「12本は願い事で、3本は『私はここにいます』ってことなんだよ」

火の神に立てるお線香の意味を、神んちゅ(沖縄でいう神女)である友人が教えてくれました。「火の神」とは「ヒヌカン」と読み、本土でいう神棚のような存在。沖縄では台所に祀ります。その友人に勧められて、最近我が家にもお迎えしました。

 

移住した当初はお線香の形にもびっくりしました。1本1本でなく、6本が横につながり、きしめんのように平べったいのです。そして1回に15本分(2組半)を燃やすのですから、それなりに迫力があります。そうして旧暦の1日と15日の月2回、家庭のお母さんは、家族の健康や家庭円満を願うのです。

 

ヒヌカンだけではありません。沖縄の人は、神社や観音様、自然の中の拝所でよく拝みをします。こちらで生活をしていると、そんな人に出会すのは珍しくありません。それを目にするたび、沖縄の人は“目に見えない”ものを大切にしているなと思うのです。

 

ところで沖縄のお母さんの手料理も、“目に見えないもの”を大切にしていると言えるかもしれません。例えば沖縄そばやジューシー(炊き込みご飯)に欠かせない豚の出汁は、何時間もかけて灰汁をすくい、冷まして脂を取り除いてやっと完成ですし、鰹出汁も鰹節も削るところから始める人もいます。豚の煮付けを作るのもコトコトと何日もかけて柔らかくします。時間と手間暇という、出来上がった料理からは見えないものを惜しみません。

 

話をヒヌカンに戻しますが、前述の神んちゅさんは、「お線香の燃え方で、天に願いが届いているか判断するんだよ」とも教えてくれました。願いが通じた時は、勢いよく燃えるのだそうです。確かにバッと燃え上がり花が咲いたようになる日もあれば、時間をかけてゆっくり燃える日もあります。途中で火が消えてしまうこともあるそうです。目には見えない神様だけど、お線香の燃え方という目で見えるものでその気配を感じているのですね。

 

それを聞いて、「お線香って神様へのお手紙だ」と思いました。願い事と「私はここです」という目印をお線香に込めますが、お線香が元々繋がっているのは、健康を守る家族が沢山いるからかもしれません。それに対して神様は「わかりました! あなたの願いを叶えましょう」とその火を強める。お線香はいわば、神様とのコミュニケーションツール。沖縄のお母さんは、お線香で神様と会話し、その存在を常に感じているのだと思うと、なんだかヒヌカン自体に親しみが湧いてきました。

 

だから沖縄の女性は強くて、愛情深いのかもしれません。料理にあれだけの手間暇をかけられるのも、神様と常日頃コミュニケーションを取っていることと無関係ではないと思うのです。ヒヌカンて、ユーモラスで理に叶っているなと感心しつつ、神様からのお返事に注目する毎日です。

 

以上

 

 

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この初稿からの第二稿です。

 

 このブログ


 

 

自分の文章って、面白いのか(興味をそそられるか)どうか、よくわからなくなるよね。

 

私は、1年前まで”沖縄の暮らしを楽しむウェブマガジン”に勤めていたのだけど、

社長には、本当にお世話になったなあ、と今でも感謝が絶えないんだよね。

 

それまでライターなんてしたことがなかった私に、記事の書き方を0から教えてくれた。

最初の頃は、書いても書いても赤入れがすごくてね。

社長が自分で書いた方がよっぽど早いだろうに、

私の文章を大幅に直すことなく(私の文章を尊重しつつ)、アドバイスを山ほどしてくれた。

 

(写真の撮り方も教えてくれた。)

 

 

その時も、自分の文章が客観的にどうかなんてよくわからなかったんだけど、

その社長は決して嘘を言わないから、

社長が「オッケー」を出せば、「大丈夫なんだ」と安心してた。

「社長がオッケーを出せば、間違いない。」

それだけ社長の判断や、社長の書く文章をすごいと思ってた。

 

 

今回、出版する本に自分の経験をコラムとして執筆することになり、

ほとんどインタビュー記事しか書いてこなかった私は、本当に書けなくて、情けなかったのね。

 

でも書くしかないから、

「コラムってどんな風に書けばいいんだろう?」と、

持ってる本から探して、虱潰しにコラムを読んだ。

 

色々読んだんだけどどさ、

自分が書くにあたって参考になるのは、たった一人の人のコラム(というか記事)しかなかったんだよね。

 

 

それが社長の書いた文章だった。

 

 

「ああ、私はここでも社長にお世話になるのか」と、

なんとも言えない気持ちになったよ。

 



もう会わなくなってしまった社長だけど、

本当に感謝しています。

本当にありがとうございました。

 

 

 

 


田中えり