今日も見えなかった…。
18:00頃
さてさて、気を取り直して…
以前、富士山に関連する平安時代の美術作品として、聖徳太子絵伝が富士山の描かれた最古の作品と紹介しました。
その聖徳太子絵伝ですが、紹介した平安時代に描かれたモノ以外に、中世(鎌倉~安土桃山の手前位)の作品が全部で40点程あるそうです。
そして、その全て(ほとんど全て?)に、富士山は描かれたそうです(^-^)v
今日はそれらを出来る限りご紹介しま~す(^-^)/
(1) 延久本 平安時代 1069年
これ、最古の富士山作品ね(^^)b
(2) 嘉元本 鎌倉時代 1305年
富士山って書いてなくても分かる(^-^)v
(4) 四天王寺本 鎌倉時代 1323年
こ、これ、富士山っすか(・_・?)
(5) 堂本家本 鎌倉時代 1324年
ケーキかと思った(*^.^*)
(10) 鶴林寺本 鎌倉時代 14世紀
もはや富士山ではない…(×_×)
(13) 旧川合家本 南北朝時代 14世紀
庭に富士山って…な、なぜだ(・・;)
(16) 叡福寺本 室町時代 15世紀
コメント差し控えます ┐(-。-)┌
(21) 橘寺本 室町時代 16世紀
イイんじゃないっすか(#^.^#)
以下、
名前・年代を僕が調べきれていないモノ
鶴林寺蔵 加古川市指定文化財
それっぽい~(^-^)/
四天王寺蔵?
堂本家本に激似(^_^;)
八合目太子館蔵
何か恐いけど上出来(o^-')b
正福寺蔵?
違和感無し(*^.^*)
と、まあ、
とんでもなく急峻な富士山が多いですが、聖徳太子が甲斐の黒駒と言う名馬でとんでもない山を飛び越えた!っていう場面設定なので、意図的かもね(#^.^#)
それと、
聖徳太子絵伝ってのは、太子の50年の生涯を伝えるモノなので、何幅かの板や掛軸にいくつもの出来事をこま切れに描いたんだけど、出来事を描く位置は、時代順、季節毎、発生地毎だったりするそうです。
が、しかし、ほとんどの絵伝で富士山は、順番を無視して一番上にあるそうです♪
これは、遠近法で考えると遠いものは上に描くから!と言う、つまらない理由と、
日本一、いや三国一の崇高な富士山を下に描く訳にはいかない!と言う、うれしい説があるそうですφ(..)
そして最後に、
太子と甲斐の黒駒が富士山に、右から登ってるのが8枚、左からが4枚ですね。で、40点ある絵伝の多くが、やはり右から登ってるそうです。
と言うことは、太子は奈良から富士山へ直行した物語なので、絵伝のほとんどは駿河の国ではなくて、甲斐の国から描かれてたって事です…。
駿河派の僕にはさみしい話ですが、黒駒が甲斐から献上された馬だからでは?という、気休め的な説もあるようなので、まぁ今日のところはヨシとしておきます(-_-#)
次回少し反論さてもらうつもりですけどね(-_-)
おしまい