みなさんは、ダークウェブというものをご存じだろうか…?
普段我々が利用しているWEBサイトはサーフェスウェブという、GoogleやYahoo!でアクセスしたら、誰でも見れるインターネットサイトだけです。
しかしこれらはWEBサイト全体の中でも、氷山の一角でしかありません。
実はWEBサイトは、ディープウェブと呼ばれる、普通にアクセスする事ができない、特定のパスワードを要求されるサイトが全体のほとんどを占めています。
ディープウェブでは、サーフェスウェブの500倍…、約5000億のページ数があると云われています。
そこでは主に、個人情報や政府や企業の資料が保存されています。
そしてそのディープウェブの中には、ダークウェブと呼ばれるサイトが一部含まれており、特定のネットワークからでしかアクセスできない領域があります。
ダークウェブでは、ドラッグの取引、人身売買、殺人の依頼、爆弾の製造法など、様々な違法なものが取引されているのです。
今回は、そのダークウェブにアクセスしてしまった事により、数奇な運命をたどる事になった、若い男女の物語をお話しよう。
2013年5月
東京都青梅市伸町の、とあるアパートの一室での会話。
インターネット闇サイト「ダーク・ナイト」を閲覧していたサブロウが呟いた。
「おい、サチ、これ見てみろよ…」
サブがサチコにそう言うと、手にしたスマホ画面を彼女へと見せた。
「何だいこれ…?」
スマホを覗くサチが、怪訝そうな表情で言う。
「これはいわゆる、ヤバイ仕事の依頼ばかり載っている闇サイトってやつさ」
サブがサチへ得意げに言う。
「ふぅ~ん…」
スマホ画面をしげしげと見つめるサチ。
「殺人、盗み、恐喝、暴行、オレオレ詐欺に大麻の運び屋…、いろいろあんだろぉ?」
サブは画面を見つめているサチにそう言うと、ふふふ…と笑った。
続けてサブは、サチに問いかける様に話し出した。
「これってさ、ヤバイ仕事いっぱい載ってるけど、そん中でもこの“誘拐”ってのが、やっぱ一番割が良さそうな感じだな?コスパ的にもよ…」
「サブ、あんたまさか、その依頼に乗るつもりなのかい?」
その問いかけに、少しだけ驚いたサチがサブに聞く。
「いや…乗らないよ…。てかさ…、これって自分たちで直接やった方が儲かるんじゃね?」
サブがニヤニヤしながら言った。
「自分たちって…、あたしとあんたで誘拐をかいッ!?」
「ああそうだ。俺とお前でやる!」
「あたしゃヤダよ!、パクられるのがオチさ!」
「だぁいじょ~~ぶだって!」
ニヤケ顔のサブが言う。
「何が大丈夫なのさッ!?」
安直な考えのサブに、サチは少しイラつく。
「俺に良い考えがあるんだよ…」
「あんた、ワル顔になってるよ!」
ニヤケ顔のサブに釣られて、サチもニヤケ出した。
「サブ…、なんで誘拐なんてしようと思うのさ…?」
突然、誘拐の話を持ち出すサブに、サチは不思議に思い言った。
「カネだよ!、今の俺たちにはカネが必要だからだ!」
サブが急に声を荒げる。
「カネ…?」とサチ。
「そうだカネだ!、俺たちみたいな学歴もねぇ、親もいねぇ孤児院出のやつらは、一生懸命働いたって、所詮手元に残るのは安月給さ!」
「そんなのバカバカしいじゃねぇか!、そう思わねぇかサチッ!?」
サチは、そう話すサブの事を黙って見つめていた。
「金持ちのやつらは脱税したり、弱者からピンハネしたりと、インチキばっかして稼いでるじゃねぇか!?」
「政治家だって教育者だって、会社の社長さんだって、みぃ~んな悪さして儲けてるぜッ!」
「そんなの不公平だ!、なんで俺たちばっか貧乏しなきゃならねぇ!」
「だったら俺たちだって、誘拐ぐらいしてカネ稼いだってバチなんか当たらねぇよ!」
サブが今の世の中に対しての不満を吐き捨てる様に言う。
「確かに、もっと政治家も、あたしたちみたいな人間の事も考えて欲しいよねぇ…」
サブの話に、サチも同調し、ふて気味に言った。
「とにかく政治家が悪いんだよッ!、国も悪いよなぁッ!、だから俺たちが不幸になるんだ!」
「こんな世の中じゃあ、真面目に働いてたら、返って損するぜッ!」
「じゃあ、あんた本気で誘拐をやるつもりなんだ?」
「ああ…、だけどそれにはオメェの協力が必要だ!」
力強くサブが言う。
「サブ…、さっき言ってた良い考えってなにさ?」
真剣な表情で言うサブに、サチも段々興味が湧いて来た。
「これを見ろよ」
そう言うとサブは、さっきとは別のサイトをサチに見せた。
