世界に影響を与えた10大ギタリストは!? | Tanaka-KOZOのブログ

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冒頭で10大ギタリストと言ったものの、とてもじゃないが絞り込めなかった。
よって半端な数字であるが、絞りに絞った13傑をここに紹介することにした。

 

 

 

ロバート・リロイ・ジョンソン(Robert Leroy Johnson、1911年5月8日 - 1938年8月16日)
アメリカ合衆国ミシシッピ州出身
アコースティック・ギター1本でブルースを弾き語りして、アメリカ大陸中を渡り歩いた。
当時はそのギター・テクニックが巧みなのに驚き、「十字路で悪魔に魂を売り渡して引き換えにテクニックを身につけた」という「クロスロード伝説」が広まった。
代表曲「クロスロード」はあのクラプトンもクリームでカバー。崇拝している。

 

 

 

チャック・ベリー(Chuck Berry, 1926年10月18日 -2017年3月18日 )
アメリカ合衆国ミズーリ州出身
「ジョニーBグッド」「キャロル」など数々のヒット曲を出し「ロックンロールの神様」といわれる。
独特のイントロフレーズは、あのビーチボーイズも「サーフィンUSA」でインスパイアされているとは本人達の弁。「ダックウォーク奏法」などで最高のステージを未だに魅せてくれる現役プレーヤー。

 

 

 

スティーヴィー・レイ・ヴォーン(Stevie Ray Vaughan, 1954年10月3日 - 1990年8月27日)
アメリカ合衆国テキサス州出身
彼の演奏スタイルはエレクトリック・ブルースの一つの頂点といわれている。
野太いピッキング音と派手なステージパフォーマンスは必見。
1枚目~3枚目までのアルバムはゴールドディスクを獲得。
途中、ドラッグにはまり治療の為ブランクが空くものの、次のアルバムではグラミー賞を獲得、見事に復活するも、その後のツアー中、
不慮の飛行機事故で若くして帰らぬ人となる。
ホワイト(白人)ブルースミュージシャンとしてもっともセールス的に成功したのではないだろうか!?

 

 

 

デュアン・オールマン(Duane Allman 1946年11月20日−1971年10月29日)
アメリカ合衆国テネシー州出身
サザン・ロックのオールマン・ブラザーズ・バンドのリードギタリスト。
彼の凄さはレギュラーチューニングのままのスライドギタープレイ。
音程もピタリと外さなく、全曲に渡って繰り広げられる彼の即興スライドプレイは、その後の多くのミュージシャンに多大な影響を与えている。
クラプトンの「レイラ」のギターを担当し、とても真似できないとクラプトンに言わしめた。
現在も彼のスライドプレイは教科書的存在になっている。
バンドとして3枚目のアルバムが全米13位と大ヒットするが、
直後のバイク事故で帰らぬ人となる。24歳にして惜しまれる南部の天才。

 

 

 

 

ジミ・ヘンドリックス(Johnny Allen "Jimi" Hendrix, 1942年11月27日 - 1970年9月18日)
アメリカ合衆国ワシントン州出身
死後40年近く経った現在でも、史上最高のロックギタリストと評されることが多い。
現代的ロックギターのパイオニアの一人。
「天才ギタリスト」として多くのミュージシャンに多大な影響を与え続けている。
「ストラトの魔術師」と言わしめた彼が、ストラトを世に定着させたと言っても過言ではない。
右利き用のギターを逆さまにして左利きの構えで演奏するスタイルや、ギターを歯で弾いたり、背中で弾いたり、ギター自体に火を放ったり、破壊したりするパフォーマンスも有名。
モンタレー、ウッドストック、での伝説的なライブは今も語り草。
デビューしてわずか4年後の未だ分からない謎の死と数々の伝説を残した。

 

 

 

 

カルロス・サンタナ(Carlos Santana, 1947年7月20日 - )
メキシコ ハリスコ州出身のアメリカのギタリスト。 
自身の名を冠したラテン・ロック・バンド「サンタナ」を1960年代から率い、現在も活動中。
40年近いキャリアの中、いまだにチャートを賑わす活躍振り。
セールス的にはロックミュージシャンとしてもっとも成功したアーティーストといえよう。
セカンド・アルバム「天の守護神」(1970年)はビルボード誌のアルバム・チャートで1位を獲得。
アルバム「ジーバップ!」(1981年)は全米9位のヒット作となる。
その後の作品はチャート的には低迷するが、バンドはコンスタントに活動を継続。
1999年に発表したアルバム『スーパーナチュラル』は、バンドにとって28年ぶりの全米1位獲得を果たし、アメリカだけで1500万枚、全世界で2500万枚以上を売り上げるという大復活となる。
同作は、グラミー賞史上最多の9部門を受賞し、収録曲「Smooth」は、ビルボードのHOT 100で12週連続1位を獲得、バンドにとって初の全米1位シングルとなった。
2002年には、アルバム『シャーマン』も全米1位を獲得。

 

 

 

 

