ここから始めよう(夏詩の旅人 1st シーズン)※最終回 | Tanaka-KOZOのブログ

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★ついにデビュー13周年!★2013年5月3日2ndアルバムリリース!★有線リクエストもOn Air中!



 ウルウル…?、それともメロメロ…?

女性は好きな男性(ひと)を目の前にすると、不思議と目が潤む。
うっとりすると言うか?、とにかく泣きたくなるように目が潤むのだ。

 それが分かったのは、高校生だった頃。
ジャニーズ好きの同級生に付き合わされて観に行った、地元の市民ホールでのコンサート。

サプライズで友人の目の前にジャニーズの1人が現れたとき、その友人は感極まるあまり、突然号泣しだしたのだった。
女性の瞳が潤むとき、最高潮に達すると、ああいう風になるんだとその時知った。

私もきっとあなたが目の前にいたときには、自分の目が潤んでいたに違いない。

だからそれが、惚れた女の恋のサイン。
あなたは私からのサインに、気が付いていたのかな…?

 
 それにしても今やっと彼と巡り会えて、私が感じている、この気持ちは一体何なんだろう…?

“感謝…?”

そうだ!、この気持ちは、彼への“感謝”の気持ち。
“ありがとう”という、感謝の気持ちだったんだ!

 今、私の目の前で、私の為だけに弾き語ってくれている彼を見つめながら、私はやっと気が付いた。

そして私の頭の中は、彼と初めて出会ったときからの記憶が、めくるめくスライド写真のように思い出されて行く。



私が会社を立ち上げて、たった1人だけで頑張っていた時、私を応援してくれた彼。
夜の砂浜で焚火を囲んで、缶ビールを一緒に飲んだ時の、彼の優しい笑顔。



鵠沼海岸で、私の主催したイベントがピンチになった時、突然ステージに上がって歌ってくれた彼に、助けられたこと。



伊豆下田の、FMの開局イベントで、共に頑張ったあの3日間。
最終日に現れなかった彼に怒った私が、FM局の前にある港の駐車場で、彼と握手してから別れた最後のシーン。



鎌倉国大の学園祭テロ事件の時に、爆破から私を守ってくれた彼。
そして、バンドの仲間を助けに行き、テロリストの銃で倒れた血だらけの彼の姿。

入院先の病室で、もう左指が動かないと知らされ、弾き語りを諦めた彼の哀しい顔。
その話を聞いた私は、何も言えずにただ泣いていた。



何度も何度も救われた私は、彼に対して何も返す事ができなかった。
そして、それから間もなく、誰にも行き先を告げずに姿を消した彼。

なんて自分勝手なひとなんだろうと…、怒りを覚えたときもあった。

 だが人間の記憶なんてものは、いい加減なもので、時がたてば思い出されることは、楽しかったことばかりだったかの様に、美化されてしまう。
けしてそんな事ばかりじゃなかったはずなのに、思い出すのは彼の笑った顔ばかり…。

そう思うと、私は泣いた。
涙をボロボロと溢れ出して泣いた。

今更何だと、分かっていても、しょうがない。
だって、私は彼に、この“ありがとう”という、この気持ちを伝えることが出来ない限り、結局、前へ進む事が出来なかったのだから…。

あの時、あの鎌倉国大の事件当日に、彼が私に言ってた言葉の意味が、ようやく私にも分かった。

“結婚してたら会いたくないとか、独身だったら会いたいとか、そういう事は別に関係ない”
“人は別れる時、どう相手を見送るかという事が、とても重要なんだ”、と言ってた彼の言葉が…。

そうよね…。
だからあなたは、あの女性(ひと)をずっと探してたんですものね。

だから私も一緒。
だから私もあなたに感謝します。

ありがとう…。
あの素晴らしい青春時代を共に過ごし、力になってくれたあなたに、本当に感謝しています…。

私の長かった旅が今ようやく、これで終わろうとしていた…。



 2020年5月。
東京新宿、音楽イベント会社、“Unseen Light”のオフィス内。

あの鎌倉国立大学テロ事件から、14年が経った。
岬不二子は50歳になっていた。

あの事件のあと、行方不明になったシンガーソングライターの彼。
彼の消息は未だ分からないままであった。

不二子は部下の和田と、先週のGWに開催した音楽イベントの話をしていた。

「それにしてもカンドーでしたね!、あのヒステリックスの再結成には!」
和田が声を躍らせて不二子に言う。

「ここまで来るのに頑張ったもんね。和田くんも私も…」
不二子が和田に応える。

ヒステリックスは70年代に、海外で邦人のグループが初めてセールス的に成功した、伝説のロックバンドだ。
当時、女性ボーカルのキョウが、スキャンダルを起こし脱退してから間もなく解散した。

もう2度と観られることはないと思われていたバンドであったが、若干24歳のボーカル、ナツの加入により復活を果たしたのだった。



ナツの歌唱力は素晴らしかった。
何よりも彼女が凄いのはキョウの再来と云われる、そのボーカルパフォーマンスにあった。

まるで亡くなったキョウが生き返って歌っているかのような、完璧なスタイルでナツは歌っていた。

2年前、不二子はヒステリックスが再結成される噂を嗅ぎつけ、新ボーカル加入に向けたオーディション企画を所属事務所に持ち込み、バンド再結成までの間、ずっと携わっていたのだった。

不二子がそのオーディションで、初めてナツの歌を聴いたとき、完璧にヒステリックスの曲を歌いこなしていた彼女に、全身鳥肌が立ったのを思い出す。

まるでキョウが乗り移ったかのような、ボーカルパフォーマンス。
彼女の鬼気迫る歌は、何かを託された使命感のようにも映って見えた。

そして新ボーカルは、ナツに決まった。
こうして不二子は、またもや、まだ見ぬ光(Unseen Light)を発掘したのであった。


 不二子の会社の業績は順調であった。
だが彼女の心の中は、今でもポッカリと穴が開いているような気分であった。


「社長…。ほらまたそんな顔してる~…」
和田がボーッとしてる不二子に言った。

「ああ…、ごめん、ごめん…」(不二子)