「誘拐の手引き…!?」
スマホ画面を見たサチが、サイトの題名を見て言う。
「そうだ…、最近はこういう便利なものが、みんなネットで検索すればスグ出て来る」
「爆弾だって、毒ガスだって、拳銃だって、みんな作り方が丁寧に載ってるんだ」
そう話すサブの言葉を、黙って聞いているサチ。
そんなサチの顔を見たサブは、更に話を続ける。
「誘拐のマニュアルは、これを参考にして進めてみようと思ってる」
「誘拐するのは、子供の女が良い…、弱くて臆病だから声も出せないと、これには書いてある。確かにそうだと思う」
「そして、誘拐する子供に警戒されないで声をかけるのも女が良い!、つまりお前だサチ…」
そう言って、サチを指差すサブ。
「ふぅん…。誘拐したら、どこに拉致しとくんだい女の子は?」
「奥多摩湖の先に、今は使われてねぇ廃キャンプ場が残ってる」
「そこのバンガローなんかに、監禁しとくのが良いんじゃねぇかな?」
「あの辺はケータイの電波も入らねぇしな…」
「で、ターゲットは、誰にするんだい?」
「もう決めている!」
ギラリと目を光らせたサブが、笑顔で言った。
「あんた早いね、そういう事は…」
含み笑いでサチが言う。
「ふふ…、ホメ言葉として受け取っておくよ…」
そう言ったサブが声を荒げて言い出した。
「こいつだ!、安田ユキオだ!大金持ちだ!」
サブはそう言って、Googleの画像検索した安田ユキオの顔をサチに見せる。
「えッ!安田ユキオって、あの“ヤスダ珈琲”のチェーン展開でハデにやってる、あの安田ユキオの事かい?」
サチがサブに確認する。
「そうだ!、やつは来年には政界にも進出しようと考えてるって噂だ!」
「安田ユキオの豪邸は…、確か青梅市にあったわよね?」
思い出す様にサチがサブに言った。
「そうだ。東京都と言っても青梅市はド田舎さ。人通りも少ねぇし、誘拐する場所としては最高だ」
気分が段々とノッて来るサブ。
「だけど安田ユキオの子供なんて、車の送迎付きで学校に行ってるだろうから、誘拐なんて無理なんじゃないの?」
あくまで冷静なサチは、サブに淡々とした口調で話す。
「そう、確かに安田ユキオの息子や娘たちは、高級車で送迎されて学校に通っている。しかし…ッ!」
まるで独裁者のような身振り手振り、口振りでサブは熱く話し続ける。
「しかし…?」
サチが言う。
「しかし…、何故か一番下の、小学6年生の娘だけは、徒歩で学校に通っているんだ」
サブが複雑な表情で、サチに対して言う。
「ホントなのそれ?」
確認するサチ。
「ああ…、ちゃんと何ヶ月にも渡って下見して来たからな…」
ほぼ間違いないという感じで、サブはサチに言う。
「あんた、そんな前から誘拐を企んでたのかい!?」
サブの事前準備があまりにも早いので、サチはちょっと驚いた。
「俺はもう、早くこんな貧しい暮らしから抜け出したいんだよッ!」
吐き捨てる様にサブが言う。
「カネさえあれば、幸せになれるんだ!好きなものも買える!、自分で商売を始めたって良い…ッ!」
手を振り上げて熱く語るサブを見るサチは、彼が、まるでオペラの舞台で演じている役者の様に見えるのだった。
「そしたらお前は社長夫人だな?、やれなかった結婚式や新婚旅行にも連れてってやるよ!」
「ふふ…、ありがとうねサブ…」
当てにならない夢だが、想像するのはタダだ。
サチは、そんな夢物語を熱く語るサブが可愛らしく思えるのであった。
「身代金は3億円だ」
続けてサブが言った。
「さっ…、3億ってッ!」
驚くサチ。
「ヤスダ珈琲の社長なら、それくらいイケルだろッ!?」
ニヤついた顔でサチに言うサブ。
「なんで3億に決めたのさ?」
「年末ジャンボの宝くじの一等が3億円だからさ…、それくらいあれば裕福になれる気がするんだ」
「ふぅん…。で、一体いつ決行する気なのさ?」
安易な発想だなと思いつつ、具体的な案を聞いてみたいと思ったサチが、サブに問いかけた。
「来週だ!、GW明けで、青梅市の行楽客が減り出す来週に決行する!」
「分かったよ!、あたしもこんな人生まっぴらゴメンだ!、カネを手に入れて、さっさと貧しい暮らしとオサラバしたいからね!」
サブの言葉を聞いて、自分もこの男と共にする覚悟を決めたサチが言った。
「一緒にやってくれるか!?、サチッ!」
嬉しそうにサブが言う。
「あたり前だろ!、あたしら夫婦なんだから…」
サブの賭けに託してみようと、サチは思った。
「愛してるぜサチッ!」
同調してくれたサチに対して、ゴキゲンのサブ。
