群馬・桐生市「球都桐生プロジェクト」 キーワードは「桐南」 見える化で「好きになる」練習改革 | 桐生高校 桐生女子高校 そして新生桐生高校  後輩たちへ大学受験のヒント

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7/2(火) 18:09配信
日刊スポーツ

 「球都(きゅうと)」という言葉がある。

 昔から野球が盛んな地方都市で、愛媛・松山市などが挙げられる。中でも群馬・桐生市は2022年に「球都桐生プロジェクト」を立ち上げ、ゴロならぬ語呂を合わせて昨年から9月10日を「球都桐生の日」に制定するほど、野球を中心とした地域創生に取り組んでいる。

 プロ球団こそないが、桐生と野球の歴史は深い。市内の高校のうち5校が甲子園に出場(桐生、桐生工、桐生第一、樹徳、桐生商)。桐生中、桐生高を率いて甲子園に出場した稲川東一郎監督を中心に、1945年(昭20)には戦後初の社会人野球チーム全桐生が結成され、翌年の第1回都市対抗野球で準優勝。その都市対抗で桐生高出身の川島勝司氏(72年・日本楽器=現ヤマハ)、桐生市出身の前野和博氏(東芝)が優勝監督に。大学では青山学院の河原井正雄氏(93、96、99、平11)が全日本大学選手権で4回優勝、高校は桐生第一の福田治男監督(02年夏)、プロ野球日本シリーズは西武渡辺久信監督(08年)、全日本還暦野球は桐生OBを率いた山田■(■は山ヘンに品)氏が3連覇(87~89年)と、広く各カテゴリーで桐生市出身の監督が日本一を達成した。

 輝かしい歴史を懐かしむだけでなく、今、球都に新たな拠点が誕生した。キーワードは「桐南(きりなん)」。21年に桐生西高と統合され、閉校となった桐生南高跡地に残された校舎に、野球関係者の注目が集まっている。

 桐南はもともと1学年4クラスと、こぢんまりとした高校だった。閉校を残念に思っていた卒業生の1人に、総合不動産企業「オープンハウスグループ」創業者の荒井正昭社長がいた。同社の地域共創事業の一環として、思い出のつまった桐南跡地の活用事業を計画して契約。「KIRINAN BASE(きりなん・べーす)」と命名して、校舎やグラウンドの外観はそのまま管理、内部を整備した。昨年11月から一部を文化、スポーツの活動のほか、ドラマや映画の撮影地として貸し出しを開始した。

 注目の施設は今年3月、KIRINAN BASE内に誕生した。一般社団法人桐生南スポーツアカデミー(KMSA)が、最新測定危機を導入した「球都桐生野球ラボ」を開設した。かつての柔道場と卓球場を、ブルペン1レーンと打撃2レーンが使用できるスペースに改装。運動の能力の数値化から体組成の測定・分析ができる機器と、野球科学系の最新機器を設置した。野球科学系はMLB、NPBでほとんどの球団が導入する「ラプソード」や、今春のキャンプでドジャース大谷翔平がバットのグリップに装着して話題になった「ブラスト」、投球時の負担を可視化する「パルススロー」を使用する。これらにより、球速や回転数、バットの傾斜角度など打球データや最大13項目のスイング要素などが測定できる。腕や体にかかる負担も数値化され、ケガの予防にもつながる。

 また、野球技術の土台となるフィジカル測定機器で、運動能力や体組成の計測も行える。これらのデータは専門業者が管理して、その後の数値の変化も把握できる。4人の研究者とも連携しており、練習メニューなどのアドバイスも受けられる。

 測定は有料だが、球都桐生プロジェクトの一環でもあり、桐生市在住、在学、在勤者は年に3回、市から助成が受けられる。フィジカル測定だけの利用も可能で、競技種目を問わず、幅広い年代の体力、健康管理に役立てるのも目的だ。

 ラボを運営するKMSAの代表理事を務める荒木重雄氏も「桐南」だ。荒井氏の2学年上の野球部OBで、3年の夏の大会は前橋工1年の渡辺久信投手の前に敗れた。卒業後は青学大大学院で国際マネジメントの修士となり、外資系大手IT企業を経て、05年にプロ野球ロッテの事業本部長に。数々のファンサービスによる球団経営改革で、収益を3年間で4倍に伸ばした。09年に独立して、スポーツマーケティング会社を創立すると、プロアマ一体の「侍ジャパン」の立ち上げに貢献した。

