爆走!ダーティー・ハリー(夏詩の旅人 1st シーズン) | Tanaka-KOZOのブログ

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 2007年10月、山梨県某所。
田園地帯をローカルバスが、遠くから走って来る光景。

ブロロロロ…。

キーッ

ガタンッ

プシューッ

ガーッ…。

「ふぅ…、やっと着いた…」
田舎道のバス停で、バスから降車する1人の女性がいた。

 彼女の名は、岬不二子37歳、独身。
音楽イベント会社、“Unseen Light”の、若き代表取締役である。
彼女は5年振りに、自分の実家がある山梨県へと戻って来たのであった。

「ホントここは、いつまで経っても変わらないわね…」
タラップから降りた不二子はそう言うと、自分の実家のある方向へと歩き出した。


 2週間前…。
東京新宿、“Unseen Light”のオフィス内。

「えぇッ!?、嫌よお見合いなんかッ!」
スマホでしゃべる相手に、不二子が言う。

「あんたも来年、38だろッ!?、いいかげんそろそろ結婚しないと、本当に誰も貰ってくれない齢になるわよッ!」
電話越しで、不二子の母親が言う。

「結婚なんてものは、タイミングでしょッ!?」と不二子。

「いいから、お父さんの顔を立てると思って、受けてちょうだいッ!」
「今から相手の写真を、あんたのパソコンに送るから見るだけ見てよ!」

母がそう言うとすぐに不二子のパソコンへ、母からのメールが届いた。
不二子は不承不承と、メールを開く。

(あれッ!?…、なんかイケメンじゃない♪)

メールの画像を開いた不二子は、写真の相手を見ながらそう思った。
画像のお見合い相手は、俳優の西島秀俊に似た感じの男性であった。

「どうだい?、良さそうな感じの男性(ひと)だろう?…」
電話越しの母が、得意げに言う。

「そうね…。誠実そうな雰囲気ね…」
母に気持ちを悟られない様に、不二子は平静を保って言う。

「私だって分かってんのよ。あんたが西島秀俊が好きだって事くらいさッ♪」
電話口の母が、不二子の気持ちを見透かした様に言う。

「うるさいなぁ…。分かったわよ!、で?、いつそっちに行けば良いの?」
母に本音を見透かされた不二子は、恥ずかしそうに母へそう応えた。

「再来週はどうだい?」

「分かった…。予定空けとく…」

「ふぅ…」
そうため息をつくと、不二子は自分のスマホを切った。

デスクに座って、スマホをぼんやりと眺めている不二子のところに、部下の和田がニヤニヤしながら近づいて来た。

「うひひひひ…。社長もいよいよ結婚ですか?…」
不二子を冷やかす様に、部下の和田が言う。

「ちょっとッ!、和田くん、盗み聞ぎしてたのねッ!?」
不二子が和田を睨んで言う。

「勘弁してくださいよッ!、あんな大声でしゃべられちゃ、聞くなってのが無理な話ですよッ!」
怒り顔の不二子に、和田が慌てて弁解する。

「ふぅ…。まぁ…、聞かれちゃったんならしょうがないわね…」

ため息をついた不二子が和田に言う。
「そういう訳で、私は来週から、しばらくお休みを取らせてもらうから…」

「ご武運をお祈り申し上げます…」
からかう様に和田が言った。

「もうッ!」

冷やかす和田に、不二子は拳を振り上げる。
和田は「うわっ!」と言って、頭を抱えながら自分のデスクへ走って逃げて行った。

その和田の後姿を見つめる不二子が、視線を自分の机の上に戻す。
彼女の机の上には、一冊の小さな手帳が置いてあった。

その手帳は1年前、鎌倉国大で起きたテロ事件のときに、シンガーソングライターの彼から託された手帳だった。
あれから、未だ彼の消息は不明のままだった。

(あなたは一体、どこ行っちゃったのよ…?)
心の中で手帳に向かって、そうつぶやく不二子。

その手帳を手に取ると、不二子はデスクの引き出しへ、ポンッとそれを入れた。


 翌週末になった。
不二子は新宿西口のバスターミナルから、長距離バスで実家の山梨県まで帰る事にした。

観光シーズンも過ぎ、バス乗り場にはあまり人が居なかった。
山梨行のバスを見つけた不二子が、バスに乗り込む。

するとバスの運転手が、不二子にイキナリ声をかけた。

「ややッ…!、どうもどうも…」

「えっ!…、あなたは確か…、イマイさん…?」
驚いた不二子が、その運転手に確認するように言った。

「ハリーで結構ですッ!」
そういうと運転手は、ガハハハハと笑い出した。

ハリーは1年前のテロ事件の時、鎌倉国大の警備員をしていた男であった。

「えっ…!?、えっ…!?、なんであなたがここに…!?」
「だって、あなたは警備員じゃ…?」

「クビになっちゃいました…。それで今は長距離バスの運転手をやってます!」
明るく笑って言うハリー。

「そうなのぉ…?」
不二子が驚いた顔をして、ハリーに言った。

「ところでお嬢さん。今日は何しに山梨まで…?」とハリー。

「えっ!?…、まぁちょっと実家にヤボ用があってね…」

「お見合いですか?」

「えッ!?…」
ハリーからイキナリ確信を突かれた質問をされ、たじろぐ不二子。

「やはりそうでしたか…」
ふぅ…と、ため息をついてハリーが言った。

「どうして分かったのッ?」

「適齢期の美しい女性が、こんな時期に実家へヤボ用と言えば、大体そんなところです…」

運転席に座るハリーは正面を向いて、独り言の様にそう言った。
不二子はそれを黙って聞いている。

「残念です…」とハリー。

「えっ?」
何が?と、不二子。

「あなたには…、不二子さんには、もっと相応しい相手がいると思ってたんですけどねぇ…」
ハリーが少し寂しそうな表情で言った。

その言葉を聞いた不二子は、「ハリーはきっと、あの行方不明になっている彼の事を言ってるのだろう」と思った。

無言のハリー。
だが彼の言った相応しい相手とは、行方不明のシンガーソングライターの事などではなかった。

不二子は、その相手というのが、まさかハリーが自分の事を言ってるのだとは、知る由も無かったのである。

 そして、不二子のお見合い当日。
お見合いの場所は、市内にある有名な割烹料亭であった。

テーブル席の窓からは、立派な枯山水庭園があった。
松の木や、しっかりと刈り込まれたドウダン。
そして大きな池では、錦鯉が優雅に泳ぐ姿が見えた。

(なんか女性政治家みたいな服…)
不二子は着なれない白いスーツを身にまとって、見合いの席に着いていた。

「こちらが椎名一平さん…」
不二子の母が、彼女の正面に座っている男性を紹介した。

「初めまして…、山梨県警に勤めております。椎名と申します」
正面の男性は爽やかな笑顔で、不二子にそう言った。

「椎名さんは刑事さんなのよ」と不二子の母が言う。

「刑事…?」
不二子は、「へぇ…」という表情で、正面の椎名を見る。

「とても優秀な刑事さんで、来月から東京の警察庁へ出向されるそうよ」
「だからあなたは、東京でそのまま暮らしいても問題ないという訳よ」

不二子の母は、椎名をどんどん押して来る。

 それから見合いは、互いに形式上の挨拶が済むと、お決まりの文句が出て来た。

「じゃあここから先は、お互い若い者同士でお話した方が良いみたいだから、私たちはこれで失礼するわね…。ウォホホホホ…!」

不二子の母がそう言うと、相手男性の親と一緒に、そそくさとその場から立ち去って行った。

 椎名と2人になった不二子。
それから2人は、お互いの価値観などをじっくりと話し合った。

 椎名は警察のエリートであった。
年齢は不二子と同じ37歳。
誠実だがけして堅物ではなく、気さくでユーモアもあり、話しやすいタイプであった。

(こんなに素敵な人が、どうしてまだ残ってたのかしら…?)