「そんな、縁側でボーッとしてる老人みたいな顔してると、年寄りに見られちゃいますよ!」と和田。

「あなた失礼ね~!、そういう和田くんだって、最近ずいぶんオナカ出て来たんじゃないの!?」
不二子が和田にやり返す。

「うへっ!、こわぁ~…」
「でも、その方がいつもの社長らしくて良いですよ…」
苦笑いの和田はそう言うと、自分のデスクへと戻って行った。


 年寄りか…。
私も50になったんだものね…。 


不二子にも最近は、更年期症状が出始めて来ていた。
幸い症状はさほど酷くなく、軽いものであった。

だが更年期の症状が出始めたという現実は、不二子にとって女の役割を終えたと告げられてるような気分にさせられた。

なんか、肩をポンポンと叩かれて、「ご苦労様でした…」と言われてるような、そんな寂しい気持ちにさせられるのだ。

仕事が忙しくても、出会いが無かった訳ではなかった。
素敵な人に口説かれたこともあったし、お見合いもいっぱいさせられた。

でも、なにかが引っかかって、そこへは飛び込めなかった。
小骨が喉につかえているような、そんな気持ちが不二子の中にあったのだ。


 なんか人生ってあっという間ね。
とくに青春時代って、ほんの僅かな期間なんだなぁ…。

考えてみたらそうよね…。
自分ではハタチ過ぎてからの精神年齢は、ほとんど変わんない気がしてるんだけど、よく考えたら、この前生まれたと思ってた兄の息子が、もう社会人だものね…。

人の睡眠時間が1日7時間として、通勤時間、食事、家事、お風呂、トイレ、買い物…。
そして、学生時代は受験勉強があり、これでデートなんかしてたら、1日に使える時間なんて、もっと短くなるわね。

人間が目的を持って生きるように成り出すのが、5歳くらいからかしら…?
そして身体が日常で不自由なく、若い頃とほぼ同じくらいに元気で動かせられるのは60代くらいまで…?

だとしたら、1日24時間の365日が1年でも、実際に自分がやりたい事のできる時間って、すごく少なくないッ!?

女性の平均寿命って85歳だったかしら…?
でも実際に自分のやりがいのある時間を24時間ずつにして足していくと、本当の人生って40年以下ってことよね?

うわぁ…。
まだまだやり残した事がいっぱいあるわぁ…。

不二子は頭を抱えた。


ブルブル…。

その時、不二子のスマホが振るえた。

メールの着信は、カズからであった。
カズは、シンガーソングライターの彼の親友で、ギタリストである。

(お久しぶりです…)から始まった彼からのメールは、こんな内容だった。

来月、ドラムの小田さんの自宅を改装したLIVEバーがオープンします。
そこでオープン記念のライブパーティーをやるので、ぜひ参加して下さい。

カズからのメールは、そんな内容であった。

(分かりました。私もぜひ参加させていただきます)
不二子はカズに、そう返信した。

(みんな元気かな…?)
不二子はスマホを見つめながら微笑んだ。

「あっ!」
不二子は何かを思い出したかのようにそう言うと、机の引き出しの中をガサゴソと漁った。

「あったわ…」

彼女がそう言って手に取ったのは、一冊の小さな手帳であった。
それは行方不明になる直前、彼から託された、彼の旅の記録が書いてある手帳だった。

(別に忘れてた訳じゃないのよ…。あなたは自分に何かあった時に、旅先で出会った人たちに会いに行ってくれって頼んだじゃない?)
(あなたが生きてるか死んでるか分からないままじゃ、約束を果たそうにも果たせられないからね…)

不二子は、その手帳を見つめながらそう思った。

(でも、私ももう、いつまでも若くない。いつ身体が動かなくなるか分からない齢になってきたわ)
(だから、あなたが言ってた通り、手帳に書いてある人たちのところへ行ってみることにするわ!)

不二子は、その手帳に書いてある場所が、行方不明になっている彼の、何か手掛かりにならないかと考えたのであった。


 2020年6月。
小田のLIVEバーの、オープン記念の日となった。

「もう始まっちゃったかな…?」
仕事帰りの不二子が、神奈川の逗子駅に到着した。

「あった!、あった!」

店を見つけた不二子が、小走りで近づく。
店の名前は「フェイ・ダナウェイ」と看板に書いてあった。

店の入口を、そ~と開ける不二子。
演奏は既に始まっていた。

ステージでは、カズが1人で弾き語りをやっていた。
曲はニール・ヤングの、"The Old Laughing Lady" だった。



 意外だった。
カズが歌う姿も意外だったが、何よりも彼の弾き語りが様になっているのが、不二子には意外だった。

ハープを吹き、ギターをかき鳴らすカズ。

(へぇ~…。なんかぶっきらぼうな歌い方だけど、しゃがれた哀愁のある歌声で、カッコイイじゃない!)
不二子は、ステージで弾き語っているカズを観てそう思った。

その時、遠くのテーブルから不二子へ(こっち!、こっち!…)と、手招きをしてる仕草が見えた。
不二子を呼んでいたのは、歌手の櫻井ジュンだった。

「久しぶり…」
そのテーブル席に着いた不二子が、小さな声でジュンに言う。



「あの鎌倉国大の事件以来ね」
ジュンが不二子に言った。



「ジュンちゃん変わらないね」(不二子)

「不二子さんも変わらないよ」(ジュン)

お互いの言葉に、気分が良くなる二人。

「それよりも、ねぇ…、あれ!、歌ってる!、歌ってる!」
不二子が目を大きく開きながら、ステージのカズを指差しながらジュンに言った。



「ふふふ…。そうなの。ずっと弾き語りやるのが夢だったんだって…」
ジュンが笑顔で言う。

「夢が叶ったんだぁ!」
不二子も笑顔で言った。

「そしてこの店は、小田さんの夢…」とジュン。

「小田さんも夢が…」
不二子はステージのカズを眺めながら、そう言った。


 カズのステージが終わった。
拍手に送られてステージを降りるカズが、こちらのテーブルにやって来る。

「どうも…」
カズが照れ臭そうに不二子へ挨拶した。

「すごい良かったわ!、こんど夏フェスやるからそれにも出てよ!」
立ち上がってカズに拍手しながら不二子が言った。

「いらっしゃい」
そこへ笑顔の小田も現れた。

「小田さん久しぶり!、なんか小田さんも、カズもスリムなままで、あの時と全然変わってないわ!」(不二子)

「やっぱ人前に出る仕事をしてるとね…」(カズ)

「そういうのも気にしないとね…」
カズに振り返り、笑顔で小田も言った。

「そういう不二子さんも、ちっとも変ってないですよ」(カズ)

「まぁ一応、私もライザップしたり、ヨガやったりして頑張ってるから…(笑)」(不二子)
「あっ!、整形はしてないからね!(笑)」(不二子)

「分かってますよ!」
苦笑いでカズがそう言うと、周りの皆が笑った。

「それにしても、あなたが弾き語りをやるなんて知らなかったわ」
不二子がカズに言う。

「本当はずっとやりたかったんだけど、ギターの存在が邪魔してました」
カズが苦笑いでそう言った。

「ギターの存在が邪魔?」(不二子)