「ばかッ!」
サブの言葉に、少しだけ照れるサチ。
こうしてサブとサチは、安田ユキオの娘を誘拐する事を決めたのである。
東京都青梅市河辺町
あの中出氏の自宅は、駅から程近い場所にあった。
その自宅の敷地面積は、実に東京ドーム5つ分はあると思わせる広さであった。
その敷地内には、格闘技道場が建っていた。
道場の看板を見たハリーが中出氏に言う。
「ドージョー・チャクレキ~?」
「はい、漢字で書くと“道場 着歴”となります」
中出氏の次男、中出ヨシノブがハリーに笑顔で言う。
「どういう意味で?」
ハリーが中出氏に聞く。
「中出氏の古から伝わる、究極の格闘武術が辿り着いた歴史が、ここに積み込まれているという意味から名付けられました」と、中出氏がもっともらしく言った。
「そうですか…。あっしはてっきり、“ドージョー・チャクリキ”からのパクリだとばっか思ってやしたよ」
ハリーが中出氏にそう言うと、図星を突かれたのか?、中出氏はハリーにそそくさと言った。
「まぁ…、とにかく入ってくださいッ」
そう言って、ハリーを道場に入れる中出氏なのであった。
道場に入ったハリーが道場内を見渡す。
道場の中は綺麗に清掃された板の間の道場だった。
正面の頭上には神棚が設置させていた。
「さて、ハリーさん。今日、ここにお招きしたのは、ハリーさんの格闘技術を、より向上させる為に、お越しいただきました」
神殿を見つめているハリーへ、中出氏が背後から話し掛けた。
「へっ!?、あっしの格闘技術の向上?」
そう言って中出氏へ振り返ったハリー。
「そうです。ハリーさんの得意技は基本、グラップル…、つまり組み技や投げ技が主体ですよね?」(中出氏)
「ええ…、まぁあっしは、柔道家のプロレスマニアでやすから…」(ハリー)
「でもそれでは、いっぺんに多くの敵と対峙した場合、投げ技や組み技を仕掛けている最中に、他の敵にやられてしまいます」
「そして何よりも、ハリーさんの必殺技である投げ技へと行くには、相手の隙を作らなければ投げ技に入れませんよね?」
「うう…、たっ、確かに…」
的を得た、中出氏の説明に納得するハリー。
「そこで今日は、我が中出氏に代々伝わる打撃技を、マスターして頂こうかと考えております」(中出氏)
「中出氏代々に伝わる打撃技ぁ~!?」(ハリー)
「そうです。打撃技で相手を崩してから投げ技に移る事が出来れば、ハリーさんは鬼に金棒です!」(笑顔で言う中出氏)
「その打撃技とはッ!?」
ハリーが中出氏に聞く。
「名付けて!、松本明子拳(ショウホンメイシケン)ですッ!」
どうだ!とばかりに、高らかに言った中出氏。
「ショッ…、ショーホーメ…??」
よく聞き取れなかったハリーが言う。
「松本明子拳(ショウホンメイシケン)ですッ!」
中出氏は、再度、ハリーへ説明した。
「どんな技になるんでやすかい?」
「三連弾の打撃技です!」
すぐさま答える中出氏。
「三連弾なんて、まるでリングにかけろ!の、志那虎一城のローリング・サンダーみたいでやすね?」
「ハリーさんッ!真面目に聞いて下さいッ!、マンガじゃないんですよッ!!」
「はぁ…、スンマセン…」
珍しく真剣な表情の中出氏に、ハリーは気まずそうに詫びる。
「まず右正拳突きで、相手の正面から胸元を押すように突きます!」
「その時の掛け声は、“押忍!”です」
中出氏がハリーに、レクチャーを始める。
「押忍…?」とハリー。
「そうです。押忍です!」
中出氏はそう言うとレクチャーの続きを始めた。
「続いて二打撃目は、左正拳突きで相手の頬を突きます!」
「その時は相手を失神させる様な気持ちで…、つまり意識を召さす様な気持ちで打撃を与えて下さい」
「掛け声は、“召す!”でいきましょう!」
「め…、召す…?」(ハリー)
「そうです。“召す!”です」(中出氏)
「そして最後は、フラフラになっている相手に、大技の胴廻し回転蹴りを相手の顔に決めて下さい」
「その時の掛け声は、“喫すッ!”です!これで敗北を喫する事になるであろう相手に対し、“喫すッ!”と叫んで下さい!」
「何の為に、そんな掛け声を…?」
中出氏の説明に要領を得ないハリーがそう言うと、2人の背後から突然誰かが答えた。
「掛け声とは“気”です。“気”を発する事で破壊力が増大する大事な事なのです」と、突然誰かが2人に後ろから語り掛けた。
「お兄様ッ!?」
その声の方へ振り向いて中出氏が言う。
声の主は中出氏の兄、ヨシムネであった。
