくね。」
「あぁ。」
そうか、誕生日だ。もう来週じゃん。
潤とはなんだかんだで10年以上一緒にいるけど、そういえば誕生日に何かをしたっていう記憶がないかもしれない。そもそもは幼なじみの友達だったし、恋人になったきっかけも…今では正直あまりよく憶えていない。
ただ、どんな関係であれ潤はいつも俺の側にいた。海の見えるこの街で、小さい頃からずっと。苦い記憶も、きっと二度と忘れないだなんて興奮したような記憶も、それらがいくつも重なっていけば、自然と、良いところだけを写したアルバム写真みたいに、それなりに整理されていった。
それくらい俺たちは一緒に居るから、だから言い訳をすれば、互いの誕生日なんてもう何回と過ぎていて、これから何回も一緒に迎えるのかと思うと、大事な日ではあるけれど、これと言って盛り上げようという雰囲気にはならなかった。
「じゃあせめて、お誕生日の日にプレゼントを持ってきますね!」
女性たちは、会計のとき潤にそう言って帰っていった。
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「誕生日…、」
「うん?」
「や…おまえ、来週誕生日じゃん。なんか、欲しいもんとか、あんの?」
ディナー営業を終えて一緒に家に帰ってきたあと、キッチンでつまみを用意しながら、隣に立っていた潤に聞いてみた。
どうしたのという目で、潤が俺を見る。
「あ、お客さんと話してたの聞こえた?」
「まぁ…、」
だから自分も焦ってさっそく聞いたとか、分かりやす過ぎて恥ずかしくなってくる。
「そうだなぁ…」
潤はにこにこしながら冷えたグラスにビールを注ぐと、ひとつを俺に渡した。
「さんきゅ。」
なんか、気持ちだけでいい…とか言いそうだな、潤は。そしたらちょっと高いウイスキーでも買って二人で飲めば…、
「指輪。」
翔くん、俺、指輪が欲しいな。
「…ん?へ、あ…指輪?」
「うん、そう。」
「…それは、どういう…?」
「デザインは翔くんに任せるよ。」
「ど…の指に、すんの?」
「それも翔くんに任せる。この指用だよって教えて?」
「…ペア…?」
任せる。
潤はやっぱりそう言った。
眠れない日々が続いた。
…というほどでもないけど。潤とは普通に仲が良いし、キスもセックスもしていた。でも、指輪の話はなんとなく話題にしてはいけない気がして、全て俺に任せると言った潤は、きっと俺を試しているんだろうと思った。
定休日、俺はひとりで指輪を買いに出掛けた。
人生で初めて足を踏み入れる、ハイブランドの直営店。店員さんの空気感にのまれて、緊張で吐きそうだ。
「ジュエリーをお探しですか?」
ショーケースを覗いていたら、背後から声を掛けられた。振り向くと、そこには黒いスーツを着た小柄で品の良い女性が立っていた。
「あの…ペアの、指輪を…」
「かしこまりました。」
女性はスッと白い手袋を嵌めると上着のポケットからキーを取り出し、ショーケースのガラスを開けた。
そして、ひととおりデザインのラインナップを説明すると、
「材質は全て、プラチナかゴールドでお選びになれます。」
と言った。
…どっちがいいんだ。
プラチナかゴールド。要は銀色か金色かってことだよな。そうだよなそれ以外に何がある?重さとか??
ショーケースを見ようともせずに、黙って固まった俺を察して、店員の女性は優しくアドバイスをしてくれる。
「お悩みになりますよね。肌の色が薄い方はプラチナが、少し色の濃い方にはゴールドがお似合いかと。」
なるほど…。じゃあ潤にはプラチナかな。
真っ白だもんな、あいつ。
「あと、お仕事や家事などで手元の作業が多い方には、プラチナをお勧めしております。ゴールドは柔らかい素材ですので、どうしても傷が付きやすいんです。」
潤、ずっと付けるのかな。
エプロン姿で店に立つ潤の薬指に、さらっと銀色のリングが光っているのを想像したら、その「無言の象徴」がとても色っぽく思えた。
贈る本人なのにな。
デザインを決めてサイズを聞かれたときに、ハッとした。…まるで見当もつかない。
一昨日抱いたときに握った、手の感触を思い出してみる。自分の両手の指を絡め合わせてギュッと握ってみた。
手の大きさは俺と同じくらいかな。じゃあ指のサイズも同じでいいかな。
自分の手のひらをじぃっと見つめていると、
「あ、お客様のサイズはお測りしますので大丈夫ですよ。お相手の方はええと…一般的に女性の薬指ですと…、」
と言いながら、女性の店員はリングがいくつも連なったキーホルダーのようなものを出してきた。
「贈りたいのは、男性なんです。だから僕の手とだいたい同じくらいだったかなぁと思って。」
と言うと、女性は少し間を空けて、
「大変失礼いたしました。」
と言いながら頭を下げた。
一流ブランドのお店の、クオリティの高い接客に、俺は更なる一石を投じたかもしれないなんて思った。
店員さんは、一般的な接客をしただけだ。そこを責めるつもりはない。後ろめたさとか嫌な思いもしない。そういう気持ちとは、とっくにケリをつけたんだ。
二人でこそこそと、関係を隠して生きていく方法だってあったはず。けれど俺たちは選ばなかった。本当に二人が一緒に生きていくためには、それじゃだめだと思ったからだ。
店を出て家に帰り着くまでのあいだ、俺は電車のなかで昔のことを色々と思い出していた。
脳内のアルバムに整えられていた場面たちが、すこしづつ息を吹き返す。
辛い記憶は、わりと辛いまま残っている。
泣いた記憶と泣かれた記憶は特に、思い出すと胸がつきんとした。
今思うと、もっと器用に生きればよかったなぁと思う。そして無性に、潤の香りを嗅ぎたくなった。
次はAM9時更新です。