この記事からの続き〜。

 

霊視してもらって、あまりの落ち込み具合に数時間はぼーっとしてた。何もできず。

 

「怒りが肝臓にこびりついてる」と言われて、

 

でも、なんのことか、

 

何に怒っているのかわからない。

 

 

「前世のことじゃないよね?」とか霊視中聞いてた爆  笑

 

「前世じゃないと思う」って。

 

 

そっか。

 

前世だったら仕方ないって、目をそむけてしまう。

 

せっかくの機会なのに、自分に向き合うことなく終わってしまう。

 

 

 

あ〜、しんどい。。

 

 

 

ああ、こんな時こそ、ブログだわ。

 

ブログ書こう。

 

 

と思い立ったのは、霊視が終わってから、4,5時間は経ってたんじゃないかな。

 

 

感情の出るまま書きなぐる。(↑の記事ね)

 

 

 

 

 

本当に自分に絶望していて、

 

悲しみ、怒りのままに書いてるんだけど、

 

 

どこか冷静な私もいて、

 

 

「これが自分に絶望するってことか。今まで絶望した気になってたけど、絶望しきれてなかったわ」

 

とか、

 

「これ、どう見ても、内観が足りてないよね。ちょっと恥ずかしい」

 

と思っていて。

 

 

 

そう思ったら、

 

書いているうちに

 

「もう自分はダメ人間でいいや」

 

って開き直ってきた。

 

 

 

アファメーションするように、

 

「私は、私のことがわからない、ダメ人間です」

 

と書いてみた。

 

 

 

そうしたら、

 

 

癒やしが起こった。

 

 

じわ〜っと、重しが溶けて、お腹や胸のあたりが軽くなった。

 

体が楽になった。

 

 

 

癒やしが起きたことに感動していたら、

 

その後、気づきも起こった。

 

 

「ダメな自分を守りたくて、ダメな自分を隠してたんだ。

 

それが分厚いプライドみたいになってたんだ」

 

 

「自分がダメなことはとっくにわかっていて、それを認めたと思ってたけど、

 

認めきれてなかったんだ」

 

 

って。

 

 

その根底には

 

「優秀じゃなきゃいけない」

 

という価値観がこびりついてる。

 

それには気づいてたけど、まだその価値観を手放せていなかった。

 

 

私は幼少の頃、祖母(父方)と一緒に住んでいた。

 

その祖母は、頭のいい人で、学歴を重視する人だった。

 

絶対的権力のあった祖母に、母は従っていたからか、

 

母もその考え方だった。

 

 

私は勉強を頑張ってきた。

 

中学に入ると、どんなに頑張っても、1番になれない。

 

「勉強のできない自分は、ダメだ」ってずっと思ってきた。

 

 

 

そういえば、私、試験に縁がない。

 

中学も高校も大学も受験したけど、第一志望にことごとく受からなかった。

 

 

なのに、大人になってからも、難関の試験を受けていて、やっぱり受からなかった。

 

なんで頭よくないのに、こんな試験ばっかやってて、しかも不合格を繰り返してるんだろうと思ってた。

 

でも、今回の霊視でわかったよ。

 

 

自分は、勉強ができないってこと、優秀じゃないってこと、

けれど、それでいいんだよってことを、

ちゃんと認めなさいってことだ。

 

 

勉強ができない自分がダメだと思って、自分にムチを打ち続けてきたから、

 

それをわからせるために、また試験を受けようとしていたんだ。

 

 

 

 

「親の価値観を崩すこと。」

 

私達3人の兄弟がなぜ兄弟として生まれてきたのか、と思ったとき、

 

「親のこの価値観を崩すためだ」と思っている。

 

兄と妹は、10代で暴れてきた。

 

親の価値観をことごとく崩してきたから、親もある時点で諦め、手放した。

 

なのに、私だけが、その価値観にまだ縛られていた。

 

 

 

私は物分りのいい大人になろうと、ずっと頑張ってきてた。

 

なぜかって、母を悲しませたくなかったから。

 

私は、「母を幸せにするために生まれてきた」という自覚がある。

 

(どの赤ちゃんもそうかもしれないけど)

 

 

 

2歳上の兄は、大変な難産で生まれてきた。

 

母は、出産が大変すぎて、退院後も家で寝込んでることが多かったそう。

 

そして、兄は全身にひどいアトピーがあった。

 

祖母は、難産もアトピーも、母のせいだと母を責めた(母はそう受け取っている)。

 

 

2年後、私はすんなりと安産で生まれた。

 

夜泣きもほとんどしない、「育てやすい、手のかからない子」。

 

「手がかからない、いい子」というのは、私にとって最大の褒め言葉。

 

兄に手こずっている母を見ていたから。

 

母に手をかけさせないのが、嬉しかった。

 

 

物分りのいい、聞き分けのよい、大人しい私が形成されていった。

 

 

 

 

祖母にとって兄は、唯一の男の子の孫で、可愛がられた。

 

「えりは女なんだから、我慢しなさい」

 

男が偉くて、女は偉くない。

 

そんな価値観が形成されてたことも思い出した。

 

女であることをダメなように捉えていること、

自分の女性性を否定しようとしていたのは、

これが原因だったかもと気がついた。

 

 

 

 

私が生まれた2年後に、妹が生まれた。

 

妹は、末っ子らしく、愛嬌があって、周りに可愛がられた。

 

「あなたはお姉ちゃんなんだから、我慢しなさい」

 

って言われてた。

 

 

 

 

ほんとは我慢したくないのに、我慢してた。

 

 

 

 

 

 

優等生ってこうやって作られていくんだろう。

 

こういう人、きっと多い。

 

しかも自覚が難しい。

 

これくらいのことは、みんなが多少は経験している、いってみれば「あるある」。

 

 

ひどい虐待があったとか、

 

両親がものすごく不仲だったとか、

 

こういう、わかりやすい傷がない。

 

 

 

浅く、長く、じわじわと、自覚できないほどに、

自分を苦しめてきてたんだなとわかった。

 

 

 

 

 

 

 

私だって、子供なのに。

 

 

全然賢くない、アホなのに。

 

 

 

私は、アホな子供なのに。

 

 

 

 

 

そういえばたまに、空気を読まない発言をして、周りをドン引きさせることがあったなあ。

 

ちょこちょこ、アホで子供の自分が顔出してた。

 

 

全然大人じゃないのが、本来の私だ。

 

 

 

 

 

こうやって芋づる式に、いろんな気づきがあった。

 

 

 

私にとって、史上最悪の霊視。

 

 


 

けど、これだけのことを言ってもらわないと、私は自分と向き合えなかったんだろうと、今ならわかる。

 

そして、やっと向き合えるだけの準備ができたから、こんな霊視だったんだろうっていうのも、わかる。

 

 

 

この霊視をしてくれたのは、小林祐太君。

 

これだけの気づきを得られたのは、時間をかけてとても丁寧に観てくれたから。


そして、私が抑え込んでいた「怒り」をぶつける対象にもなってくれたから。

 

 

霊視が終わった後、またいい子ぶって、お礼のメッセージをしたところ

 

「まだ僕に怒ってるくせに、お礼を言うのは早い」

 

と、怒りを出すのに、付き合ってくれた。

 

 

 

 

 

これからは、アホな子どもの私でいく。

 

(自称)優等生の自分が顔を出して、なかなかアホになりきれないけど、

 

そんな時は「えりりんは、アホなくせに」と言ってほしい。

 

 


アホな顔を撮ろうとしても、この程度しか撮れん。まだまだやわ。


 

田中えり