「ええ…。なまじギターが弾けて評価をされてしまうと、新しい事にチャレンジするにも躊躇しちゃうんですよ」(カズ)

「弾き語りやって、もしコケたら、ギターで築いた評価がガタ落ちになるから、俺はやらねぇ~!って、ずっと言ってたの」
ジュンがカズの事を言う。

「何が切っ掛けで、弾き語りを挑戦してみる気になったの?」
不二子がカズに尋ねた。

「あいつです…。あいつの一言で挑戦してみる気になりました」
カズが言ってるあいつとは、行方不明の彼の事だ。

「俺は弾き語りに憧れる反面、自分は弾き語りなんか絶対やらないと決めてました」
「それで、他のミュージシャンが弾き語る姿を観ては、下手くそだなぁと言って、いつもバカにしてたんです」

不二子はカズの話を黙って聞いている。

「“お前もやってみろよ!”、とあいつに、ある日言われました。俺はあいつに、“俺も弾き語りをいつかはやりたい”と、言ってましたんで…」


 以下、回想シーン。
カズはいつもの様に、居酒屋でベロベロに酔っぱらっていた。

「俺は絶対やらねぇッ!」(カズ)

「なんでだよ?、弾き語りやりたいって言ってたじゃんか!」(彼)

「俺は、あんな無様な姿を晒すわけにはいかねぇ!」(カズ)

「誰だって、最初は無様な姿から始めるもんだろ?、お前だって初めからギターが上手かった訳じゃないだろう!?」(彼)

「ギターを始めた頃は、まだ若かった!、失敗の許される年齢だった!」(カズ)

「じゃあ何か?、お前は俺が歌を始めた頃、散々ダメ出ししたり、バカにしてたりしてたけど、自分は絶対に弾き語りをやらないと決めていて、俺に言ってたのか?」(彼)

「そうだ!」(カズ)

「自分は高みの見物で、俺以外のやつらの弾き語りとかもバカにしてたのか?」(彼)

「そうだ!」(カズ)

「お前、そういうゲスい考えは捨てろ!」(彼)

「なんだとぉ!」(カズ)

「お前は、自分の見た目や体形を気にしてカッコつけてるけどなぁ、そういうゲスい考えを持ってたら全部台無しだぞ!、めちゃめちゃカッコ悪リィぜ!、見た目なんかよりも、まずはそっちの方を、カッコよくするよう考えた方が良いぜッ!」(彼)

「……ッ」(カズ)


「とまぁ…、こんな事がありまして、やつに頭をガーンとやられ反省したワケです(笑)」とカズ。

「へぇ…、そんな事があったの?」
不二子は、カズにそんな事を言った彼を、“らしいなぁ…”と思った。


「小田さんおめでとう!、お店出すのが夢だったんですってね」
不二子が今度は小田に言った。

「ありがとうございます。あっ!、あれ女房です」
小田はそう言うと、カウンターでドリンクを作っている女性を指差した。

カウンター越しから不二子に会釈する妻。
不二子も彼女へ挨拶をした。

「実はねぇ…、僕のお気に入りだったお店が改装しちゃったんですよ」
小田が不二子にこの店を始める事になった経緯を説明する。

「お気に入りのお店?」と不二子。

「彼女のお店です」
小田はそう言うと、隣テーブルに座っていた女性を紹介した。

「タエさんです。隣はタエさんの息子のマサトシくんと、マサトシくんの奥さんと娘さん…」

タエと呼ばれたその女性は席から立ち上がり、不二子に挨拶した。
それに応えるように、不二子も挨拶する。

「タエさんのお店は横須賀にある、“フェイ・ダナウェイ”という名前の喫茶店で、当時はライブスペースとかもあったんです」(小田)

「それで息子のマサトシくんが料理学校を卒業したのを機会に、お店を改装して無国籍料理店を始めることになったんです」(小田)

「それで改装を機に、ライブスペースも無くなってしまったと?」(不二子)

「そうなんです。だからこのお店の名前は、“フェイ・ダナウェイ”にしたワケです」(小田)

「そうなんだぁ…」
そう言った不二子の傍に、タエの息子のマサトシが近づき、「はじめまして…」と言うと、自分の店の名刺を渡した。

「あっ!、この店知ってます!、横須賀で評判の店だって、アド街で紹介してるのTVで観ました!」
名刺の店名を見て驚いた不二子がそう言うと、マサトシは嬉しそうな顔をした。


「えっ!、マサトシさんは彼の事知ってるのッ!?」
マサトシが言った言葉に、更に驚く不二子。

「はい。僕はあの人の助言で、料理人になる決心をしたんです!」
マサトシが、ハッキリした口調でそう言った。

「その節は、危ないところを助けていただいて、あの人には大変お世話になりました」
母親のタエも続けて言った。

(ねぇ…。みんな幸せにやってるみたいよ)
不二子は、どこにいるのかも分からない彼を思い出し、みんなの近況を伝えた。


「ジュンちゃんは、今何してるの?」

今度はジュンに不二子が聞く。
ジュンが10年前に結婚していたのを、不二子は当時のワイドショー番組を観て知っていた。

「私は、今は歌手は引退して、音楽プロデュースをやってるの」とジュン。

「プロデュース?」(不二子)

「うん…、作詞や作曲をしたりして、若手に提供してるの」(ジュン)
「最近だと、Raylaとかに楽曲提供したわ」(ジュン)



「ええっ!、すごぉ~い!、あれジュンちゃんの作った曲だったのッ!?」
「オリコンで1位になったわよね?、知らなかったわぁ…」(不二子)

「まぁ、ママさんプロデューサーだから、そんなに本格的には仕事は出来ないけどね…」(ジュン)

「ええ!、でもすごい!、すごいよぉ~!」
みんなが成功している話を聞いて、不二子もどんどん嬉しくなっていった。


 それから不二子は、小田がいつの間にか、この場からいなくなっている事に気が付いた。
店内を目で追うと、小田が取材を受けている姿が見えた。


「小田さん、何の取材だったの?」
取材を終えた小田に不二子が聞く。

「ロッキンSの、“俺の喰いしん坊バンバンザイ!”だよ」と小田。

“ロッキンS”という言葉を聞いた不二子は、シンガーソングライターの彼から託された手帳に、その雑誌の事が書いてあるのを思い出した。

急いで、ロッキンS編集者の元へ近づく不二子。

「あの…、すいません。ロッキンSの方ですか?」(不二子)