 スポーツビジネス、マネジメントのレジェンドでもある荒木氏は「60歳になったのがきっかけになりました。故郷に帰りたいって気持ちは、みなさん、ありますよね」と笑う。昨年春、KIRINAN BASEの計画進行と時を同じくして、中学硬式野球チーム「桐生南ポニー」を設立、学校跡地のグラウンドを拠点とした。初年度ながらポニーリーグの全国1年生大会で3位になるなど、球都桐生にふさわしい、将来が楽しみなチームが誕生した。

 次に手がけたラボは、桐生南ポニーの選手だけでなく、小、中学生でもトップアスリートが使用する最新科学機器を利用できる。荒木氏は「ほんとうにやりたいのは練習改革です。練習はつらかったり、おもしろくない。それをどうやったら、楽しくなるのかというチャレンジなんです」と話す。ヒントになったのは、スマホや携帯ゲーム機で遊ぶ「パワプロ」や「プロスピ」だった。これらの野球ゲームは実在の選手の打力、足の速さ、肩の強さをなど数値化して、プレースタイルなど特長も細かく入力されたキャラクターでプレーする。練習してパワーを上げることもできる。

 荒木氏は「科学的に測定することで、自分を『見える化』イコール『数値化』できる。ゲームの世界のできごとだったのが、今度は自分を『見える化』できるんです。ここが弱いから、トレーニングして、リアルに強くして、リアルに数字が上がっていくと、練習も楽しくなる。大谷選手も使っているあの設備を、小学生が使っても何の意味もないじゃないかって、一見思えるんですけど、小学生なりにどうしたら上達するか考えるし、むしろ小学生の方が理解できるかもしれません。ゲームに慣れているから(笑い)」

 「持論ですけど、うまくなるって好きになることと同義だと思います。好きになると勝手にうまくなるんで。やらされる練習こそつまらないし、手を抜く。よく、『何時までゲームやっているんだ!』って怒られるでしょう。でも、ゲームは楽しいからいくらでもやってられる。だから、うまくなるのが楽しくなれば、ほっといても考えて練習して、うまくなるんです」。

 参考になったのは、ロッテのフロント入りした05年に日本一になったボビー・バレンタイン監督の采配だった。「1シーズン百何十通りの先発オーダーを組んで話題になっていたけど、数字はうそをつかないし、数字を使ったゲームメークはおもしろいし、すべてに考えがある。意思決定の裏側にロジック(論理)がある考え方が、スポーツで使えることが分かったし、勉強になりました」。

 桐生南ポニーを率いる監督は、オープンハウス社員の謝敷正吾氏。大阪桐蔭時代に、1学年下の中田翔(現中日)らと甲子園で活躍、明大を経て独立リーグBC石川でプレーした。引退後の14年に求人欄を見て同社に入社し、営業職を経て、現在はKIRINAN BASEの運営に携わり、週末は監督としてグラウンドに立つ。創部2年目のチームは7月19開幕の全日本選手権に初出場する。約10年ぶりにユニホームを着て、初めて中学生を指導して分かったことがある。「試合でだめなところを練習で克服する形でやってきましたが、4打数4安打の選手でも反省して、自分で考えて練習できる、自主性のある選手ほど段違いで伸びますね。それを実感しています」。

 ラボで計測した数字をもとに、選手起用の目安にもしているが、データを選手に示すことが、自主性を引き出す何よりの材料になることもリアルに感じている。「どうやったら、どうなるかなど何をしても数字で分かりますからね。自分の体に向き合うきっかけにもなります。それと、一番大事なのは、今のうちに正しい体の使い方を覚えること。そこは欠かせませんね」。数字を正しく理解して、正しく修正すること、そのための方法を伝えるが大事になってくる。そこで、チームでは定期的にプロ野球レベルを指導する専門家を招き、トレーニングを学ぶ機会を設けている。どうすれば数字が上がるかを知ることが大事なことを、「プロスピ」「パワプロ」世代の選手たちもよく知っている。

 「桐南」を卒業した荒井氏と荒木氏がきっかけとなり始まった球都桐生の新展開。そこに桐生市とは無縁だった謝敷氏が加わったのだが「いえいえ、大阪桐蔭の4文字に『桐』がありますから(笑)」。ちなみに、冒頭でも触れた、かつて桐生高を率いた稲川氏と謝敷氏の母校明大の伝説の監督、島岡吉郎氏の交流は深かったという。いくつもの人の縁にテクノロジーまで加わって、球都桐生が織り込まれていく。日本の織物産業の中心地で「織都(しょくと)桐生」とも呼ばれた桐生市ならではかもしれない。【特別編集委員・久我悟】