彼らは年齢が1つ違いの兄弟だったが、姿かたちはまるで双子の様に似ているのであった。
ヨシムネは、中出氏家の莫大な財産を使って、東京都下を限定に正義のヒーロー、“デッシマン”として活動をしている。
「さぁハリーさん始めましょう。今日のコーチは私です」
中出氏の兄、ヨシムネがハリーへ静かな口調で言った。
「なッ…、中出氏兄ィが直々に指導をしてくれるんでやすかいッ!?」
中出氏兄にハリーが聞いた。
「そうです。私が直伝します」
澄まし顔のヨシムネが言った。
「松本明子拳(ショウホンメイシケン)って、そんなに凄いんでやすかぁ…?」
ハリーが素朴な疑問として、中出氏兄に聞く。
「はい!、その破壊力は“カポエラ”にも引けを取りませんッ!」
ヨシムネは、誇らしげにハリーへ、そう言うのであった。
(ビ…、ビミョウだなぁ…)
ハリーは、松本明子拳(ショウホンメイシケン)が、いまいち信用できないのであった。
「さぁ!、ハリーさん!、私に向かって打って来て下さいッ!」
打撃を受けられる様に、ミットをはめた中出氏兄がハリーに言った。
特訓が開始されたのだ。
「わ…、分かりやしたぁッ!」
そう言ったハリーは、先程ヨシノブから聞いた通りに、打撃技の型を始めるのであった。
「お…、押忍!」
右の正拳を中出氏兄に出すハリー。
「そんな掛け声じゃ“気”なんか出ませんよぉッ!」
中出氏兄が、ハリーにもっと気合を入れろとばかりに喝を入れる。
「押忍ッ!」
再び右正拳突きをやるハリー。
「まだまだぁッ!」
こんなもんじゃダメだとばかりに、中出氏兄がハリーへ言った。
「押忍ッッ!」(正拳突きを繰り出すハリー)
「こうですッ!…、オスッッ!!」
正拳突きの見本をハリーに示すヨシムネ。
「オスッッ!」(力強く正拳を放つハリー)
「そうです!その調子ですッ!」(ヨシムネ)
「オスッッ!」(正拳を放つハリー)
「はい次ッ!」
そう言って。顔の頬にミットを移動する中出氏兄のヨシムネ。
「メスッッ!」
そのミット目がけてハリーが左拳で正拳を放つ!
「はい、蹴りッ!」
ミットを更に上へと上げた中出氏兄がハリーに言う。
「キッスッッ!」
十分な勢いをつけ、ハリーがミット間がけて、胴廻し回転蹴りをする!
バシッ!
最後の蹴りを受けた中出氏兄がハリーに言う。
「じゃあ今度は続けて、連続でッ!」
「オスッ!、メスッ!、キッスッッ!!」(ハリー)
「もう一丁ッ!」(ヨシムネ)
「オスッ!、メスッ!、キッスッッ!!」(ハリー)
「もう一丁ッ!」(ヨシムネ)
「オスッ!、メスッ!、キッスッッ!!」(ハリー)
「もう一丁ッ!」(ヨシムネ)
「オスッ!、メスッ!、キッスッッ!!」(ハリー)
「オスッ!、メスッ!、キッスッッ!!」(ハリー)
「オスッ!、メスッ!、キッスッッ!!」(ハリー)
こうしてハリーの特訓は、その日、深夜にまで及ぶのであった。
そして1週間が過ぎた。
東京都青梅市沢井町にあるヤスダ珈琲社長宅
安田ユキオの豪邸の庭には、何故か、みすぼらしいプレハブ小屋が建っていた。
その建物に向かって歩いて行く1人の中年女性。
彼女は安田邸で働く家政婦であった。
家政婦は布巾を被せたトレイを片手に持ち、ドアをノックした。
「ミユキちゃ~ん!、朝食ですよ~!」
「三田さん、おはよう!」
プレハブ小屋のドアが開くと、小学生の高学年らしき女の子が出て、笑顔で家政婦にそう言った。
「はい、これね。終わったらいつもの様に玄関前にお盆ごと置いておいてね」
「はい。いつもありがとう!」
少女はそう言ってトレイを受け取ると、プレハブ小屋の中へと戻って行った。
ドアが閉まる。
はぁ…。
その時、家政婦の三田が、小さなため息をついた。
「不憫だねぇ…。旦那様も何であの子だけ庭に住まわせて…、粗末な食事をさせるんだろう…。自分たち家族は朝から豪勢な食事を取ってるっていうのに…」
三田はそう言うと、少女の暮らすプレハブ小屋を後にした。
「いただきま~す!」
ちゃぶ台に正座したミユキが両手を合わせて言う。
そこに置かれた食事は、茶碗一杯のご飯とみそ汁。
そして、生卵1つと海苔が2枚だけであった。
しかしミユキは、その食事を有難く戴いた。
貧相な目の前の食事を、心から感謝して戴いた。
そんなミユキを姿を見つめる様に、彼女の勉強机の上から1個の写真立てが置いてあった。
写真立てに入った写真は、笑顔で写るミユキの父と母と、ミユキ本人の3人が写った写真であった。
