以前からなぜこの地を
鳥の名前の百舌鳥(もず) と呼ぶのかなーとゆう疑問をもっていました。
百舌鳥地方は又百舌鳥耳原とも呼ばれ、古くは 毛受(もず)、毛須(もず)、
万代(もず)、とよまれていたようで 万代の庄 と呼ばれる荘園があったそうです。
ふーんそうだったんだー。
社伝によれば、神功皇后が三韓征討の事終えて難波に御帰りになった時、この百舌鳥の地に御心を留められ幾万年の後までもこの処に鎮りまして、天下泰平民万人を守ろうという御誓願を立てられ、八幡大神の宣託をうけて欽明天皇の時代に、この地を 万代(もず) と称し、ここに神社を創建してお祀りされたと伝えられています。
HPより
仁徳天皇は特にこの地を好まれ、屡々鷹狩を催し給い、遂にその陵地と定められました。
わが国最大の前方後円墳として有名な仁徳天皇陵は、すぐちかくです、
社前の 巨木楠木 は 樹齢約八百年で、大阪府の天然記念物に指定されています。
此の神社をたずねたのは 巨木の楠木 を見てみようと訪ねたのでした。
稲荷社
本殿の東の奥まった所にお地蔵様がおられました、暗くて顔はみえませんでしたが、
自分んの悪い所をなぜてお地蔵さんの頭をなぜると悪いところが治るそうでした。
こんな言い伝えは日本各地にありますよねえ。
若宮社
此の神社の裏にありました 万代寺(もずてら)で咲いていました。
以上です。