エリック・クラプトン(Eric Clapton 、1945年3月30日 - )
イングランドのサリー、リプリー出身
同じヤードバーズ出身のジェフ・ベック、ジミー・ペイジと共に、3大ギタリストと呼ばれる。
現在もロックやブルースのギタリストの多くに影響を与え続ける大御所。
ギターを弾く指の動きがあまりにも軽やかで、ゆっくり弾いているようにしか見えないことから「スローハンド」というニックネームが付く。
クラプトンのプレイは、アルバート・キング、ロバート・ジョンソンなどのブルース・ギタリストから強く影響を受けているといえよう。
クラプトンの功績は「黒人の大衆音楽」の「ブルース」を白人の感覚で解釈(ホワイトブルース)して、ブルースの精神をロックと融合、より広い世界で鑑賞できる音楽に発展させた。
2004年11月3日イギリス政府より、ナイトの爵位に次ぐとされる「大英帝国第三級勲位」(CBE)を授与。

 

 

 

 

ジェフ・ベック(Jeff Beck, 1944年6月24日 - )
イングランドのサリー、ウォリントン出身
エリック・クラプトン、ジミー・ペイジと共にUKロック3大ギタリストに数えられる。
完璧なギタープレイ、一度として技術が落ちたこともなければ、同じ音楽スタイルに安住したことがない。
ジャズ、ブルース、カントリーと様々なミュージシャンとのセッションは常に新しい音を探求し続けるという彼の考えの表れである。
曲も書かず歌も歌わない。徹底したベジタリアンで、その風貌は40年間変わることがない。
1989年に発表した「ギターショップ」以降の彼のプレイは人間業を超えているとさえ言われている。
「最もコピーできないギタリスト」といわれる所以である。

 

 

 

ジミー・ペイジ (Jimmy Page, 1944年1月9日 - )
イングランドの西ロンドン出身。
世界で最も成功したロックバンドの一つであるレッド・ツェッペリンのギタリスト兼リーダー。
エリック・クラプトン、ジェフ・ベックとともに3大ギタリストと呼ばれる。 
ペイジはロックギタリスト最初にして最大の「スター」である。
へそ下まで下げたギター、長髪にド派手なファッション、大げさなキメのポーズなど、ギタープレイを魅了せることだけにひたすらこだわったギタリストである。
ヘタウマ系ギタリストと称されているが、リフのカッコよさは天下一品である。

 

 

 

 

リッチー・ブラックモア(Ritchie Blackmore, 1945年4月14日 - )
イングランドのサマセット出身。
世界的なロックバンドディープ・パープルのギタリスト。
ブルース出身のギタリストと違い、彼の弾くスケールはギター教則本のような正確なピッキングで、左手の小指までしっかり使っているのが特徴である。
「ハイウェイ・スター」や「バーン」などを聴く限り、彼のプレイはクラッシックやフラメンコからの影響がうかがえる。
80年代以降、世界のハードロック及びへヴィメタル系アーティストへの影響力は計り知れない。
ハードロックギターリストを目指す全てのギター少年たちの永遠の先生である。

 

 

 

マイケル・シェンカー(Michael Schenker、1955年1月10日 - )
ドイツのザルスタット出身
兄ルドルフのいるドイツのハードロックバンド、スコーピオンズに結成時より参加。
まもなく英国のバンドUFOに加入し、数々の名演を残す。
UFO脱退後は自らのバンド、MSG(マイケル・シェンカー・グループ)を結成。
プレイスタイルはこれでもか!の連続ペンタトニック・スケール主体の超速早弾きのロック奏法。
ギブソン社のギター「フライングV」を使用し、そのボディを足に挟みネックを強引に捻じ曲げてアーミィング奏法と同じ音を出したりするパフォーマンスもあり。
ハードロック・ギターの名手として「神」と言わせしめたギタリストである。

 

 

 

ゲイリー・ムーア(Gary Moore, 1952年4月4日 -2011年2月6日)
イングランド北アイルランド・ベルファスト出身。
人呼んで「ギターを持ったイモ兄チャン」
シェンカーと並んで80年代の第2期ハードロックブームを支えた立役者。
ジミヘンやベックを崇拝しており、現在のプレイスタイルはブルースへと傾倒している。
全盛期は、力強いハイトーンボイスと究極の早弾き&泣きのギターで歌ってギターも弾きまくる。
フィル・ライノットと組んだ「シン・リジィ」でのプレイは今も語り草。
「パリの散歩道」などバラードを弾かせたら天下一品。
ロックシーンの歴史に刻んだ数々の名曲は数え切れない。

 

 

 

 

エドワード・ヴァン・ヘイレン(Edward Van Halen、1955年1月26日 - )
オランダ・ナイメーヘン出身
実兄アレックスと結成したアメリカロックバンドのヴァン・ヘイレンのギタリスト。
右手の指でギターの弦を叩きつけるようにして音を出す「ライトハンド奏法」の元祖と言われている。
現在では「タッピング奏法」という呼名が一般的になったその独特の奏法は、後世のギタリストに多大な影響を与えた。
またライトハンドだけではなく、速弾きや過激なアーミングなどの革新的なテクニックを取り入れ、アメリカンハードロックのスタイルを確立させた。 
1983年、当時のギネスを塗り替える破格の出演料でロサンゼルス開催の「USフェスティヴァル」に出演。
1984年1月、6枚目のアルバム『1984』で全米最高2位。 
そして1986年3月、7枚目のアルバム「5150」リリース。ついに全米最高1位を記録する。
その後1988年5月、8枚目のアルバム「OU812」と1991年6月「F@U#C%K」が全米1位と躍進は続く。 
1999年、エディの癌、腰の手術などの影響でバンドは活動休止となるが現在は復帰。