ミユキの両親はミユキが10歳の時に、信号無視をしたトラックにぶつけられ、後部座席に座るミユキを残して交通事故で亡くなった。
夏休み中の楽しい家族でのドライブが、最悪の日となってしまったのだ。
奇跡的に無傷で助かったミユキであったが、その後も彼女の不憫な人生は続いた。
ミユキの両親は、親の反対を押し切って結婚した。
その事から、ミユキは両親の実家、及び親戚連中からも煙たがられ、誰も彼女を引き取ろうとしなかったのだ。
誰も頼る事の出来ないミユキは、孤児院へ入る事となった。
孤児院には、理由があって親に捨てられた子供達が10人ほど暮らしていた。
子供達は皆、ミユキよりも年下で、4歳から7歳くらいまでの子たちであった。
ミユキが孤児院で暮らす様になってからしばらくすると、孤児院で一緒に暮らす小さなその子供たちは、里親に引き取られて行き、どんどん居なくなって行った。
やがて孤児院には、また新しい子供が入って来る。
だがミユキよりも後から入って来た子供たちも、次から次へと里親に引き取られて行く。
その新しい孤児たちも、やはりミユキよりも年下であったのであった。
孤児院で里親が見つけられやすい年齢は、小さければ小さいほど良い。
それは幼少期の記憶が少ないほど、里親と本当の親子の関係になりやすいからだ。
ミユキは11歳になっていた。
もう自分の意思もはっきりと持っており、亡くなった両親の事もはっきりと覚えている。
そんなミユキの里親になろうという人はいなかったのであった。
そんなある日、ヤスダ珈琲社長の安田ユキオが、孤児院へ慰問に訪れて来た。
ビジネスに大成功した安田の次の目標は、政界への進出であった。
そして、孤児院を訪れた安田は、ミユキを見て閃いた。
この子を引き取れば、自分のイメージが上がる!
11歳の子供なら、私への感謝の言葉を自分の言葉ではっきりしゃべる事ができるはずだ!
そうすれば、それはメディアが取り上げて話題になる。私の好感度は上がり、選挙戦が有利に進むはずだ!
安田はミユキの里親になる事で、来るべき選挙に少女を利用する事にしたのだ。
「行って来ま~す!」
安田の実の息子と娘が名門私立学校へ向かう為、玄関前に停めてある高級外車に乗り込んだ。
「いってらっしゃいませ!、おぼっちゃま、お嬢様…」
家政婦の三田が笑顔で2人に言う。
その後ろでは安田ユキオも笑顔で頷きながら立っていた。
走り去る高級車。
そして時間差で、ランドセルを背負ったミユキがプレハブ小屋から出て来た。
彼女は公立小学校通いであった。
ミユキは毎日、歩いて30分も掛る学校まで通っていた。
「行って来ます!」
明るい声で家政婦の三田に言うミユキ。
「行ってらっしゃい」
笑顔の三田が言う。
「行って来ます」
ミユキが安田にも言う。
「ふん…」
だが安田は、気分がすぐれない様な顔をミユキに向けると、黙って家の中へと入ってしまった。
ちょっと寂しそうな表情のミユキ。
だがすぐに気分を切り替えて、清々しい表情で学校へと向かった。
「駐在さんおはよう!」
ミユキが駐在所の前に立っている警察官に挨拶をした。
その警察官の名は、寺島イサムと言った。
元は警視庁捜査一課で活躍する敏腕刑事の彼であったが、上司の命令を無視して犯人を逮捕した為に、青梅市の駐在勤務に左遷させられてしまった男である。
地元の人は誰も知らないが、実は彼こそがテレ東の人気ドラマ「駐在刑事」のモデルとなった人物なのである。
「おう!、ミユキちゃんかぁ!おはよう!」
寺島が少女に言う。
「ポチもおはよう!」
少女はそう言うと、駐在所前の犬小屋から出て来た犬の頭と喉を撫でる。
尻尾を振って喜ぶポチ。
「じゃあね!」
ミユキは笑顔で寺島にそう言うと、駐在所を後にした。
寺島も笑顔でミユキを見守った。
「よしッ!、来たぞ!サチ行けッ!」
青梅街道の路肩に停車した車。
ハンドルを握るサブが、こちらに向かって歩いてくるミユキの姿をルームミラーから確認すると、助手席のサチに合図した。
ガチャ…。
車外へ出るサングラスをかけたサチ。
「お嬢ちゃん…」
地図を手にしたサチが手招きして、歩いて来るサチに言った。
「はい…?」
何だろうとサチ。
「ねぇ…、ここへ行きたいんだけど分かるかしら…?」
停めてある車の横に来たミユキが、そう言ったサチの持つ地図を覗き込む。
次の瞬間!、ジエチルエーテル(吸入麻酔剤)を染み込ませたハンカチで、ミユキの口をサチがイキナリ塞いだ!