不二子はそう思いながら椎名と話しているうちに、なんとなくその理由が分かってきた。

「日本の職業で1番ブラックなのは、実は警察なんですよ…」と、笑顔でしゃべる椎名。

そうなんだな…。
事件が起きれば呼び出されるし、所定の勤務時間なんて、警察にはあっても無いようなものだものね…。

県警期待のエリートの彼は、仕事に追われて恋人なんか作る時間も無かったに違いないと、不二子は気づいたのだった。

(こういう男性と一緒になって、安定した生活を送るのもアリなのかなぁ…)
不二子は椎名の話を聞きながら、まんざらでもない気持ちになっていた。

「不二子さん…、1週間後にお返事ください」
「私の気持ちは決まってますが、あなたは1週間じっくりと考えてから、今日の返事をいただいても構いませんので…」

椎名は正面に座る不二子を、まっすぐと見つめながらそう言った。

不二子の心は揺れていた。
想像したよりも遥かに誠実な椎名の振る舞いに、どんどんと惹かれていく自分がいたのであった。

 5日後。
不二子は1週間の休暇を取っていたので、まだ実家の山梨に滞在していた。

椎名への返事をする日まで、あと2日となっていた。
不二子はこの日、市内のシオンまで買い物に出かけていた。

買い物が済んでシオンを出る不二子。
すると不二子の後ろから、彼女を呼ぶ声が聞こえた。

振り返る不二子。

「あらっ?、ハリーさん!?」



「ややッ…!、どうもどうも…」

頭を掻きながら不二子に近づくハリー。
彼もシオンの袋を脇に抱えていた。

「あなたもお買い物…?」

「そうなんですよ」
そう言うと、ハリーはいつもの様に「ガハハハハ…」と笑い出した。

「よく会うわね…?」
ハリーと一緒に歩きながら不二子が言う。

「まったくです!」

「あなたまさか、私の事、付けてるんじゃないでしょうね?」
不二子が怪訝そうな顔をして、ハリーに尋ねる。

「そんな、とんでもないッ!、あっしは今日、たまたまオフだったんで買い物してただけですよッ!」
手を左右に振って、慌てて弁解するハリー。

「あっしの勤務は、初日は移動して現地に着いたら、翌日は現地で休みとなって、3日目にまた東京へ戻るというシフトなんですよ!」

「へぇ…」と、冷ややかな眼差しでハリーを見つめる不二子。

「そして東京に戻った4日目は明け休みとなり、またその翌日には、新宿から山梨方面へとバスを運転してるんです!」
「だからここには、しょっちゅう来てるんです!」

ストーカーの疑いを晴らそうと、必死に言うハリー。

「まぁ…、確かにこんな田舎じゃ、買い物するのにもシオンしか無いものね…」
不二子が言う。

「そうですよッ!、こんなド田舎じゃ、ここしか買い物するとこ無いじゃないですかッ!?」

「悪かったわね!、ド田舎で!」

「あっ…、失礼致しました…」
ハリーは、頭をかいて不二子に謝罪した。

「あっ!、もうバスが来てるわ!」
バス停方面に歩いていた不二子が言う。

「なんか停車してる場所が違うみたいですけど…。まぁいいや、乗っちゃいましょう!」とハリー。

2人は停車している路線バスへと乗り込んだ。

「あッ!、ちょっとお客さんッ!」
不二子とハリーがバスに乗り込むと、運転手が慌てて寄って来た。

「何?」
不二子が運転手に言う。

「いや…、このバスはちょっと…」
気の弱そうな運転手が、もごもご言う。

そこへ、おばあさんと背の高いメガネの男性も、バスへ乗り込んで来た。

「はぁ~、間に合ったぞい…」(老人)

「ラッキー!、座れる♪」(メガネの男性)

「ああ…。困りますお客さん!、急いで降りて下さい!」
運転手はジタバタしながら、乗客たちへ言う。

その時であった。
1人の男が怒鳴りながら、バスへ駆けこんで来た!

「おいッ!ヨシロウッ!、ダメだ!襲撃は失敗した!、早くバスを出せ!、直にお巡りがやって来るッ!」
サバイバルナイフを手に握った男が、運転手に慌てて言う。

「んッ!?」

バスに乗客が乗っている事に気づく、ナイフの男。
固まる乗客たち。

「ヨシロウ!、こりゃあ一体どういう事だ!?」

「勝手に乗って来ちまったんです…」
気弱そうな運転手が、ナイフの男に言う。

「なんだとぉッ!?」
「いや…、ちょっと待てよ…。こりゃあ好都合かもしんねぇなぁ…」

ナイフを握った男が、乗客を眺めながら不敵な笑みを浮かべた。
不二子はナイフの男を、じっと睨みつけていた。

 山梨県警捜査一課内。

「お~なんだこりゃ!、なかなかのべっぴんさんじゃねぇか椎名ぁ~!」
椎名の上司である飛松刑事が、お見合い写真を手に言う。

「こりゃあ、どうも…」
上司に、不二子とのお見合いの報告をした椎名が、照れ臭そうに言った。

「俺の時代もそうだったが、やっぱヨメさんは外で見つけるに限るなッ!」
飛松が椎名に言う。

「飛松さんの時も、結婚相手は外部から見つけたんですか?」

「おうよ!、まぁ俺の若い頃にゃぁ、県警に女性職員なんてほとんど居なかったしな!」

「でも、今じゃ県警にも、女性警察官がたくさん増えましたね」と椎名。

「居る事は居るんだが…、やっぱ、ほら、おめぇもアレだと思ってっから、外部で相手探したんだろぉ?」
飛松がニヤリとして言う。

「アレと言いますと…?」

「ブスばっかッ!」

「えっ?」



「県警の女は、ブスばっかッ!」
そういうと飛松は、「ワハハハハ…」と笑い出した。

「ちょっと!、飛松さん!」
周りの女性職員たちから、冷たい視線を浴びせられている椎名は、慌てて飛松を黙らせようとした。

ブーッ、ブーッ…。

その時、県警内で非常警報が鳴った。

「北斗市日野張町郵便局にて強盗事件が発生ッ!、犯人は逃走し、路線バス内に立て籠もった模様…。至急現場へ急行してして下さいッ!…、繰り返します!、北斗市日野張町郵便局にて強盗事件が発生…」

「事件だッ!」と椎名。

「行くぞ、みんなッ!」
飛松がそう言うと、捜査係の連中が一斉に部屋を飛び出した。

 現場に到着した椎名たち。
停まっている路線バスの周辺には、やじ馬や報道陣が集まっていた。


「おお~、おお…。いっぱい集まって来やがったな…」
ナイフの男が、車窓から外の状況を見つめながら言う。

「だがこっちには人質がいるんだ。手も足も出せまい…」
ナイフの男はそう言うと、「ククク…」と笑った。

「人質なんかにならんぞいッ!」

その時、乗客の一人の老人が突然言い出した。

「なんだとババア~!?」

「人質なんぞにならんと言うたんじゃぁッ!」
おばあさんがナイフの男を睨んで言う。

「てめぇッ!」
ナイフの男が激情し、老人の胸倉を掴んだ。

「ぎゃあッ!」と老人。

「ちょっとッ!、やめなさいよッ!」
不二子がナイフの男に怒鳴った。

(私はあの時…、あのテロの時、泣いてばかりいて何も出来なかった…ッ!)
(でも、今は違うッ!、私も…、私だって強くならなくっちゃぁッ!)

