ギックリ腰が痛すぎる。
なんとか歩いてトイレには行けるものの、ベッドから起き上がるのも、座るのも辛い。
CAをしていた時は職業病の一つとして、周りに腰痛持ちが沢山いた。
「トイレに這って行って、自分でお尻を拭けないから、旦那さんに拭いてもらった」とか
友人のエピソードを聞いて、ケラケラ笑ってた。
腰痛の辛さを知らなかったから、同情することもなく、気楽なもんだった。
腰痛の辛さを知ることができて、当時のその友人の辛さを思い知った。そういう意味では、いい経験。
腰痛をいいことに、朝からずっと寝て、家事は一切していない。
寝るか、スマホいじるか、テレビ見るかの1日。
それはそれで楽しい。
旦那にお弁当買ってきて、と頼み、
吉牛のアタマの大盛りと、インスタント味噌汁で夕食。
「美味しい!!」とモリモリ完食。
吉牛を美味しい!と思える感性があってよかった、と思う。
バブル期のCAなんて食えたもんじゃなかった。高飛車すぎて、「この私に、吉牛を食べさせる気❓」と、当時は本気で思ってたもんね
何事も、両極を知り、両極の良さを感じられる、味わえるのが豊かさだと思う。
高級フレンチも、吉牛も、それぞれに美味しいと思える。
ものすごく健康体の時も、ギックリ腰で動けない時も、それぞれにいいことがあると思える。それぞれに楽しいこともあると思える。
マイナスと思える時も、その中に楽しさを見つけられる。見つける工夫をする。
そして、それを素直に感情に出してみる。
無邪気に喜んでみる。
そしたらあっという間に、心が満ちる。
夕飯を食べた後、片付けもせず、
「腰痛い〜」とすぐにベッドへ。
そして、「湿布貼ってくれー」とベッドから叫び、貼ってもらう。剥がれないように、と上から湿布を押さえられて、「痛い!!」ともがく。
こんなコミュニケーションができるのも、いいもんだ。
腰痛になる前の元気な時
田中えり