【私のカシジェー物語 vol.2】


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カシジェーストーリー1




与那国島でカシジェーに出会ってから、カシジェーはそれきりでした。それから約3年の月日が流れます。与那国島の“カシジェーの和え物”を掲載した自著、“沖縄いつもの家族ごはん”が出版され、2022年10月、東京のとあるホテルで出版記念パーティーを開催することにしました。













そのパーティーでのジャンケン大会の景品を何にしようか考えていた際、沖縄らしいもの、この本ならではのものにしようと、“カシジェー”を思いつきました。


 

沖縄本島の酒造所でカシジェーを分けていただけるところはないか、泡盛マイスターの友人に相談したところ、その友人はカシジェーにピンときていませんでした。本島では泡盛に詳しい人でもカシジェーを知らない。カシジェーはとてもマイナーなものだということがわかりました。その友人の案内で、ある酒造所に伺うことになりました。

 


その酒造所は、観光スポットとして有名な風光明媚な場所の近くにあります。社長自ら対応してくださり、私は初めて泡盛の工場見学をして、泡盛がどのように作られるのかを知りました。最後に出来立てのカシジェーを見せていただき、「カシジェーに興味があるんだったら、その活用を考えて」と社長が突然仰いました。


カシジェーは、今の所、畑に撒いたりしているけれど、それもそのうちできなくなるかもしれない。産業廃棄物としてお金を出して処分しなければならなくなる。酒造所にとって大きな問題だ、と伝えられたのです。

 




いただいたカシジェー




与那国島でカシジェーに出会ったとき、カシジェーは「オバアが心待ちにしているもの」「みんなが大好きなもの」というイメージでした。けれど実際は、酒造所のお荷物になっている。しかもカシジェーは、出来上がる泡盛とほぼ同じ分量排出され、ドロドロの液状であることから運搬も容易ではない。さらに近年の若者の酒離れによって泡盛の消費量が年々下がっている中、経費だけがどんどんかさんでしまう…。




ショックを受けるとともに、これは大変だと思いました。これまであまり関心がなかった泡盛やカシジェーですが、突如強烈にこれらが私の心に突き刺さったのです。

 





いただいたカシジェーは家に持ち帰り、冷凍させた上、私は東京の出版パーティー会場に持ち込みました。ジャンケン大会の景品にする予定でしたが、変更し、ゲストで来ていた友人の料理人2人に託しました。





会場では、先の泡盛マイスターが出版のお祝いに下さった与那国島の貴重な泡盛、“舞富名”が振舞われています。その舞富名を味わっていただきながら、カシジェーのこと泡盛業界のことを、会場のゲスト全員に伝えました。そして、「カシジェーの活用方法を考えてほしい」と訴えました。

 


カシジェーの説明をしています



 

ちょうどその頃、私にカシジェーを教えてくれた与那国島の與那覇有羽さんが、大きな病により倒れ、重体に陥りました。私はその事実を、しばらくしてから知ることとなるのです。




與那覇有羽さん。与那国島の彼のご自宅にて




つづく




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