不二子はそう思い、ナイフの男の前に立ちふさがったのだった。

「人質はこんなにいらねぇ…。てめえらは、今この場で殺してやるッ!」
ナイフの男が、不二子と老人に凄んで言ってきた。

「やめてください的場さんッ!、誰も傷つけないと言ったじゃないですかッ!」
バスの運転手がナイフの男の腕をつかんだ。

「てめぇッ、放せヨシロウッ!」
的場と呼ばれたナイフの男が、バスの運転手の手を振りほどこうと暴れる。

「うぁッ…」

バスの運転手のヨシロウが、腕を押さえてしゃがみ込む。
彼の腕からは、血がポタポタと滴り落ちていた。

的場が腕を振り回した拍子に、ヨシロウの腕がナイフで切られたのだった。

「ばかやろう…、余計な事すっからだッ!」
後ろのヨシロウに振り返って、的場が言う。

その時、ヨシロウの方に顔を向けてた的場の股間を、不二子が後ろから思いっきり蹴り上げた!

キ~ンッッッ…!

「ぐぁッ!」

ナイフを落とし、股間を押さえる的場。
そこへハリーが、的場の胴回りを素早く抱え込み、裏投げを仕掛けたッ!

「チョリソォ~ッ!」

ズガ~ンッ!

身体を思いっきり反らしたハリーの投げ技で、的場は頭から床に打ち付けられた。

「バックドロップはヘソで投げる…。鉄人ルー・テーズの言葉です!」

失神した的場を見下ろしてハリーが言う。
そう、柔道技の裏投げは、プロレス技でいうバックドロップの事なのだ。

「ううッ…、みなさんッ!、すいませんでしたぁ~ッ!」
バスの運転手のヨシロウが、イキナリ乗客たちに泣いて土下座をして来た。


「うう…、うう…」
泣いて顔を伏せているヨシロウ。

「あなたは何も悪い事してないわ…。あなたは私たちを助けようとしてくれたじゃない?」
泣いているヨシロウの傍でしゃがんだ不二子が、そう言った。

「そうじゃ!、わしもなんともないわい」とおばあさん。

「僕も特に被害を受けてませんよ」
メガネの男性も言う。

「あなたは悪い人じゃなさそうね…。なんでこんな事したの?」

「……。」
黙り込むヨシロウ。

「何か訳があるんでしょ?」

「ううッ…」
不二子の言葉に嗚咽を上げるヨシロウ。

「話してくれないかしら?…」

「実は…」

ヨシロウは話し出した…。

 ヨシロウは隣町でラーメン屋を営む、35歳の男性であった。
彼の作るラーメンは口コミで評判を呼び、地元ではちょっと知られるお店として、そこそこ繁盛していた。

だがある日、バイト学生が焼いた餃子の焼き加減が甘くて、お客に食中毒を起こさせてしまった。
それが原因でヨシロウの店は、地元で悪評が広がってしまう事となる。

狭い田舎町の悪い噂はあっという間に広がり、ヨシロウは莫大な借金を残して、店を閉める事となってしまったのだった。
借金を抱え込んだヨシロウは、妻の両親に離婚を迫られてしまう。

そんな頃、妻の妊娠が発覚。
しかし妻の両親は、ヨシロウの借金問題が解決しない限りは、妻に会う事を許さなかった。

困っていたヨシロウに、高校時代の先輩である的場から、こんな話を持ち掛けられる。

「郵便局へ強盗に入る!、お前はバスを停めて待ってくれるだけで良い」

実は的場もギャンブルが原因で、借金を抱えていた。
一方、ヨシロウはラーメン屋を廃業した後、地元のバス会社に就職し、運転手をしていたのだった。

「お前が休みの日に、会社のバスをこっそり持ち出して、郵便局の裏にバスを停めて待ってくれてるだけで良い」
「強盗は俺が1人でやる。そのバスで俺は逃走する。まさか路線バスで逃げるとは警察も考えつくめぇ…」

的場はヨシロウにそう言った。

ヨシロウは早く借金を返済したかった。
そして早く妻に会いに行きたかった。

 更に、ヨシロウの妻は今朝、激しい陣痛に見舞われ、実家近くの県立丘の上病院へと運ばれた。
ヨシロウの妻は、今まさに子供を出産しようとしている最中だったのだ。

「そんな事があったの…?」
不二子がヨシロウへ静かに言う。

「はい…、でも、もういいです…。私は自首します」
土下座のまま、顔をうつむいてるヨシロウが言う。

「出産に立ち会いたかったのね…?」

「はい…。でも、もういいんです。悪いのは自分なんですから…」
ヨシロウは顔を伏せてブルブル震え泣いていた。

「会いに行きましょうよ!」

「えっ!?」
不二子の言葉に驚いたヨシロウが顔を上げる。

「奥さんに会いに行こうと言ったのよ!」
「だってあなた、今逮捕されたら奥さんに当分会えないわよ。子供の顔だって見たいでしょ?」

「でも、そんな事が…」

「大丈夫!、私、県警に知り合いがいるから頼んであげる!」
「奥さんと子供に会ったら、すぐ自首するんだから大丈夫よ!」

不二子はヨシロウに、「私にまかせなさい!」という感じで、笑顔で言った。


 「あッ!、犯人が今、警官に抱えられバスから連れ出されました!」

バスの周りにいたTVリポーターが、マイクを手に話し出す。
的場が警官たちに連行された。

 「不二子さんッ!、どうしてここにッ!?」
バスの人質の中に、不二子がいたのに驚いた椎名が言う。

「一平さん…、お願いがあるの…」
バスの降車口から身を乗り出した不二子が、目の前に立っている椎名刑事に言った。

 「それはなりません!」
不二子から、ヨシロウの連行を待つように言われた椎名が、きっぱりと言った。

「どうしてッ!?、彼は何も悪い事してないのよッ?」
「彼は私たちを助けてくれたのよッ!」

「それでも共犯者です!」

「彼も罪を認めて自首すると言ってるわッ!、ただ最後に少しだけ、奥さんと赤ん坊を見る時間だけ待って欲しいのッ!」

「なりません…」

「大した時間は取らせないわ!」

「分かって下さい、不二子さん!」

「あなたは、生まれて来る子供に会いたいという、親の気持ちが分からないのッ!?」

「失礼しますッ!」
椎名はそう言うと、強引にバスへ乗り込もうとした。



ドカッ!

