今日で3年ですね。

震災関連死を含めると2万人を越える死者・行方不明者と、今なお不自由な生活を強いられている多くの被害者の方々…。

命を落とされた方のご冥福をお祈りします。

また、そのご家族の方、被害に会われた方には、少しでも心の傷が癒され、また平穏な時が訪れる事を願ってやみません。


3月11日は金曜日でしたね。

私は会社での会議中にあの揺れに襲われました。本社ビルと工場にそれなりの損壊はありましたが、従業員と訪問者に被害者がいないことを確認した後、帰宅手段の有る者は帰宅させ、手段の無い者には宿泊手配をした事を思い出します。その頃は、東北沿岸で何が起こっているかは知らないままに…。

幸い私の地方では、渋滞や信号機の停電などは有ったものの、道路の混乱は酷いものではなく、自動車通勤の私は夜7時には帰宅でき、自宅にも家族にも被害はありませんでした。


その1時間ほど後、ほとんど通じなかった携帯電話に海外から国際電話が入りました。翌週の月曜日から企画していた重要なイベントに海外から出席いただくお客さまから、「日本は大丈夫なのか? 我々は日本へ出張して良いのか?」と。

イベント責任者と相談の後、私がお客さまに伝えた回答は、「日本は大丈夫。イベント開催に影響を与えるほどの被害は無い。日本へ来てくれ。」でした。なんて無責任な回答をしてしまったかは、その後数時間のテレビ報道を見て直ぐに後悔しました。

しかし、私が再度連絡を入れる必要もなく、彼らは自主的に日本出張を中止にしました。

後で理由を聞くと、海外では数えられない程の日本人が津波に呑み込まれていく映像が幾度となく放映されていたそうです。

日本では、いくら混乱した状態とはいえ、人が呑み込まれる瞬間は放映されていなかったと思います。私には、日本国内のみ報道の自主規制があったのか、また何故海外メディアが悲惨な映像を入手出来るのかは分かりませんが、私が外国人と話をした限りでは、海外の報道の方が明らかに津波の恐ろしさを直接的に伝えていたようです。


ある程度、ある程度ですが、国内にも落ち着きを取り戻したと思われた頃、私は中止になったイベントを再度企画し、海外のお客さまへ来日頂けるよう連絡を入れました。しかし、先方からは「放射能の影響は何故無いと言えるのか? 家族が放射能汚染された日本に行くことを許さない。  会社が日本及び近隣諸国への渡航を禁止している。」との事で、イベントは直ぐには再開できませんでした。

その後、イベント会場と福島の直線距離を示したり、政府発表の被爆量を伝えたり、とうとう西日本での開催案や韓国開催案も検討したり、結局数ヶ月間はイベントを実施できませんでした。


長文になりましたが、私がこれらの出来事から言いたかった事は、日本は私が話した何処の国よりも衝撃の少ない報道を見て、何処の国よりも福島原発の影響を小さく評価していたのではないかと言うことです。

私は、あの時、日本全国が「ガンバロー日本!ガンバロー東北!」の合い言葉で団結した事と、計画停電をみんなで乗り切って「節電しても生活できるじゃん!」って気付いた事を、誇りに思っています。

あれから3年、あの団結と気付きがどう変化したのか、自分自身に問いかけたいと思います。

もし少しでもその気持ちが薄れているとしたら、もともと報道から受けた衝撃は事実より小さく、原発の影響を過少評価していたかもしれないのに、その上気持ちが薄れるなど、有ってはいけないことだと自分に言い聞かせようと思います。



いやぁ、
過去に例の無い長文になっちゃいました(^-^;

こんなに真面目にブログ書いたのも
初めてかも(^-^;

こんな長いの読んでくれた方、
ありがとうございま~す(^-^)/


おしまい。


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