年末、あるものをゴッソリ処分しました。
ずっと捨てられなかった、ホメオパシーの教材や資料です。
たしか2018年に学校に入学し、2022年に卒業する予定でした。その後はホメオパスとして開業しようと考えていました。
1.2年生の時は、オンライン授業をしっかり受け、進級テストを受験し合格点をもらっていました。
しかし3年生あたりから、聴講していない授業が溜まっていき、コロナを理由に、東京での進級テストをパス。そこからズルズルと復活できなくなりました。
ホメオパシーの勉強を、それまでも何度も辞めようと思ったことがありました。けれどその度に、「やめちゃいかん!」と言われているような出来事が起きました。
ご先祖様や前世の私から言われているようでした。その度に、辞めることを辞めてきました。
日本にホメオパシーを広めた学校創立者の学長を目の前に、壇上で、「先生のようなホメオパスになります!」と涙ながらに宣言したこともありました。
なのに、なのに、
ホメオパスになるための最終試験を受けることはおろか、学校を卒業することもできなかった。
自分を責める気持ちがすごく出ました。
これまで教科書類を捨てなかったのは、もしかしたら復活するかも、と思っていたからじゃありません。
復活しないことを心の底の底ではわかっていたと思います。途中で投げ出した自分と向き合いたくなかったのです。
処分するということは、途中で投げ出した自分と向き合うということです。
途中で投げ出した自分を責めることなく、許したいと思いました。
「途中で投げ出した私を、受け入れ、認め、許し、愛します」
何度も何度も唱えながら、教科書や資料をまとめて紐で縛っていきました。そしてマンションのゴミ置き場に、そっと置きました。
ーーーーー
その後、「なあなあにして、いつのまにかやらなくなった」というより、「勉強を続けない」という選択を、自分の意思でしていたんだ、と気づきました。
なぜ続けられなかったのかというと、やりたいことが沢山あったからです。
やりたいこと全てができるほど、器用じゃなかったからです。
いや、本当の本当は、
本当にやりたいことがわかっていなかったからです。
当時、ホメオパシーの勉強のほかにも、アニマルコミュニケーションの練習や、出版に向けて本を書いたりしていました。
興味の湧いたもの、やりたい!と思ったものを、インスピレーションに従って、やってみていました。どれも真剣で、いい加減な気持ちではなかったです。どれも安くはないお金を払ってきたのですから。
けれど、器用でもなければ、時間の使い方が上手なわけでもない私は、結果、何かを捨てなくてはならなくなった。
アニマルコミュニケーションを捨て、ホメオパシーを捨て、本を書きました。
自分が一番やりたいことを、その中から自然と選んでいたのです。残ったものが、私が一番やりたかったことなのです。
それだけの時間とお金をかけて、あれこれやらなければ、沢山手を出して捨てざるを得ない状況にならなければ、本当にやりたいことなんて、わからない。
それが真実だと思います。
幼い頃から、または10代の頃から、自分のやりたいことがわかっていて、それに真っしぐらに向かう人もいます。
けれど、私のように、50を過ぎてやっと、自分の道が見えてくる、という人もいます。
私の親が聞いたら、きっと私のことを「そんな歳になるまで自分のことがわからないなんて、情けない」と言うと思います。
けれど仕方がない、これが私だから。
人生の大半を自分探しに使ってきました。
沢山の時間とお金と労力を、使ってきました。
けれど、「それもきっと、無駄じゃないよ、
それでいいんだよ」って、
若い人たちに言ってあげたいです。
私が死ぬ時に、「ほらね」と言えるように、
これから、半分もない残りの人生を、私らしく、精一杯全うしたいと思っています。
現在準備中です
田中えり