「うわぁッ!」

その時、不二子が降車口からバスに乗り込もうとした椎名に、タイトスカートの股を思いっきり開げて蹴り飛ばした。
尻餅をつく椎名。

「ハリーッ!、ドアを閉めてッ!」
叫ぶ不二子。

「はいッ!?」
何事かと聞き返すハリー。

「早くッ!、早くドア閉めてーッ!」

「は、は、はいッ!」
急いで運転席へ走るハリー。

プシューッ…。

「不二子さんッ!、何考えてるんですかッ!?、ここを開けてくださいッ!」
降車口をドンドンと叩く椎名。

「ハリー!、発車してッ!」

「えっ!?、どちらへ?」

「いいから早くッ!」

「分かりやしたぁ~!」

ブロロロロ~ッ…。

バスが動き出す。

「あッ!、不二子さんッ!」
椎名がバスに向かって叫ぶ。

「ああッ!、今共犯者とみられる男が運転するバスが動き出しましたッ!」
「犯人は大胆にも、警察の目の前で逃亡しましたぁッ!」

その様子を見ていたTVリポーターが、興奮気味に叫び出す。

「見えちゃった…」
走り去るバスを眺めながら、上司の飛松刑事がポツリと言う。

「何がですか!?」
飛松に聞く椎名。

「あのコのパンツ…」
そういうと飛松はニタニタした。

硬直した怒り顔の椎名が、プルプルと震えながら、懐から拳銃を出そうとする。

「わ~ッ!、見てないッ!、見てないッ!、見えんかったッ!」
拳銃を向けられそうになった飛松が、慌てて椎名に叫んだ。

「こ…、こんな事…」
血の流れる腕を押さえながら、ヨシロウが不二子に言う。

「いいのッ!、このままこのバスで、丘の上病院へ向かうわ!」
不二子は正面を向きながらヨシロウへ言う。

「でも、みなさんにご迷惑が…ッ」

「わしゃの事なら心配いらん」と老人。

「わしゃも、あんたに赤ん坊を会わせてやりたい…」
「それには、人質が乗ったバスでないと、警察にすぐ止められてしまうけんの…」

そういうと老人はヨシロウに、ニコッと微笑んだ。

「僕も、なんか面白そうだから構いませんよ」
メガネの長身男性も続けて言った。

「みなさん…」
みんなの言葉にヨシロウは、プルプル震えながら泣いた。

「じゃあ決まったわね?、ハリー!、このバスで県立丘の上病院まで向かってちょうだいッ!」

「へ~い!」
不二子にそう言われたハリーも、ハンドル握りながらノリ良く返事した。

「これも何かの縁ね…。みんな自己紹介しましょうよ」
不二子がバスに乗っているみんなに言った。

「私は岬不二子…。音楽イベント会社、“Unseen Light”で代表取締役をやってるわ」

「彼はハリー。警備員だったけど今はバスの運転手をやってるの」
運転するハリーの方に顔を向けて、不二子が言った。

「わしゃ、トメ。渋川トメじゃ…」
老人が言う。

「東日本の震災で、住んでた土地から立ち退かされた。それで今は、息子夫婦のいる山梨県へ移住してきた訳じゃ…」
※「あの日から消えた笑顔」の回、参照。

「あの震災で…?、お気の毒に…」
不二子はトメの言葉に、鎌倉国大での事件を思い出した。

「僕は中出(ナカデ)。中出ヨシノブと言います」
今度は、メガネの長身男性が言った。



「ワケあってヤクザに命を狙われてるので、今はこの山梨で身を潜めています」

「ちょっと!、あなた何か事件でも起こしてるのッ!?」
中出氏の言葉に驚いた不二子が彼に聞く。

「そんな事はしていません…」
神妙な顔つきで中出氏が言う。

「何か訳がありそうね…?、話してくれない?」
不二子は先ほどのヨシロウと同じように、中出氏にも訳を聞いてみた。

「実は、娘が生まれてから女房が僕の事を、全然かまってくれなくなりました…」

(なんじゃそりゃ?)と思いながら、不二子とトメは、ふんふんと頷いて中出氏の話を聞いた。

「それで僕は寂しさの余り、地元東京の国分寺にあるスナックの女に手を出してしまいました」
「そしたらその女はヤクザの女でして、僕は命が狙われてるという訳です」

「なによそれッ、自業自得じゃないッ!?」
呆れた感じで不二子が言う。

「真剣に聞いて損したわいッ!」
トメも言う。

「まったく…、娘が生まれたばかりだってのに、何でもアリなのね!?」

「私の人生、バーリトゥード(何でもあり)ですから…」
そう言うと中出氏は、中指でメガネを押し上げて、ニヤッと不二子に微笑んだ。


 田園地帯の一車線道路を疾走するバス。
その後ろからは、県警のパトカーと白バイが追跡をしている。

ファン、ファン、ファン、ファン…。

パトカーには運転する椎名と、助手席には飛松が乗っていた。

ブルブルブル…。

不二子のスマホに着信が入る。
相手は椎名だった。

「もしもしッ!?」
不二子が少し怒り気味に、電話に出た。

「不二子さんッ!、馬鹿な真似はやめてくださいッ!、早くそのバスを停めてくださいッ!」
インカムマイクを付けた椎名が、不二子へそう呼びかける。

「言ったでしょッ!?、私たちはこれから、彼を奥さんと赤ちゃんに会わせる為に、丘の上病院へ行くんだってッ!」
不二子が言う。

「不二子さんッ!、法を犯さないでくださいッ!」

「うるさいわねぇ~…。なによ!、あんたは捕まえる事しか考えられないのッ!?」

「捕まえるのが、我々警察の仕事ですッ!」

「話になんないわッ!、このッ!、鬼ッ!、悪魔ッ!、不動明ッ!」

プツッ…。

ツー…、ツー…、ツー…。

「ん…!?」(不動明~…?)
電話を切られた椎名は、不二子が言った最後の名前の意味する事が分からなかった。

「あっ!…」と、閃く椎名。



(デビルマンに変身する主人公の名前だぁ!)

なぁ~るホドと、納得する椎名。

(こんな非常事態でも不二子さんって、さり気なくギャグをかましてくるんだぁ…)
(なんて奥ゆかしい女性なんだッ!)

(けっ…、結婚したいッッ!!)

椎名はそう思うと、頬をポッと赤らめた。

「お前…、なに顔赤くしてんだぁ?」
助手席の飛松が運転する椎名に言う。

椎名は「ハッ!」と、我に返ると飛松に言う。
「飛松さんッ!、なんとしても、あのバスを停めましょうッ!、ここで好き勝手にやられたら、県警のメンツは丸潰れですッ!」

「よしッ!、白バイ隊員をバスの前に回り込ませろッ!」
飛松が言う。

「了解ッ!」
椎名はそう言うと、白バイ隊員に指令を出した。


「不二子さん、何してるんですか?」
スマホをいじってる不二子へ中出氏が言う。

「こうなったら民意を問うのよ!」
「Twitterでつぶやいて、私たちの行動を国民がどう思うのか問うの!」
スマホを操作しながら不二子が言う。

「これでよしッ!…」
そう言うと不二子はツィートをした。

「おいッ!、後ろから白バイが向かって来るぞいッ!」
トメが叫ぶ。

ウ~、ウ~…。

白バイが、右側からバスを追い越そうとしている。

「ハリーッ!、ハンドルを右に切ってッ!」
運転席のすぐ後ろまで移動して来た不二子が、ポールに掴まりながら言う。

「へいッ!」

不二子に指示された通り、ハンドルを右へ切るハリー。

バスが道をふさぐ。
白バイが速度を落とす。

だがずっとハンドルを右へ切っていると、バスが田んぼに突っ込んでしまう。
ハリーはすぐハンドルを反対に切る。

すかさず白バイが追い抜こうと加速する。
ハリーも急いで、またハンドルを右へ切り、白バイから抜かれまいと抵抗する。

不二子はバスの進行方向を、険しい表情で見つめていた。

田園地帯が広がる狭い1本道の為、ハリーは再びハンドルを左へ戻す。
その時、白バイが強引に追い抜こうと加速した。

「今よハリーッ!、大きく切ってッ!」

不二子が叫ぶ。
ハリーがハンドルを右に大きく切るッ!

白バイの目の前にバスが飛び出す。

「うわぁッ!」
激突を回避する為、白バイが右へ慌てて避けた。

バオンッ!

縁石を乗り上げ、飛び上がる白バイ。
白バイはそのまま田んぼへ突っ込んだ!

バシャ~ンッ!…。

「バカヤロォ~…!」

田んぼで尻餅をついている白バイ隊員が、走り去るバスに向かって叫ぶ。
彼の横には、田んぼにめり込んだバイクの後輪が、カラカラと回り続けていた。

やった!やった!やったぁ~!