「うぐッ…」
口を塞がれたミユキが言う。
そしてミユキは沈み込む様に気を失った。
サチが急いでミユキを後部座席へと押し込んだ。
「行ってッ!」
サチが急いでサブに言う。
車を急発進させるサブ。
サブの運転する車は奥多摩湖方面へと走り出した。
40分後、三頭橋付近で車を停めたサブが、誘拐したミユキの所持品から調べた安田の自宅番号へ電話を掛けた。
「はい、安田でございます」
電話に出る家政婦の三田。
「おい!、お前んとこの娘をさっき誘拐したッ!嘘だと思うんなら学校へ問い合わせてみろッ!」
「20分後にまた電話する。そんとき安田に代われッ!身代金の要求をするッ!」
電話口でしゃべる男が三田に言った。
「えッ!?、えッ!?…」
たじろぐ三田を無視して、サブが急いで電話を切った。
ツー…、ツー…、ツー…。
蒼ざめた表情の三田が受話器を無言で見つめる。
「たッ…、大変だわッ!」
「ご主人様ぁ~ッ!、お嬢様がぁ~ッ!」
家政婦の三田が、慌てて安田の元へと走り出した!
「何ぃぃぃいいいいッ!、麗華が誘拐されただとぉおおおおッ!?」
三田の報告を受けた安田が仰天の声を上げた。
「はッ…、早くッ!、平成女学園へ問い合わせるんだぁッ!」
急いで三田に指示を出す安田。
「はいッ!、旦那様ぁッ!」
三田がまたもや大慌てで、安田の書斎を飛び出した。
「ああ…、麗華…、麗華ぁぁぁ…」
ソファに座り込む安田は、下を向き両手で頭を抱え込みガタガタと震えていた。
10分後、安田の携帯が突然鳴り出した。
着信相手は娘の麗華からであった。
「もしもしッ!」
慌てて電話に出る安田。
「なぁにパパぁ~大騒ぎして…?、誘拐がどうのこうのって?、三田さんが学校に電話して来たわよぉ~!」
声の主は麗華本人からであった。
「麗華ッ!、ホントに無事なのか、麗華ぁッ!」
何度も確認する安田ユキオ。
「今、学校にちゃんといるわよぉ~!、イタズラじゃないのぉ~?」
そんな父親の心配をよそに、娘の麗華は淡々と話すのだった。
「ぬぬぬ…ッッ!!、ふざけやがってぇ~!、誰がこんなイタズラをッ!?」
麗華からの電話を切った安田が、怒りの表情で言った。
ガチャッ!
