⚫︎明治3年(1870)、科学技術の研究教育機関として夷川通河原町東入に設立され、現在、その跡地が京都市立銅駝美術工芸高等学校となっているのは何か。
⚫︎「京都の近代化を担った人」と「その事業」の組み合わせ
明石博高ー舎密局
⚫︎明治3年(1870)、京都府は理工学および化学工業技術の近代化を進めるために舎密局を設置したが、医師であり、理化学の専門家として舎密局の開設に尽力したのは誰か。
明石博高
⚫︎舎密局の設置など京都府の殖産興行政策に呼応し、明治8年(1875)に木屋町二条で教育用理化学器械の製造を開始したのは誰か。
島津源蔵
⚫︎舎密局や新京極など、明治初期の京都の復興に尽力した第2代京都府知事は誰か。
槇村正直