白バイ撃退に成功したのを見て、バスのみんなが歓喜の叫びを上げた。

「今回は上手くいったけど、このままじゃ停められるのも時間の問題ね…」
みんなが浮かれる中、冷静な不二子は何か良い方法はないかと考える。

「山の中の林道を使いましょう!」
中出氏が突然、不二子に言う。

「林道なら狭いから追い抜かれませんよ!、山道を使って峠を越えれば、丘の上病院までは、そう遠くありません!」

「分かったわ…。ハリーッ!、次の角を右折して山へ向かってちょうだいッ!」
不二子がそう言うと、ハンドルを握るハリーが「へ~い!」と返事をした。

 「ここを右に入って下さいッ!」

運転するハリーに中出氏が言う。
ハリーの運転するバスは、「恋人峠」と書かれた矢印の方へ曲がった。

 バスは山道をグングン上がって行く。

バスの走る道は細い林道だった。
一応二車線だったが、バスはカーブを曲がる度、大きくセンターラインを越えて曲がらなければならなかった。

「カーブの時、対向車線から車が来たら一巻の終わりね…」

不二子はバスの行方を見つめながら、そう呟く。
彼女の額からは、一筋の冷や汗が流れた。

 バスを追跡する、椎名が運転するパトカー。

「ラブホ峠に向かう様だな…?」
助手席に座る飛松が、椎名に言う。

「あの険しいジグザグの峠道なら、追い抜かれないという考えなんでしょう…」
ハンドルを握る椎名が言った。


「それにしても、恋人峠なんて、ずいぶんロマンチックな名前の場所なのね」

バスの車内。
不二子が中出氏に言った。

「地元では有名なスィートスポットですから…。僕もずいぶん覗きに行きましたよ」
中出氏がニヤッとして言う。

「覗き…?、眺めるじゃなくて?、星とかを…?」と不二子。

「覗きです!、あの場所は地元では、誰も恋人峠なんて言いませんよ!」
「地元では、もっぱらラブホ峠と呼ばれてまして、夜な夜な車で峠にやって来るカップルが、車の中でチョメチョメ……」

中出氏が声を躍らせて、笑顔で言う。

「なんとッッ!?…」
その時、中出氏の話にハリーが喰いついたッ!

(早く続きを話せいッ!)と、言わんばかりの顔をするハリー。
その表情は、まるで今にも飛び掛かって来そうな猛犬の様だった。



目は完全に座っている。
ハンドルこそ握ってはいるが、顔の向きは完全に、後ろの中出氏の方をハリーは見つめていた!

プァーッ!、ププァーッ!

その時、ダンプのクラクション。

「ハリーッ!、前ッ!、前見てぇえええッ!」
慌てて叫ぶ不二子。

センターラインを完全に越えてるバス。
その正面から、ダンプカーが迫って来た!

「きゃぁあああああッ!」
叫ぶ不二子。

「むぉッ!」
急いでハンドルを反対に切るハリー!

すんでのところで、正面衝突から逃れるバス。

バキャッ!

だがバスのサイドミラーが、ダンプと接触して飛んだ!

ハンドルを大きく切ったバスのボディは、横に流れて対向車線に飛び出した!

ギャッ!…。
タイヤが軋む。

ガンッ!

キキッ…、ギギギギギーーーーーッ…!

ダンプの荷台と接触した!、バスのボディに線のキズが走るッ!

ギギギギギーーーーーッ…!

うわぁああああッ!

ヨシロウとトメが叫ぶ!

大きく傾くバス。
だがなんとか持ちこたえる。

ブロロロローッ…。

「バカヤローッ!」

すれ違い走り去って行くダンプの運転手が、窓から顔を出して、こちらに向かって怒鳴っていた。

「ちょっとッ!、あんな話するとハリーが運転に集中できなくなるからヤメてッ!」
不二子が中出氏に怒鳴った。

「不二子さん、日本は言論の自由が守られているんですよ…」
中指でメガネのフレームを押し上げながら、中出氏が澄ました顔で言う。

「ナイタイやデイスポを、こよなく愛する私としては、いかんせん夜の情報を発信するという行為は、むしろ自然と言えるのではないでしょうか…?」

「あんたの能書きはいいから…、ヤメてッ!…、分かったぁッ!?」
中出氏が言い終わるや否や、鬼の形相の不二子が中出氏に詰め寄って言う。

「はいッ、はいッ、分かりましたぁ~ッ!…」
不二子の表情に恐れをなした中出氏が、慌てて言った。

 バスは険しい峠道をジグザグに上がって行く。
曲がる度、対向車線へ大きく飛び出すバス。
一歩ハンドル操作が遅れれば、崖の下へと真っ逆さまだ。

「もうすぐ峠だな…」
追跡してるパトカーの飛松が、前を走っているバスを見ながら言う。

「よくこんな狭い道を、あのバスで上って来たもんですね?」
運転する椎名が言った。

「峠を越えたら下り坂になる。本当の危険はこれからだ…」

「ええ…」
飛松のその言葉に、椎名は緊張の面持ちで言う。

「巻き添いを喰らっちゃたまらん…。すこし距離を保って追跡しろ」
椎名に指示する飛松。

「分かりました」
(不二子さん…。どうかご無事で…ッ)
そう願いながら運転する椎名であった。


「あっ!、不二子さん!、Twitterに反響出てますよ!」
後部座席に座る中出氏が、スマホをいじりながら言う。

(別にいいじゃんちょっとヨメに会うくらい)

(警察が拒んだ事で、すんなり済んだ事件がややこしくなったな…)

(そういうわけにも、いかんだろ)

(いいんじゃね?すぐ自首すんだし)

(会わしてやれよ)

(がんばれよ~)

(TVみながら応援してます!)


「概ね、世論は我々の行動を支持してるようですね…」
中出氏が言う。

「そう…」
運転するハリーの後ろで立っている不二子が、ポールに掴まりながら後ろの中出氏に振り返えって言った。


 そしてバスは、ついに恋人峠を通過した。

「あっ!…」と中出氏。
その中出氏を、ギロリと睨む不二子。

中出氏は、この場所について何か解説したそうであったが、不二子に睨まれたので黙ってしまった。

「ハリー…、峠を越えたわ。ここからは下りになるから気を付けてね…」
不二子が、ハンドルを握るハリーに言った。

「わかりやした…」
ハリーはそう言うと、バスのギアをローへシフトダウンした。

トメとヨシロウは、そんな2人の会話を聞き、緊張しながら状況を見守っていた。

ガタンッ…。

ゴウンッ!

揺れるバス。
ローギアでも、少しづつバスが加速していくのが分かる。

ゴーーーーーーッ…。

「ハリー!、スピード出し過ぎじゃない?、大丈夫?」
不二子が言う。

「仕方ありません。車体が重い分、加速してしまいます」

「かと言ってブレーキばかり踏んでると、今度はベーパーロック現象でブレーキが利かなくなって、逆に崖へ転落してしまいます」

ハンドルを握るハリーが、緊張した面持ちで言う。

ゴーーーーーーーッ…。

目の前に、L字カーブが見えて来た。

ハリーがハンドルを大きく切ろうとした瞬間、対向車線からバイクが飛び出して来た!

ハンドルを切るのが遅れたバス!
もう目の前にはガードレールがッ!

「きゃぁッ!」
叫ぶ不二子。

「ぬおッ!」
ブレーキを踏み、ギアをニュートラルに入れたハリーが、素早くハンドルを右へ切るッ!

ギャッ!
タイヤが軋む。

ブンッ!
バスのケツが思いっきり横に振れたッ!

「わぁッ!」
後部座席の中出氏が、遠心力で反対側へ飛ばされた!

ガンッ!
バスの後部が横に流れ、ガードレールにぶつかる!

「ひぇッ!」
座席にしがみつくトメが、顔を沈める!

ガガガガガ…ガンッ!

ガードレールは次々となぎ倒され、後輪左タイヤは宙に浮いて道からはみ出した!

ハリーが急いでギアをローに戻し、アクセルを強く踏み込んだ!
バスが対向車線に向けて加速ッ!

ギャギャギャッ!…。
地面を噛むタイヤ音!

「くッ!」
ポールにしがみつく不二子が言う。

ギャギャギャギャギャッ…!

ブォーンッ!
ブロロロローッ!

バスは直角に曲がり、転落は回避された!

「うぷっ…、おえっ…」
後部席の中出氏が、急な遠心力に振られて気持ち悪くなった。

口を押えた中出氏が、急いでバスの窓から顔を出す!