その時、家政婦の三田が再び部屋に飛び込んで来た。
「旦那様ぁッ!、お嬢様は無事です!、念の為、おぼっちゃまの学校にも問い合わせてみましたが、そちらも無事でしたぁッ!」
「おんのれぇぇ~ッ、どこのどいつだぁッ、まったくぅッ!」
安田がそう言った瞬間、再び自宅の固定電話が鳴り出した。
今度は安田の書斎から電話に出る三田。
「はい、安田でございます…」
「はい…、はい…」
受け答えする三田。
「旦那様…、さっきの誘拐犯という方から、旦那様に電話を代わるように言っておられますが…」
受話器を押さえながら家政婦の三田が安田に言う。
「よこせ!」
安田はそう言うと、三田から受話器を奪った。
「もしもしッ!?」
怒り声の安田が電話越しの相手に言う。
「へへ…安田かぁ?、どうだ驚いたかぁ?、身代金は三億円でどうだ?、もし警察にこの話をしやがったら…」
「ふざけるなぁぁぁあああッ!」
安田はそう怒鳴ると電話をガチャンと乱暴に切るのだった。
ツー…、ツー…、ツー…。
「ああんッ…!?、どういう事だぁ~?」
ケータイを手にしたサブが不思議そうに言う。
「身代金が高すぎたのかねぇ?、あまりにも非現実的な金額なんで、パニクッてるんじゃないかしら?」
サブにサチはそう言った。
「じ…、じゃあ、後で電話する時は、一億円に負けてみるかぁ…?」
サブはそう言うと、車を廃キャンプ場方面へと走らせた。
「かぁ~ダメだ!、一億円でもノッて来ねぇよぉ!」
あれから3時間後、電波が入らないキャンプ場へ戻って来たサブが、サチに言う。
「一体、安田は何を考えてるんだろうねぇ?」
木のテーブルの側にあったイスに座っているサチが、サブにそう問いかける。
「分からん…。おいサチ、あの娘はどうした?」
誘拐した娘が部屋にいないので、サブは室内をキョロキョロ見回しながらサチにそう聞いた。
「2階の部屋に鍵かけて監禁してるよ」
部屋の奥に見える階段を指差して、サチがサブに言った。
「そうか…」
サブはそう言うと、部屋のイスに腰を掛けるのであった。
「ねぇサブ、五千万くらいで良いんじゃない?」
目の前に座るサブにサチが言う。
「くっそッ!五千万かぁ~!、しかたねぇ、明日それで電話をしてみるよ!」
悔しそうな表情のサブがそう言った。
「大変です旦那様ぁ~ッ!」
家政婦の三田が、安田の書斎に慌ててやって来た。
時刻は19時になろうとしていた。
「今度は何だ三田!?」
安田が面倒臭そうに三田へ言う。
「ミユキちゃんが、まだ戻って来ていませんッ!」
息を荒げながら家政婦の三田だ安田に言った。
「ミユキが戻ってない?」
ゆったりとした革張りのイスに腰掛けた安田が、イスを回転させて三田の方へ身体ごと振り向いた。
「はいッ!、もしかして誘拐された娘というのはミユキちゃんの事なんでしょうかッ!?」
両手を前につないで立つ三田が、不安な表情で安田に言う。
「……。」
何かを考えて黙り込む安田。
「旦那様、警察に連絡して来ますッ!」
そう言って部屋を出ようとする三田。
「馬鹿ッ!ヤメロッ!」
三田の方へ手を差し出した安田が慌てて言った。
「それじゃあ…、犯人の要求を呑むんですね…?」
ドアノブを掴んでいる三田が、安田に振り返って言う。
「なんで私が他人の身代金を払わなきゃならんのだッ!?」
三田の言葉に少し憤慨した表情で安田が言った。
「では、どうするおつもりで…?」
神妙な面持ちで、三田が安田に言う。
「ほっとけ!」
安田は吐き捨てる様に言った。
「え!?」
どういう事?と、驚く三田。
「ほっとけば良い!」
イラつきながら安田が三田に言う。
「でも、それじゃミユキちゃんの命が…」
なんて薄情な人なんだろうと思いながらも、遠慮気味に意見する家政婦の三田。
「そうなったらそうなっただ。私は娘を殺された不幸な父親として、選挙では多数の同情票を集める事ができる!」
表情一つ変えずに、安田は言い放った。
「そんなッ!」
安田の余りにも非情な言葉に、三田は声を上げた。
「大丈夫だ。犯人だって殺人を犯せば、どうなるか自覚してるはずだ。そのうち諦めて、ミユキをどこかで解放するさ…」
安田はそう言って、三田を突き放すのであった。
仕事帰りの三田は駅へ向かって歩いていた。
家政婦は、誘拐事件を警察に話すべきかどうか悩んでいた。
やはり警察に知らせるべきではと思った三田は、駅前の電話ボックスに入るのであった。
駅前の電話ボックスは、いたるところにピンクチラシがベタベタと張り付けられていた。
受話器を手に110番へダイヤルしようとする三田。
だが安田の言いつけを思い出すと、勝手に警察へ電話をするという勇気が出なかった。
そうして三田は、受話器をまた元に戻してしまうのだった。
「はぁ…、どうしましょう…?」
悩む三田。
その時、1枚のピンクチラシが三田の目に留まった。
「何これ…?」