「はい?」
編集者が不二子に振り返って応える。

「あの…、そちらに二階堂マイコさんって方、いらっしゃいますか?」
不二子は、デビュー前の彼の職場で後輩だったマイの話を聞いてみた。

「ああ…、彼女はとっくに退職してますよ」と編集者。

「今、何やってるのかご存じですか?」(不二子)

「マイさんは、今は実家の群馬に戻って野良仕事してるとか言ってましたよ」(笑顔の編集者)

「野良仕事…?」(不二子)

「まぁ農業ってことです」(編集者)

「そうなんですか…」(不二子)

「福生基地にいたアメリカの退役軍人の方が、帰国してからすぐに日本に戻って来て、マイさんへプロポーズされたんです。それで2人は結婚されたようですよ」

「今はその旦那さんと仲良く、群馬で暮らしてるみたいですよ」

ロッキンSの編集者は、不二子へ丁寧に説明してくれた。

「お知合いですか?」(編集者)

「いえ…。どうもありがとうございました」
そう言うと不二子はその場から立ち去った。

(そうか…、彼女はチャーリーと結婚できたんだ。良かった…)
不二子はそう思いながら、先ほどのテーブル席へ戻って行った。


「ねぇカズ。14年前のあの事件の日に、毎朝新聞で働いてた野中涼子さんのその後の行方は知らない?」
不二子は、同じく彼の後輩だったリョウの話も聞いてみた。

「う~ん、知らないなぁ…」とカズ。

「俺知ってるよ」と小田が言う。

「本当小田さん!?」
小田に振り向き不二子が言う。

「彼女はあのテロ事件の後、新聞社に不信感を抱いて辞めたようだよ。あの人は騙されていたから、罪にも問われなかったようだね」(小田)

「他には何か知ってることないの?」(不二子)

「野中涼子は、今じゃ世界中を飛び回っているフリーのジャーナリストになってるよ」
そう言うと小田は自分のスマホで、リョウのHPを見せてくれた。

「ほんとだぁ…。元気にやってるみたいね」
不二子は、あの日、1番辛い思いをさせられたはずのリョウが、今では立ち直って元気でやっている姿を見て安心した。


「それから…」
不二子はカズに躊躇しながら訪ねる。

「どうでも良い事だと思うんだけど、あのハリーって今何やってるのかしら…?」
こんな質問して申し訳ないという気持ちで、不二子はカズに尋ねた。

「ああ…、あの人は警備業に復帰したらしいんだけど、同時に副業で、YouTuberになって、バンバン稼いでるらしいよ」
カズが言う。

「ええッ!、ハリーがYouTuber!?、何をやってそんなに稼いでるの?」
驚いた不二子がカズに聞いた。

「AV批評をやってるらしい」(カズ)

(アイツらしいわね…)
カズの言葉に、片方の眉毛をピクッと上げて反応する不二子。

「今まではAVマニアだった事を隠してたんだけど、それが金になると分かったら完全に開き直ってやってるよ。ほら…」
カズはそう言うと、自分のスマホでハリーのYouTubeチャンネルを不二子へ見せてくれた。

スマホ画面から、クラッシックの音楽がテーマ曲で流れ出す。

「みなさんこんにちは。“若いコトダマ”の時間がやって参りました」
番組の司会者が話し出す。

「今日は、現代における日本のAVシーンについて詳しく語っていただきましょう」

「まずは、AV評論家のハリー・イマイさんです」

「ハリーさん、よろしくお願いします」



「お願いします」
ハリーが澄ました表情で画面から登場して来た。

「そして、アダルト業界アンバサダーの中出ヨシノブさんです。中出氏です」

「中出さん、よろしくお願いします」



「よろしくお願いします」
そう言うと画面の男は、中指でメガネのフレームをグイっと上げた。

「あッ!」
中出氏を見た不二子が叫ぶ。

(確かにあの2人なら気が合いそうね…)
スマホ画面を見つめながら、不二子はそう思った。

「じゃあまず僕から良いですか?」
中出氏が言う。

「僕が思うには、今のAVは、良いものもある。だけど悪いものもある!」(中出氏)

「ちょっと待って下さいよ!、全然違う!、それ全然違う!」
ハリーが中出氏を否定する。

「いいですか?、私が思うには、今のAVは、良いものもある!、だけど悪いものもある!」
(一緒じゃん…。ハリーのコメントにそう思う不二子)

「いや、いや、いや…、ちょっと待って下さいよ!、僕は家のお風呂のイスは、シケベイスですよ!、そういう風に生活に風俗を取り入れた立場で言わせていただきますと、今のAVは、良いものもある!、だけど悪いものもある!」(中出氏)

「違いますよぉ~!、僕なんかねぇ~、トレイシー・ローズとか、チッチョリーナとか、洋物も合わせて3000本くらい散々観ましたよ!、そういう僕が思うには、今のAVは、良いものもある!、だけど悪いものもある!」(ハリー)

「いやハリーさん!、それ全然違いますよ~!、そんなねぇ、本数で言ったら僕なんか5000本!、5000本観てますよAVを!、そんな僕だからこそ考えてみると、今のAVは、良いものもある!、だけど悪いものもある!」(中出氏)

(スネークマンショーかい…?)
不二子はそう思うと、これ以上観ても意味がないと判断し、カズへスマホを閉まって構わないと言った。


「ええっ!、あいつを探しに行く~!?」

不二子の言葉に驚く、カズとジュンと小田。
あいつとは、消息不明の彼の事である。
オープン記念パーティーも、宴もたけなわとなっていた。

「ええ…」と皆に頷く不二子。

「ねぇ、これをちょっと見てくれる?」
それから不二子は、バッグから小さな手帳を取り出した。

「それは…?」
手帳を見たカズが言う。

「これは、あの日。あの鎌倉国大のテロ当日に、彼が私に預けたものなの」
不二子が言う。

皆が興味深そうに、不二子の持っている手帳を見つめる。

「これには、あの人が2004年から、夏に旅をした場所や記録が記されているの」

「なんでそんなものを不二子さんに預けたんだい?」
不二子の説明に小田が聞く。

「あの人が私にこれを預けたのは、自分にもしもの事があったときには、自分の代わりに、この手帳に書いてある人たちが、その後どうなっているのか、訪ねに行って欲しいと言ったの」