「おえ~ッ!、ゲロゲロゲ~ッ!」



ドーーーーーーッ!
中出氏がシンガポールのマーライオンの様に、口から大量のゲロを吐き出した。

「すごいッ!、すごいじゃないッ!ハリーッ!」
不二子が声を躍らせてハリーに言う。(中出氏はその後ろでまだ吐いていた)

「幻の多角形コーナリングです」
ハリーが言う。

「すごいわッ!、どこでそんなドライビングテクニックをッ!?」(不二子)

「マンガです…」(ハリー)

「へっ…?」(不二子)



「昔、ジャンプで連載してた、“サーキットの狼”の主人公がやってた技を、今、試してみたら出来ました…」(ハリー)

「マンガ……ッ」
口を半開きにし、青ざめた表情の不二子が、ゴクリ…と喉を鳴らした。

すると、またL字カーブが見えて来た。

「よ~しッ!、次はタツノコプロの、マッハGO!GO!GO~…」(ハリー)

「やめてちょうだぁいッ!」
不二子が慌てて追いすがる様、ハリーに叫ぶ!

「お願い…。もうマンガはやめてぇぇ…」
ハリーに懇願する様に、涙目の不二子が言った。

「驚いたな…、あのバスの運転手…」
後方から追跡しているパトカーの飛松が言う。

「はい、人間業とは思えません」
ハンドルを握る椎名が言った。

「世界広しと言えど、あんな風にバスを操れるやつなどいやしない」(飛松)

「まるで、“サーキットの狼”の風吹裕也です…」(椎名)

「なんだそりゃマンガか…?」(飛松)

「はいマンガです…」
椎名はそう言うと、ニヤリと笑った。


 県立丘の上病院内の食堂。
病院関係者や来院者たちは、食事を口に運ぶのも忘れ、TVにかじりついていた。

「今、入った情報によりますと、暴走しているバスは、山梨県の県立丘の上病院に向かっているとの事です」
ワイドショーの司会者がTV画面から言う。
ざわつく丘の上病院の食堂内。

「Twitterのトレンド1位にもなっている、あのバスについての情報ですと、犯人の名は高橋ヨシロウという35歳の男性との事です」
「犯人の高橋は、丘の上病院で出産中の妻に会いに行く為に、バスで向かっている事が分かりました」

司会者のその言葉を聞いた1人のナースが、ハッと驚いた表情をする。

彼女の名は寺田ケイコ。
ヨシロウと、ヨシロウの妻マリと、高校時代の同級生だった女性である。

ケイコはマリから、「両親がヨシロウと会わせてくれない」という話を彼女から聞いていた。
そして今、マリがたった一人で出産を懸命に頑張っている事も知っている。

 ワイドショーの司会者が言う。
「Twitterに寄せられているコメントには、大半の人たちが犯人が妻に会いに行く事を応援している様ですが、これについてどう思いますか玉川さん?」

TV画面の司会者がコメンテーターに意見を振った。



「だって、あれでしょ?、この事件はそもそも犯人が自首して来た時に、一目奥さんと会わせてくれって頼んだら、警察がダメだって言ったから、犯人は強引に会いに行くって事になっちゃったんですよねぇ?」

「だったら、会わせてやりゃあ良いじゃないですか!」
「そうしたら、こんな大事にならないで済んだと思いますよ」

話を振られたコメンテーターが、眉間にしわを寄せながらしゃべる。

「では、玉川さん的には、法を犯しても会わせるべきだというご意見なのですか?」
司会者がコメンテーターに言う。

「全然構わないと思いますね!、警察も無駄な労力使って税金を使わないで欲しいですよ!」
「大体警察はですねぇ、事件の時に物を破損したりしても、一切それについて弁償しないんですよ!、おかしいと思いませんか!?」
「逮捕する為に、家のガラスぶち壊したり、車を破壊したって何の責任も取らないんですからぁ!」

コメンテーターが、いつもの様に暴走しだした。
引き笑いの司会者。

「警察の命令なんて無視!、無視!、みぃ~んな警察の命令なんか聞く必要なんかないですね!」
コメンテーターがそう言い終えると、TV画面がイキナリCMに変わった。

「あれっ!?、急にCMに入ったぞ?」
食堂でTVを観ていた誰かが言った。

TVを観ていたケイコは立ち上がると、食堂を出て分娩室へと走り出した。


ガチャッ!

「なんだ君は、イキナリッ!?」
突然分娩室に入って来たナースに、産婦人科医師が言う。

ケイコはその言葉を無視して、ズカズカと歩き、分娩台で苦しんでるマリの元へ行く。

そしてマリの手を取ると言った。

「今、ヨシロウがこっちへ向かってる!、だからあなたも頑張って!、元気な赤ちゃんを産んであげてッ!」

額に汗をかいているマリは、ケイコのその言葉に対し、弱々しく微笑んだ。


 林道から麓まで下りてきたバスは見通しの良い、一直線の公道を走っていた。

「あれっ!?、CM終わったら玉川さん居なくなっちゃった!」

スマホでワイドショーをチェックしていた中出氏が言う。
暴走したコメンテーターは、CM中にスタジオから追い出された様だった。


「どうやら警察は、暴走するバスのルートを全て封鎖し、挟み撃ちにする様です」
「しかし道路を封鎖した事によって、逆に障害になるものが一切なくなった公道では、バスが更にスピードを上げて行く事となっております!」
画面のワイドショー司会者が言う。

 ファン、ファン、ファン、ファン…。

バスを追随するパトカーは5台となっていた。

「ハリーッ!、追いつかれるわッ、もっとスピード出せないのッ!」
運転席の後ろから、ポールに掴まった不二子が言う。

「無理でやすよ…。バスなんですから…」
運転するハリーが言う。

「良い方法があります!」
その時、険しい顔をしていた不二子に近づいて来た中出氏が言った。

「何?、良い方法って…?」(不二子)

「昔、TVの刑事ドラマで、これとまったく同じ状況を観た事があります」(中出氏)

「刑事ドラマぁ…?」(不二子)

「はい、そのドラマは、先輩の刑事が、気の弱い後輩刑事を叱責したら、それに怒った後輩刑事が覚醒して、信じられない力を発揮するというものです」(中出氏)

「知ってますよ。それ、噂の刑事トミーとマツでしょ?」
ハンドルを握っているハリーが、後ろの中出氏に言う。

「私それ、実際に試した事ありますけど、全然ダメでした…。逆に犯人じゃなくて、自分の方が殴られちゃいましたよ」
ハリーは、1年前のテロ事件で人質になっていた時の事を、思い出して言う。
※「スローな武器にしてくれ!」の回、参照。

「もっとマジメに考えてよッ!、そんな単純な人間がいたらお目にかかりたいわッ!」

不二子が中出氏に怒鳴って言う。
中出氏は、「はぁ…」と、しょげてしまった。

「ああッ!、踏切があるぞいッ!」
中央座席に座るトメが、正面を指差し叫んだ。

500m程先の踏切は警報機が鳴り、遮断機が降りていく様子が確認できた。

「よ~し!、踏切だッ!、バスが止まったら確保だぁ~ッ!」
追跡するパトカーの飛松が、無線で他のパトカーに指示を出した。

「どッ…、どうしましょうッ!?」
運転するハリーが減速しようとする。

「止まっちゃダメぇッ!」(不二子)

「で、でもッ!」(ハリー)

「このまま踏切を突き破って行ってッ!」(不二子)

「そんな無茶なぁッ!」(ハリー)

「行くのよッ!」(不二子)

「嫌だぁ~ッ!、まだ観てないAVがありすぎるぅ~ッ!」(ハリー)

「行ってッ!」(不二子)

「昨日、TATSUYAでレンタルしたDVDを残して死ねませんッ!、そしたら、私の人格が疑われるぅぅうううッ!」(ハリー)

「知るかッ!」(不二子)

遠くからは、特急電車が走ってくる姿が見えて来た。

「あああああ…」(ハリー)

「何よあんたッ!、それでも男なのッ!?」(不二子)
「男のくせに女々しく泣いたりして、虫唾が走るわッ!」(不二子)

「何が、“ハリー”よ、気取っちゃってッ!、あんたなんかハリーじゃなくて、ハリコがお似合いよッ!」(不二子)

(そう!、そう!、それですよ不二子さん…)
不二子の後ろに立つ笑顔の中出氏が、例の刑事ドラマの再現を期待する。

「このオカマ野郎のハリコッ!、ハリコッ!、ハリコォォオオオ~~ッッ!!」(不二子)

その瞬間、ハリーの両耳が上下にピクピクと震えた!

