なかなか見つからなかったがようやく見つかりました、

 

三好長慶が父 元長 の菩提を弔うために建てた

南宗寺(なんしゅうじ)です、流石ですね入るとすぐありました

三好長慶の銅像がお願いお願い

 

 

 

 

 

戦国の武将らしい造りの土塀でした、鉄砲の玉も通らないでしよう、

 

石と砂だけで作った枯山水庭園もみさしてもらいました、

 


仏殿の天井に描かれた八方睨みの龍の絵は迫力まんてん、何処へ逃げても睨まれました。

 

 

瓦には葵の紋が入っていましたよ、

 

 

重厚な造りの本堂、上差し

 

 

 

甘露門 重要文化財 通れませんでした、上差し

 

            唐門 重要文化財。下差し

 


千利休や一族のお墓が境内にありました、

 

 

利休さんは次回UPです、

 

 

境の南宗寺には 徳川家康のがある 聞いて気にはなっていたのですが

今回やっとチャンスができ訪ねることができました。

 

碑銘が刻まれた立派な墓がありました この墓が建てられている場所は東照宮があったところだそうでした。

 

三つ葉葵 のご紋もありました。

 

 

 

南宗寺には家康が大坂夏の陣(1615)で敗れ駕籠(かご)で逃げる途中、後藤又兵衛に槍で突かれた。

かろうじて堺まで落ち延びたが、駕籠を開けると既に事切れており、遺骸を南宗寺の

開山堂下に隠し、後に久能山に改葬したとなっているそうです。

 

槍でつかれた駕籠は現在 日光東照宮で保管されている、槍で突いた跡 が残る駕籠の写真も

そろっていました。

 

1623年7月10日に徳川秀忠、8月18日に家光と、幕府将軍が相次ぎ同寺を訪れた記録が残つているそうです、

 

2人の将軍が南宗寺を訪ねるのもかなり真実味がありますね。

 

 

 

このような話は大好きなのですぐにたずねます、

 

 

家康の墓全景、上差し

         卵形の石 古い家康の墓。下差し

 

以上です。