ピンクチラシを手にした三田が言う。
東京都青梅市河辺町の中出氏豪邸
「あ~あ、ヒマでやんすねぇ…?」
横長のソファでくつろいで伸びをしながらハリーが言った。
中出氏一族の裏の姿は、彼らの莫大な資金を使ってバットマンもどきの活動をするご当地ヒーロー活動であった。
次男のヨシノブは、ハリーと2人で“8の字無限大”というワケの分からない社団法人を立ち上げていたが、長男のヨシムネは、デッシマンとして東京都下限定の正義の味方として活動している。
「お兄様…。お兄様は事件が無い日はどうやって過ごされているのですか?」
弟のヨシノブが、兄のヨシムネにそう聞いた。
「ヨシノブ…、事件のない日など1日たりともありませんよ」
デッシマンこと、兄のヨシムネがソファでくつろぎながら弟に言う。
「でも現にヒマじゃないですかい?」
ソファに座り、両手を頭の後ろで組んでいるハリーも、中出氏兄にそう言った。
「こういう時の為に、私は広告を出しています」
中出氏兄のヨシムネがハリーの方へ向いて言う。
「広告~?」とハリー。
「これです…」
中出氏兄はそう言うと、2人にタバコの箱くらいの大きさの紙を見せるのだった。
その紙は、どぎついショッキングピンクに彩られ、大きく「無料!」と書かれていた。
「何ですかこりゃあ?」
その紙を手にしたハリーが中出氏兄に尋ねる。
「これは、デッシマンに事件解決を頼みたい人たちに向けた、募集チラシです!」
中出氏兄のヨシムネがハリーに説明する。
「募集チラシ~?、なんでまた、こんな小さいサイズにしたんでげすか?」(ハリー)
「町中の電話ボックスに貼り付けたり、集合住宅のポストに投函するのにこのサイズは便利なのです…」(中出氏兄)
「こんなデザインじゃあ、ピンクチラシと区別がつきやせんよッ!」
呆れ顔のハリーがヨシムネにそう言った。
「仕方ありません。そのサイズだと怪しまれずに、素早くポスティングできますからね…」と、澄まし顔で言うヨシムネ。
「こんな怪しいチラシで、依頼が来るワケないじゃねぇですかぁッ!」
ハリーがそう言うと、突然中出氏宅の電話が鳴った。
インカムマイクをかぶって、中出氏弟ヨシノブが素早く対応する。
「依頼が来ましたぁッ!」
こちらに振り返り、明るくそう言う中出氏弟。
その言葉にガクッと崩れるハリー。
「代われッ!」
そう言うと兄は弟からインカムマイクを慌てて奪った。
「どうしましたッ!?」
電話相手にそう聞く、兄ヨシムネ。
「えッ!誘拐事件ッ!?」
「分かりましたぁッ!、その娘さんの顔、容姿、髪型、服装、出来る限りの情報を今から言うメールアドレスに送信して下さいッ!」
中出氏兄が、電話相手にテキパキと指示を出した。
「どうしやしたぁッ!?」
電話が済んだ中出氏兄に近づいて、ハリーが聞いた。
「ヤスダ珈琲の社長さんの娘が、今日誘拐されましたッ!」
神妙な顔つきで、兄ヨシムネがハリーにそう言った。
「何ですってぇッ!?」と驚くハリー。
「お兄様ッ!、娘さんのデータが届きましたぁッ!」
パソコン画面に向かって座っていた、弟のヨシノブが兄にそう叫んだ。
「一体、どうやって探すつもりで…?」
送られてきたメール内容を確認している兄ヨシムネに、ハリーは尋ねた。
「中国のハーウェイ社が開発した顔認証システムを、中国共産党が街中の全ての防犯カメラに導入しているのはご存じですかッ?」
パソコン画面を見つめながら、ハリーに話し出す中出氏兄。
「いえ…知りやせん…」
ハリーが言う。
「そのシステムは、瞬時に街中の人たちの顔画像の横に、登録された名前や住所が反映される仕組みのカメラなのです!」
メール内容を見つめながら、ハリーへの話を続ける兄ヨシムネ。
「それを使うのですかい?」
画面を見つめている中出氏兄の背中越しにハリーが話し掛ける。
「私はこれを更に応用して使います!」
ハリーに振り返った中出氏兄が言った。
「応用?」とハリー。
「はい、この誘拐された娘さんのデータと照合するシステムを、日本中の防犯カメラ、ドライブレコーダー、室内カメラ、パソコンカメラ、ケータイ、そしてカーナビの人工衛星までにハッキングして監視します!」
「そのどれかに、誘拐されたミユキちゃんという子が少しでも写し込まれれば、瞬時に場所を特定させるシステムが作動するという仕組みです」
「あとはその場所へ、追跡ナビゲーションが案内してくれるというワケです!」
その説明を聞いたハリーは、大金持ちの中出氏一族らしい、スケールの大きい捜査方法だと思った。
「すげぇですね。でも犯罪ですよねそれ…?」(ハリー)
「私の人生、バーリトゥード(何でもアリ)ですから…」
そう言うと、中出氏兄はサングラスのフレームを中指でグイッと押し上げるのであった。
To Be Continued…。
今回の勝手にエンディングテーマ
ダークナイト 2話