「ぬわぁぁああああああ~~~~~~ッ!」

キレたハリーが、思いっきりアクセルを踏んだ!

ブワッッ!!
まるでバスがウイリーしたかの様な、急加速。



「やっ…た…」
ポールにガシッと掴まる不二子が静かに言う。

「うわぁッ!」
その後ろにいた中出氏は、何も掴まってなかったので、バスの推進力で後ろに転がった!



「わぁぁあああああ…!」

ボーリング玉の様に転がっていく中出氏が、後部座席にビタンッ!と激突する。

「うわッ!、あいつらぁ死ぬ気かッ?、あのまま突っ込むぞッ!」
踏切に突っ込んで行くバスに飛松が言う。

カン、カン、カン、カン…!(踏切警報音)

ブロロロロロロローーーーーッ!(加速するバス)

プァーッ!、プァーッ!…。(特急列車の音)


カン、カン、カン、カン…!(踏切警報音)

ブロロロロロロローーーーーッ!(加速するバス)

プァーッ!、プァーッ!…。(特急列車の音)

バキャッ!
遮断機をへし折り、踏切に突っ込んだバス!

「うわぁッ!」
その光景に椎名刑事が顔を背け、悲痛な表情で叫んだ。

ガーーーーーーーッ(通過する特急列車)

カタン、コトン、カタン、コトン…。

ハリーの運転するバスは、寸でのところで列車をかわしたのだった。


バララララ…。

「なんという事でしょうかッ!、危うく列車と激突するところを、犯人のバスは見事にかわしましたッ!」
上空のヘリからリポーターが興奮して叫ぶ。

わぁあああああああッ!
街の電気店のショウウィンドウから、TVを観ていた群衆が興奮して叫ぶ!、口笛も吹き荒れる!

カタン、コトン、カタン、コトン…。
踏切を通過中の特急列車。

パトカーから降りた椎名や飛松ら刑事たちが、壊れた踏切の前に立ちすくんでいた。

「丘の上病院へ行く最後の道で、バリケードを張ってある。そこが最後の砦だ…」
踏切を前に飛松が言う。

「さぁッ!、バリケードのところまで先回りだッ!」
飛松が椎名に言う。

 踏切を無事通過したバスが、公道を走って行く。

「がんばれよ~!」
沿道からは、バスを応援する人々が通過するバスに声援を送っていた。

「こらぁ!、どけぇ~!」
ダンプカーに横付けされ、進路妨害されているパトカーの警官が、窓から顔を出して叫んでいる。

「どかねぇよ…」
ダンプの運転手がそう言うと、目の前の公道をバスが通過して行った。

 田園風景が広がる、広い幹線道路を走るバス。
バスは長い坂道を上がって行く。

ブルブルブル…。

丘の上病院の妻に会いに行く、ヨシロウのスマホが震えた。
メールを見るヨシロウ。


 ヨシロウくん久しぶり、高校時代の同級生だったケイコです。
マリがメールできないから、マリの携帯を借りて代わりに知らせますね。

私は今、丘の上病院でナースの仕事をしています。

マリはつい先ほど、無事に赤ちゃんを出産しました。
元気で可愛い女の子です。

もちろん母子ともに無事です。
マリも早くあなたに会いたがってます。

病院で待ってます。

ケイコ


「そうか…。無事に生まれたか…。娘が生まれたのか…」

ヨシロウはそのメールを見ると、身体を震わせて泣いた。
不二子はそのヨシロウの姿を、穏やかな表情で眺めていた。


 バスは坂を上がり切ろうとしていた。

「この坂を越えれば、病院までもうすぐね…」
不二子は、運転するハリーに言う。

「ああッ!」

坂を上り切った時、ハリーが言った。
ハリーはバスを一旦停車する。

「先回りしてたのね…」

そう言った不二子の額から、汗がタラリと流れる。
不二子が見つめる下り道の先には、警察がバリケードを張って待ち構えていた。

 道路全体を塞ぐ様に、柵を張り巡らしたバリケード。
柵の後ろにはパトカーが数台、横付けされて停められている。

そして柵の前には、機動隊員が横一列に配置していた。

坂の上のバスを、遠くから見つめる椎名刑事。
椎名と飛松は、バリケードの中央に立っていた。

「よ~し!、やつらが現れたぞ~!」

坂の最上部に現れて停まったバス。
それを見上げながら、飛松が言った。


「どうしやしょう?」
ハリーが、隣に立っている不二子に言う。

「ここまで来て引き返せないわ…」
そう言う不二子。
バリケードの後ろにそびえる小山の上には、丘の上病院の姿が見えた。

「突破するわよハリー!」
不二子が言う。

「ええッ!、どう突破するおつもりでッ!?」
不二子の言葉に驚くハリー。

「ここから十分に加速して体当たりするの…、このバスの重量とパワーがあれば、バリケードを蹴散らせるわッ!」
正面を睨みながら不二子が言う。

「パワー×重さ×スピード=破壊力、ですね?」
そう言うとニヤッと笑うハリー。

「そうだけど、何それ?」(不二子)

「マンガです…」(ハリー)

「またマンガぁ!?」(不二子)

「はい…、チャンピオンで連載してるバキに、そう書いてありました」(ハリー)

ハリーのその言葉に不二子は、「ふふ…」と微笑んだ。

「行くわよハリー…」(不二子)

「はい…」(ハリー)

不二子の後ろに座るトメやヨシロウたち。
彼らは不安そうな表情で座席にかけている。

ブロン、ブロン、ブロン…。
停車してるバスのエンジン音。

「行けぇ~~~~~~ッ!」

バォンッ!

不二子が合図すると同時に、バスが急坂を急発進した!


「来たぞッ!」
バリケードの前に立つ飛松が言う。
バスがスピードを上げて、こちらに向かって来る!

ガーーーーーーーーッ!

どんどん加速して、バリケードに向かって来るバス。

「こらぁ~!おまえらぁ~!、止まらんと公務執行妨害罪及び、危険運転致死傷罪で逮捕するぞぉ~!」
拡声器を手に、バスに向かって叫ぶ飛松。 

ガーーーーーーーーッ!

バスはそんなのお構いなしに、更に加速する!

「飛松さんダメですッ!、やつら止まる気配がありません!」
向かって来るバスを見て、機動隊員の1人が言った。

ガーーーーーーーーッ!

100m先まで迫って来たバス。

「うわぁッ!、逃げろぉおおお~!」
飛松がそう言うと、他の機動隊員たちも一斉に逃げた。

 うわあああああああ~~~ッ!

左右散り散りに逃げ惑う警官隊。
だが椎名だけは、その場に残った。

バリケードの中央から、迫りくるバスを睨みつける椎名。
その姿を、バスの中から見つけた不二子。

「チキンレースを仕掛けるつもり…?、いいわ、こっちがマジだって事、見せてやるわッ!」
運転席の後ろに立つ不二子が、ポールに掴まりながら言う。

ガーーーーーーーーッ!

50m手前まで来たバス。

「椎名ぁあああッ!、逃げろぉおおッ!」
バリケードの脇に避難している飛松が叫ぶ。

ガーーーーーーーーッ!

(早くどいて!)
心の中で椎名に叫ぶ不二子。

椎名の手前、数十mに迫ったバス。

「椎名ぁああああッ!」(飛松)

ガーーーーーーーーッ!