不二子の話に、一同「ほぉ…」と頷く。

「あれから14年が経ったけど、私はまだこの手帳の人たちに会いに行ってない」
「だからこれを機会に、訪ねに行こうと思ってる」
不二子が皆に言う。

「その場所を訪ねて行けば、何かあいつの手掛かりが見つかるかも知れないと…?」
カズが不二子に問うと、不二子はカズの顔を見つめ、無言でコクリと頷いた。

「分かった…。俺たちは俺たちで、何か手掛かりがないか、もう一度洗い直してみるよ」
カズが言う。

「私も知人や関係者たちに当たってみるわ」
続いてジュンも言う。

「ありがとう…」
不二子は皆にそう言うと、微笑んだ。



「それじゃ、また会いましょう!」

店の出口で不二子が言う。
パーティーは終了し、カズやジュン、小田らは不二子を出口で見送っていた。

店を後にし、駅へと歩き出す不二子。

「不二子さん!」

ジュンが呼んだので、振り返る不二子。
ジュンは、店の出口から不二子の方へ駆け寄って来た。

「どうしたの?」
不二子がジュンに聞く。

「ううん…」
ジュンはそう言うと、別に大したことじゃないわという感じで、顔を左右に振った。



「不二子さん、頑張ってね!」
「必ず彼を見つけ出して!」
「あなたなら、彼と一緒になっても安心だわ」

ジュンは不二子の手を取ると、そう言った。

「あ…、ありがとう…?」
不二子は、ジュンが突然、変な事を言いだすものだから、返答に困ってしまった。

「それじゃあ…」
再び別れの挨拶をし、ジュンに手を振る不二子。

もしかしたら、ジュンも以前は彼の事が…?

不二子は夜の住宅街を歩きながら、ふとそう思うのだった。


 翌日。
東京新宿、“Unseen Light”のオフィス内。

「ええっ!、マジですかぁ社長~!」
部下の和田が不二子に言う。

「うん、悪いけど一ヵ月くらい有給休暇取らせてちょうだい」
手を合わせ、拝むように和田に言う不二子。

「まぁ…、良いですけど…」
不承不承と和田。

「7月に入るまでは、大きなイベントも入ってないから大丈夫よ!」
「何かあったらスマホにかけて」

不二子はそう言うと、和田から強引に有給休暇の了承を得るのであった。


 更にその翌日。

乱反射する海からの光を受け、1台のBMWアルピナB3クーペが、海岸線を疾走する。
不二子はR135号線から、伊豆の今井浜方面へと向かっていた。



まずは彼の手帳の最初の頁に書いてあった、今井浜から当たってみることに不二子はしたのだった。

今井浜は、彼がハルカと出会った場所であり、ここから彼の旅が始まった、もっとも重要な場所であった。


カーナビが今井浜海岸駅に近づいたのを知らせる。
左に大きなホテル「今井荘」が確認できた。

不二子はウィンカーを左に出し、海岸方向へ左折した。




「ここね…」
車を停めた不二子が、サーフショップの前に立って言う。

「Soul Half」というその店は、サーフショップとレストランが一緒になった店だった。
不二子は早速、この店の店長と話してみることにした。



「ええ…、確かにここで働いてましたよハルカちゃんは…」
髭や頭に白髪が混じった初老の店長が思い出すように言う。

「でも、お母さんが体調を崩して東京に戻ってからは、1度もここへは現れてませんね…」(店長)

「連絡先とかは、まだ分かりますか?」(不二子)

「いやぁ…16年も前のスタッフですからねぇ…。ちょっと分からないですねぇ…」(店長)

「そうですか…。ありがとうございました…」
不二子は店長にそう言うと頭をペコリと下げ、店を後にした。


 (ここなら何か分かると思ったんだけどなぁ…)

不二子はそう思いながら車に乗り込むと、手帳に書かれた次の場所を確認する。

この次は稲取に行ってるのね…。

でも、ここでは誰にも接触してないみたい…。
海岸でテント張って泊ってただけみたいね。

ふんふん…。
そうか16年前、ここから東京のFM番組に電話出演してたんだぁ…。

その放送を、私が会社帰りに偶然聴いて、彼と連絡取ったのが、この稲取だったという訳ね。

不二子は更に手帳をめくる。

そして、その次には、私が呼び出した下田に移動してるわ。
私たちが最初に出会ってから6年振りに再会した、あの場所ね…。

よし!、次はこの、しのぶという、当時小学生だった女の子に会いに行くわ。

不二子はそう言うと、車を弓ヶ浜へと走らせた。


しのぶの自宅へ着いた不二子。
不二子への対応は、しのぶの祖母がしてくれた。

「どうぞ…」
縁側に座る不二子へ、冷えた麦茶を出してくれたしのぶの祖母。

「ハイビスカスがたくさんあるんですねぇ…」
庭を眺めながら不二子が言う。

「ええ…、あの子が好きだったもんで…、まだ大事に育ててます」と祖母が言う。

「それでしのぶさんは、今海外へ?」(不二子)

「ええ…、あのお兄ちゃんの影響で、引っ込み思案だった性格から、みるみる積極的な性格に変わりまして、今じゃあの子の両親と同じように、外国で仕事をしています」(祖母)

「お仕事は何をされてるんですか?」(不二子)

「外務省で外交官をやっています」(祖母)

「すごいですねぇ!、優秀なお孫さんで…」(不二子)

「へぇへぇ…。でも人間て、何が切っ掛けで変わるかなんて、ホント分からないもんですねぇ…」
しのぶの祖母は嬉しそうに、目を細めてそう言った。

「あのお兄ちゃんの事を思い出すと、今でもあの日にあった火事の事を思い出しますよ…」
遠くを見つめ、思い出すようにしのぶの祖母が言った。

「火事…?」(不二子)

「ええ…、私たちはあの火事があった日、あのお兄ちゃんにいろいろと助けてもらったんです…」(祖母)

(あのFM開局イベントの最終日の事だ!)
不二子は、あの日、最終日の放送に現れなかった彼の事を思い出した。

「そんな事があったんですか…?」

不二子はしのぶの祖母にそう言うと、あの日、不二子が彼の為に大物プロデューサーと引き合わせようとしたのに、当日現れなかった彼に対して、怒ってしまった自分を悔やんだ。

(なんで何も言ってくれないのよ…!)
(なんか私って、あの人のこと何にも分かってなかったんだなぁ…)

