父が他界してから約2ヶ月。

本日、父の生まれ故郷である関西で、

無事、納骨を済ませました。



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いつも、父、母、兄、私、妹の5人だった。

5人で1ユニットだった。

父の仕事に合わせて、

大阪、千葉、東京と、5人で移動してきた。

20歳になるまでは、5人で一つ屋根の下にいた。





先日、父が他界して、

1人いなくなった。

1人減ったことの大きさは、

思った以上に大きかった。





1人減ってから、

改めて気づくことが沢山あった。




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私が幼い頃、

父は海外にいた。

4歳の頃、父が帰国して、

急に、「知らないおじさん」と一緒に

住むことになった。

だから父には、なかなか懐けなかった。






帰国してからも父は、

自分の仕事が大好きで、

土日もほとんど家にいなかった。





私にとって父は、存在の薄い人。





「もっと私を見て」

それが私が父に、

長年抱いてきた感情だった。




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なのに父が死んでから、

私がどれだけ父のことを好きだったかを

思い知った。






父と一緒に巡った沖縄の土地を

車で通過するだけで、

嗚咽するし、

胸がえぐられる。





写真を見返しては、

父がもうこの世にいないことが

信じられない。




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さて、父の葬儀以来、

約2ヶ月ぶりに集まったユニット。





集まってみて思ったんだよ。





1人減った寂しさは拭えない。




けれど、

家族の「大きさ」は、

変わらないのかもしれないと

思ったんだよ。





家族の人数✖️繋がりの深さ🟰家族の大きさ

だとすると、





人数が減ると、

減った人の分を

誰かが、埋めようとする。





家族をもっと気遣うようになるし、

そういう行動をとる。





減ったことで、

残った者同士の絆が

深まる。






だから、

家族の大きさは、

父がいた頃と

変わらない。





「大きさ」って、言い換えたら

思いやり」や

」。






父は私たちに、

そういう家族を

残してくれたんだなと、

思ったんだよ。





だからそういう意味でも、

「ありがとうね、パパ」

なんだよね。













田中えり