「ひッ!」
ハンドルに顔をうずめるハリー。

ガーーーーーーーーッ!

椎名の目の前にバス!
次の瞬間、椎名が横っ飛びでバスを避けたッ!

バキャッ!
バリケードをぶち壊すバス。

ガシャンッ!、ガシャンッ!、ガシャンッ!
横付けされたその後ろのパトカーが、回転しながらバスに蹴散らされる。

ブロロロロロロロ……ッ!

バスはバリケードを破壊すると、そのまま通過して行った。

「大丈夫かッ!?」
椎名に駆け寄る飛松。

立ち上がった椎名は、スーツの汚れをはらいながら、走り去るバスを無言で見つめる。

「もう、あのバスは止められない…」
丘の上病院へ向かって行くバスを見ながら、椎名はそう呟いた。

「さぁッ!、俺たちも病院に向かうぞッ!」
機動隊員たちに叫ぶ飛松。

機動隊員たちは、その命令に「はいッ!」と応えると、まだ動かせそうなパトカーに向かって走り出した。

 小山の頂にある、丘の上病院へ向かうバス。
バスは舗装された坂道を上がって行く。

 県立丘の上病院の正面口。
正面口目の前のロータリーには、多くの報道陣が集まっていた。

そしてそこには、赤ん坊を抱いて立っているナースのケイコ。
その横には車椅子に座った、妻マリの姿もあった。

その時、彼女たちが見つめる先に、丘まで上がって来たバスが、ロータリーに到着した姿が見えた。

続いてパトカーも到着。
バスが停まると、それを囲む様に数台のパトカーも停まった。

椎名や飛松らが、車の中から出てきた。
十数名の警官たちもパトカーから素早く出る。
彼らは椎名や飛松の、すぐ後ろに配置した。

ブロン、ブロン、ブロン…。

ガタンッ

プシューッ

ガーッ…。

降車口から不二子が出てきた。
彼女は正面に立っている椎名を、ジロリと睨んだ。

そして椎名の傍まで、つかつかと歩き出す。
椎名の目の前で止まる不二子。

パシ~ンッッ……!

不二子が椎名の頬を、イキナリ引っ叩いた。

ぶたれた頬をさする椎名。
後ろの警官が不二子を取り押さえ様と動くが、椎名はそれを手で制して止めた。

椎名を睨んでいる無言の不二子。
一瞬の間の後、バスへ振り返り言う。

「さぁ、出てらっしゃいッ!」

不二子がバスに向かってそう呼びかけると、トメと中出氏に両脇を支えられながら、腕から血を流すヨシロウがバスから出てきた。

ヨシロウは警官たちに一礼すると、1人でヒョコヒョコと、正面口で待ってくれていた妻の方へと歩き出した。

「良いんですか?」
警官の1人が椎名に言う。

「良いんだ…。今更ここまで来て、会わせないわけにもいかんだろう…」
椎名はヨシロウの姿を見つめながら、言う。
彼の顔つきからは険しい表情が消え、少し微笑んでいる様に見えた。

(警察ナイス!)

(イイね!)

(やっと会えましたね!)

(県警エライ!)

TVの生中継を観ている視聴者たちの、ツィートが続々と入る。

「感動の瞬間ですッ!、今…、今、やっと逃亡犯が愛する妻と赤ん坊に再会を果たしましたぁッ!」
視聴者の反応を見て、手のひらを返した報道をする、病院エントランス前のTVリポーター。

(まったくッ…、よく言うわ…)
不二子は、そう思いつつ、リポーターの方を眺めている。

「俺…、俺…、罪を償ったら、必ずマリと子供を迎えに行くから…」
「だからそれまで、この子の事を頼むッ!」

涙目のヨシロウが妻に言う。
マリは目に涙を浮かべ、黙って「うん、うん…」と頷いていた。

そしてヨシロウは、ナースのケイコから赤ん坊を受け取ると、抱き上げて笑顔で泣いた。

 その光景を遠巻きに眺める、中出氏とトメ。

「あ~あ…。なんか僕もアヤカに会いたくなっちゃったなぁ…」
中出氏が微笑みながら言う。

「娘さんかい?」(トメ)

「いえ…、国分寺のスナックの女です」
中出氏がそう言うと、トメはズルッとバランスを崩した。


「一平さん…。結婚の話なんだけど…」
不二子が椎名に向いて言う。

「私には、私の中でルールがあるの。たとえそれが間違えていると非難されても、私は自分の決めた道を選んで進んで行きたいッ!」

椎名はいつもの優しい笑顔で、不二子の話を黙って聞いていた。

「だから、あなたとは一緒になれないわ…。ごめんなさい…」
そう言うと不二子は、椎名にペコリと頭を下げた。

見つめ合う2人。

ちょうどその横を、ハリーが飛松に連行されている姿があった。

「わ~ッ!、なんで私だけタイホォ~ッ!?」

手錠をかけられたハリーが叫んでいたが、2人の耳には、その声はまったく入って来ていない様だった。

「不二子さん…。あなた好きな人が他にいるんですね?」
優しい笑みで椎名が尋ねる。

「ええ…、いるわ」と不二子。

「やっぱりそうでしたか…」
フッと、ため息をついた椎名が言った。

「初めてお会いした時から感じていました。あなたの瞳に映ってるのが僕じゃないんだと…」
椎名のその言葉に、不二子は少しだけ微笑んだ。

椎名は頭の中で考えた。
(それにしても、不二子さんが好きな男性(ひと)って、どんなタイプなんだろう…?、もしかして不動明みたいなタイプなのかな…?)

「残念ながら不動明じゃないわ…」

「どッ…、ど~して、僕の考えてる事が分かったんですかッ!?」
不二子に考えを見抜かれた椎名が、慌てて言う。

「ふふふ…」
意味深な笑顔で、椎名を見つめる不二子。

「男性が考えそうな事なんて、そんなところよ…」
不二子は椎名に続けてそう言った。

(そ~かなぁ…?、フツーここで不動明は出て来ないと思うけど…)
不思議に思った椎名が、更に想像してみる。

(もしかして、風吹裕也みたいなのがタイプだったりして…?)

「風吹裕也でもないわ」(不二子)

「だから、なんで僕の考えが分かるんですかッ!(笑)」

ホホホホホ…。
椎名がそう言うと、不二子は手の甲を口元に寄せて、少し仰け反り気味に高笑いした。


「じゃあサヨウナラ…、一平さん」
不二子はそう言うと、くるりと踵を返してバスの方へ歩き出した。

ぐすん…。
(不二子さん…)

不二子を見送る涙目の椎名。
その彼の肩をポンポンと叩く飛松。

「残念だな…、イイ女だったのに…」(飛松)

「はい…」(椎名)

眉毛をハの字に下げた椎名が、泣きそうな顔で飛松に言う。

「青だったぞ…」(飛松)

「何がですかぁ…?」(椎名)

「あのコのパンツ…」(飛松)

「やっぱり見たんじゃないですかぁあああッ!」
顔を硬直させた椎名が、懐から拳銃を出した。


「ハリー…。帰るわよ…」

バスの降車口から不二子が言う。
彼女の後ろからは、「わぁ~!、やめろ~!、椎名ぁああッ!」と叫ぶ、飛松の声がしていた。

「あら?」
バスの中に、誰もいない事に気づいた不二子。

ふっ…。
(仕事が終われば、さっさと姿をくらます…。案外カッコイイとこあるじゃない…)

 そう思い、微笑む不二子。
彼女はハリーが逮捕された事に、まったく気づいていなかったのであった。



 バスを出て、空を見上げる不二子。
その空には、真っ赤なあかね雲が広がっていた。

(必ず見つけ出すからね…)
不二子はそう思うと、その場から立ち去って行った。

ロータリーの脇にはススキが風で揺れ、赤トンボが飛び回っていた。


To Be Continued…。