不二子はあのときの彼を思い出しながら、そう思うのだった。


「結局、ここでも手掛かりなしか…」
しのぶの家を後にした不二子が、夕暮れ道の中、駐車場に向かいながらそう呟いた。

初日は何の手掛かりも得られなかった。
不二子は明日、伊豆から移動し、他県にあるK屋旅館へ向かう事にした。


 翌日、K屋旅館に着いた不二子。
彼女は旅館前の広い駐車場へと車を停めた。

移動に時間が掛り、旅館に着いたのは午後4時となっていた。

駐車場には犬小屋があったが、犬は居なかった。

「そうよね…。16年も前の話ですものね…」

手帳に書かれた、人懐っこい番犬に会う事も楽しみにしていた不二子が、少し寂しそうに呟いた。


「ごめんくださぁ~い!」
旅館の扉をガラガラ…と開けた不二子が言う。

「はい、はい…」
奥から若女将らしい女性が出て来た。

「あの…、先日お電話した岬です」
不二子がその若女将に言う。

「初めまして、奥村マキです」
不二子より、少しだけ年齢が若そうな彼女が笑顔で言った。


「ええ…、覚えてますよ。ムラコシとおる伝説は、今でもこの村で語り草になってますから…」とマキ。

「ムラコシとおる~??」

なんか、有名なAV監督の名前みたいな芸名を使ってたのね…と、不二子は思った。
不二子の知らなかった彼の一面を、彼女はまたしても知る事となった。

マキの話によると、あの当時、敵対していたカキザキグループとも、今ではすっかり上手くやってるという事だった。

カキザキの息子のマモルも、今では会社の専務となり、父親の仕事を手伝い、この村の活性化に協力してくれているとの事であった。

「でも、まだまだ油断できませんッ!」
マキが瞳を輝かせながら、不二子に力強く言う。

「ムラコシさんが守ってくれたこの村を、役場とゼネコンの利権から守る為、私は来年の村会議員選挙に出馬するつもりですッ!」

ほぇ~…。たくましいなぁ…。
不二子はマキの熱い気持ちを聞かされながら、そう思うのであった。


 この日は、このK屋旅館しか回る事が出来なかった。
そして、またもや収穫はなかった。

でも不二子は、彼が訪れた場所へ行くごとに、自分もどんどん元気なエネルギーをもらってるんだと実感していた。

不二子は、今夜はこのK屋旅館に泊まることにした。


 翌朝、早めにチェックアウトした不二子は、今度は埼玉県のC市へ向かうことにした。
昼過ぎに現地へ到着した不二子は、まずはキョウの墓参りをした。

(元、ヒステリックスの伝説の女性ボーカリストが、晩年はここで暮らしてたんだぁ…)
不二子は、C市の町並みを眺めながらそう思った。

「ええ…、覚えてますよあのおじさんの事は…」
喫茶店で待ち合わせた三平という青年が、正面に座る不二子へそう言った。
三平という青年は、タレントの内山君によく似た人物だった。

「あのおじさんの勧めで、ナツはキョウばぁちゃんから歌を教わり、プロになりましたからね…」
三平が言った。

「プロ…?」と不二子が反応する。

「ええ…、キョウばぁちゃんが昔いたバンドが、新ボーカル募集のオーディションがあるというので、ナツはそれに応募して受かりました」と三平。

「ええッ!、それじゃあ、あのナツってコは、この手帳に書いてあるナッちゃんの事だったのぉッ!?」
その募集オーディションに関わっていた不二子が驚いた。

(だからキョウの生まれ変わりと云われる、ボーカルスタイルなんだ!)
(あのキョウから、直接手解きを受けてた訳ね…。どうりで…)

ナツのボーカルスタイルを、オーディション時に間近で見ていた不二子は合点がいった。

「ナツは、ばぁちゃんの事、1番好きだったからなぁ…。あいつはキョウばぁちゃんの意思を継ぐんだって、気合入ってたから…」
三平のその言葉を、不二子は、うん、うんと頷いて聞いていた。


ヒステリックスの新ボーカル、ナツの誕生についての真実を知ることは出来た。
だが、ここでもやはり彼の行方を知る手掛かりは掴めなかった。

「明日の茅ヶ崎が最後の場所ね…」
不二子は駅前のビジネスホテルの一室でそう呟くと、ライトの明かりを消した。


 翌日、茅ヶ崎駅前の海鮮居酒屋に訪れた不二子。
店に迷惑が掛からない様、ランチタイムが終わった時間帯に彼女は来ていた。

そのお店で働いていた、メイという少女は既に店を辞めていた。
不二子は店の主人の男性と、店内で話していた。

「あのお客さん、スゴかったねぇ~!」
彼の事を覚えていた店の主人が、声を弾ませて話し出す。

「うちのメイが悪徳業者に騙されたんですが、あのお客さんはその場所まで行って、あのコを助けてくれたんですよ!」

「そこでその悪いやつらを、まるで時代劇みたいにバッタ、バッタと木刀でなぎ倒して、メイを連れて帰って来たんですよ!」

店の主人は、まるで映画のストーリーを話すように、嬉しそうに話し出した。

(まったく…、あの人って行くとこ、行くとこ、いざこざ起こしてるのね…?)
不二子は、店の主人の話を聞きながら、少し呆れてそう思った。

「それでメイさんは、今どうしてるのかしら…?」
一通り話が済んで、スッキリした主人に不二子が聞いた。

「いや、それがね…、あのコが店辞めてから、全然何してるのか知らなかったんですけど、ある日TV観てたらメイが出てるじゃないですか!、いやぁ、驚きましたよ」
店の主人が言う。

「TV…?」
不二子が店の主人に聞き返した。



「ええッ!、あの、“オネキャン”のカリスマモデルのMayが、この店で働いてた、メイってコだったんですかぁッ!?」
不二子が驚いて言う。

もう行く場所、行く場所、散々驚かされてる不二子は、今度こそ驚くまいと心に決めて、訪ねに来たのだが、やっぱり驚いてしまった。

モデルのMayは、今や数多くのCMに引っ張りだこの大物タレントなのだ。

「いやぁ~もうビックリしました」と店の主人。

さらに店の主人は続けて言う。

「今思うと、あのお客さんがメイに、“君は背が高いのをコンプレックスにしてるけど、そうじゃない”、“その個性を活かして、モデルでもやってみたら良いじゃないか!”って言ってました」

「あのときの一言が、あのコをモデルの道に進ませたのかも知れませんねぇ…」

当時の事を思い出しながら、店の主人は感慨深くそう言った。


「ありがとうございました…」
店主との話も終わり、そう言って店を出る不二子。

「今度は飲みに来てよ!」
店を出た不二子に、店主が笑顔で言った。

「はい、ぜひ…」
不二子の方も微笑んでそう言うと、海鮮居酒屋を後にした。


「ここも手掛かりなしか…」
駅前の駐車場に向かって歩く不二子がそう呟く。

ポッ、ポッ…。

「あ…、雨…?」

空を見上げて、不二子が言う。
彼女が店を出てすぐ、空から雨が降って来た。

(そういえば関東は、まだ梅雨明け宣言されてなかったものね…)

ザーーーーーッ…。

次第に雨は強くなり、濡れる不二子。



「ふふ…」
空しく笑う不二子。

(あの人も、ここに来てたとき、茅ヶ崎では雨ばっか降ってたって、手帳に書いてあったわね…)

雨宿りもせず、ずぶ濡れになりながら歩く不二子。
彼女の髪からは、雨の雫がポタポタと流れ落ちている。

 もう行く場所は全て行ったわ…。
でも、結局何も分からなかった…。

ねぇ、あなたはどこにいるのよッ!?

安心してッ!
あなたが気にかけてた、あの人たちは、みんな凄いことになってるわよ!

ねぇ!、聞いてるのッ?
そんな他人(ひと)の幸せばっかり気にしてて、あなたの方は今どうなってるのよッ!?

あなたは今、幸せなのッ?
私はちっとも幸せじゃないよッ!

私のことも…、私のことも、少しは幸せにしてよぉッ…!

不二子はそう思いながら、目に涙を溜め、小さく震えた。
そして駐車場へと歩いて行った。



 久々に会社へ出社した不二子。
暦は7月になろうとしていた。

デスクに座る不二子は放心状態だった。

(大丈夫かな社長…?)
部下の和田が、元気のない不二子を心配そうに見つめていた。


ブルブル…。

その時、不二子のスマホが揺れる。
だが彼女はそれに、まったく気が付いていない様子だった。

「社長ッ!、スマホに着信来てますよッ!」
和田が不二子に着信を教える。

「はい…、もしもし…」
元気のない声で、不二子は電話に出た。

「カズです…」
電話口の相手はカズだった。

「どうしたの?、電話なんか掛けてきて…?」
不二子が言う。

「あいつが見つかった…」

「えッ!」

カズの言葉に驚いた不二子が言う。


「どうやって見つけたのッ!?」
不二子がカズに聞く。

「ハリーだ…。ハリーが今の警備現場で、あいつを見かけたんだ」とカズが言う。

「ハリーが…!?」

あり得る事だと不二子は思った。
ハリーは何故だが、こういった、人と人とを引き合わせる、不思議な運命を持った人物だったからだ。

「今住んでる場所も分かっている…」(カズ)

「どこなのッ?」(不二子)

「鎌倉の由比ヶ浜だ」(カズ)

「由比ヶ浜…!?」
意外と近くに潜んでいた事実に、不二子は驚いた。

「会うのか?」(カズ)

「もちろん会うわッ!」(不二子)

「今更やつに会ってどうする?」(カズ)

「会いたいのッ!」(不二子)

「君が思ってる、あいつじゃないかも知れないぞ」(カズ)

「それでも会いたいのッ…」(不二子)

「そうだな…。君にはやつと会う資格があるよな…」

少し間を置いてから、電話口のカズが不二子にそう言った。

「……。」
不二子は震える手でスマホを握り、カズの話を黙って聞いていた。

「分かった…。住所を教えよう…。あいつには俺から連絡しておく」(カズ)

「君は当日、やつの住んでる家に直接行ってくれ。変に電話で事前に話すよりも、直接会って話した方が良い…」(カズ)

「分かったわ…。じゃあ住所を教えて…」
不二子がそう言うと、カズは彼が現在住んでいる住所を教えてくれた。




 7月になった。

 良く晴れた日。
約束の日に不二子は、鎌倉の由比ヶ浜へやって来た。

強い日差しの中、日傘を差した不二子は、坂ノ下にあるという彼の住む場所を目指して、海岸線の遊歩道を歩いていた。

50m程先に、道路工事をしている様子が見えた。
場所がいまいち分からなかった不二子は、交通誘導をしている警備員に、道を尋ねてみる事にした。



「やや!、どうも、どうも!」

「ハリーッ!?」

驚く不二子。
交通誘導をしていた人物は、なんとハリーだった。

「えっ!?、あなたは今、警備会社で働いてるって…?」(不二子)

「これも警備業でやすよ…。この齢になると警備の仕事も、こういう仕事が回って来やす」(苦笑いのハリー)

「あの人のことですよね…?」
そう言ったハリーの言葉に、うん、うん、と頷く不二子。

「この前、ここで仕事してたら偶然会ったんです。そのとき話したんで本人ですよ」(ハリー)

その話を聞いて、ホッとする表情の不二子。

「ここを曲がった、すぐ先の古民家に住んでますよ」
ハリーが指を差しながら不二子に説明した。

「ありがとう…。助かったわ…」
不二子はハリーにそう言うと、足早にそちらへ向かって行った。

ハリーは、不二子の歩いて行く後姿を、微笑みながら見つめていた。

 路地裏に入って行くと、突き当りに一軒の古民家が見えて来た。

その家の前に到着した不二子。
玄関の脇には、白いサーフボードが立て掛けてあった。

(表札の名前が違うみたいだけど、ここがそうなのかしら…?)
不安であったが、高鳴る胸の鼓動が抑えきれない不二子は、その家のブザーを押した。

「は~い…」
ドアの向こうから、女性の明るい声が聞こえて来た。

ガチャ…。

ドアが開く。

少し日焼けしたショートへアの可愛らしい女性が、扉を開けて出て来た。
その女性は、30代半ばくらいの年齢に不二子には見えた。(※実はこの時、43歳)

「あ…、あの…」
何と言ったら良いべきなのか考える不二子。

「不二子さんですか?」
その女性が明るい笑顔で、不二子へそう話しかけて来た。

「は…、はい。そうですけど…?」
その女性が、自分の名前を知っている事に驚く不二子。

「ねぇ!、不二子さんがお見えになったわよ~!、上がっていただくわよ~!」
不二子だと確認したその女性は、玄関から奥の部屋に向かってそう呼びかけた。

「さぁ、どうぞ…」
女性は優しい笑顔で不二子に言う。

「失礼します…」
不二子はそう言うと、靴を脱いで家へと上がった。

不二子はドキドキしながら廊下を通り、奥の部屋へと案内された。

奥の部屋は8畳程の和室であった。
その部屋の縁側にあぐらをかいて、ギターを抱えた見覚えのある後姿が見える。

部屋の窓は全開だったが、窓枠には簾が紐で斜めにピンと張られており、太陽からの強い日差しがシャットアウトされている。

その為、少し薄暗い部屋の中では、まだその人物が誰だか不二子にはよく見えなかった。



「こーさん…、あなたなの…?」
縁側に座ってる後姿の男性に、恐る恐る声をかける不二子。

「よう…。久しぶりだな…」

縁側にいる男性が振り返り、不二子へ静かな口調でそう言った。
振り返った男性は、紛れもなく、あの彼であった。



「私、ちょっと買い物行って来るね…」
不二子の後ろに立っていたショートヘアの女性が、気を利かせてくれたのか?、静かにそう言うと、この場から外してくれた。

(妹なのかな…?)
不二子は、その場から出ていく女性の後姿を見つめながらそう思った。

「元気だったか…?」
そのとき、彼が優しい口調で不二子に聞いた。

「う…、うん。なんか突然いなくなっちゃったから、びっくりしちゃったわ…」
何を話して良いか分からない不二子は、たどたどしくしゃべる。

「すまなかった…」
不二子を見つめる彼が言った。

「いいの…。いいのよ別に…」
不二子が言う。

「ねぇ…、それギター…、もしかして弾いてたの?」
彼が抱えているギターを見て、不二子が聞いた。

「ああ…、以前ほどじゃないが、最近ようやく弾けるようになってきた…」
少しはにかんだ笑顔で彼が言った。

「また始めるのね?」
その言葉を聞いた不二子が嬉しそうに聞いた。

「ああ…、やろうと思えばいつからでも始められる…。人生に遅すぎたってもんは無い…」

「ふふ…、あの言葉ね?」

「ああ、さっきの彼女が、俺にそう教えてくれた…」

「えっ!…、もしかして…、さっきの女性(ひと)って…、ハルカさんッ?」

「そうだ…」

「会えたのねッ…!?」

「時間が掛ったけどな…」

「もしかして…?」

「女房だ…」

「けっ…、結婚したの?」

「ああ…」

「じゃあこの家は…?」

「彼女の自宅だ…。ずっとここに居候させてもらっていて、5年前に籍を入れた」

「そう…、なんだぁ…?」

不二子は動揺した。
そしてそれと同時に、全身に寒気が走った。

世界中で、自分だけが取り残された様な、そんな絶望感を今、思い知らされた。


 だが、この状況は十分予想がついた事だった。

彼は私に、ハルカが好きだと言っていた。
私はあのとき、自分の気持ちを彼に伝えていなかったのだし、私が勝手に盛り上がってただけの話だ。

だから彼は悪くない。
彼を責めることなんて、私にはできないのだ。

こうなる現実を、カズは私に味わわせたくなかったんだろう…。
だからカズは、私が彼に会うことを躊躇したし、会うのであれば、直接会って話せと言ったのだろう…。

でもしょうがないの。
だって私は、彼にもう一度会えない限り、前へ進む事が出来なかったのだから…。

こんな結末になってしまったけれど、それでも私は、彼に会えて良かったと思ってる。

ああ…そうか。
そうなんだ…。

“結婚してたら会いたくないとか、独身だったら会いたいとか、そういう事は別に関係ないんだ”と、あのとき言ってた彼の言葉…。

“人は別れる時、どう相手を見送るかという事が、とても重要なんだ”と言ってた彼の言葉…。

私にも、今やっと分かった気がするわ…。
あなたは私に、この事を言ってたのね?

あなたは最愛のひとを探し続け、そのひとに感謝する気持ちを、ただ伝えたかっただけ。
でも私はその後の展開まで欲張って期待してしまった。

彼は結果的にハルカさんとたまたま結婚し、私はそれが叶わなかった。
ただそれだけの事なんだ…。

不二子はそう思い、自分の気持ちに整理をつけた。


「それにしてもあなたって、性格もそうだけど、見た目も14年前と全然変わらないね…」
少し気持ちを落ち着けた不二子が、彼に言う。

「君だってそうだ…。あのときとまったく変わらない…。きれいだ…」

(そんなの、いまさら言うなんてズルいよ…)

不二子は泣きたくなった。
彼の言葉に悪気が無いのは分かっているが、だからこそ不二子には、その言葉が一層切なく感じさせられた。

「ねぇ?、いつから始めるの弾き語り…?」
不二子が彼に聞く。

「歌なんてどこだって歌えるさ…」

そう言った彼の笑顔を見て、不二子は震えが走った。

ああ…、あのときと一緒だ…。
16年前に下田港の駐車場で、彼が別れ際に私に言った、あのときの言葉だ…。

あのときの笑顔と、今の彼の笑顔がリンクする不二子。

このひとは、あのときとまったく変わっていない!
あの青春時代を共に過ごした彼と、今も何も変わっていなかったのだ!

「では、今ここから始めよう…」
彼が不二子へ静かに言った。

「えっ…?」

「観客は1人…。君のために歌おう…」

そう言って彼が目の前で歌い始めた曲は、私が彼の曲を初めて聴いたあの曲。
あの鵠沼海岸のイベントで、飛び入りで歌ってくれたあの曲だった。



「あ…、ああ…」
私は彼と初めて出会ったあの時の情景が甦り、涙が溢れ出て来た。

嬉しいのに泣きたくなるような、不思議な感情…。
私は、顔は笑っているのに、涙をポロポロ流して彼の歌を聴いている。

彼の後ろから差し込む、窓からの光。
その光はまるで、彼を照らすスポットライトのように、私には見えていた。

ありがとう…。

あの素晴らしい青春時代を共に過ごし、力になってくれたあなたに、本当に感謝しています…。

私の長かった旅が今ようやく、これで終わろうとしていたのだった…。



THE END






解説
2020年8月8日に完結した「夏詩の旅人」ですが、まだ物語の中で解明されていない部分がありました。
主人公は、ハルカとどうやって再会したのか?、なぜ東京へ戻ったハルカが鎌倉の由比ヶ浜に住んでいたのか?、そして長かった髪がショートボブに変わったしまったのは?
そして歌手のジュンは、誰と結婚したのか?
そして中出氏の怪しい秘密も謎のままです。
こうした疑問を解明すべく、続編が描かれる事となったのです。
次回からは新シリーズを時系列順に並べてアップいたします。
新シリーズでは、主人公が会社員だった頃の話から始まり、中出氏や、リョウ、マイといった面々と一緒に働いていた頃からスタートします。
そして不二子との出会いや、ハルカとの出会いも視点を変えて、もっと深堀して描かれて行きます。
そして、新シリーズの最終回は、主人公がハルカと再会するまでが描かれました。

次回新シリーズ
「夏詩の旅人2 リブート篇」で、またお会いしましょう!