唐突だけど、
自分は月に小説なりエッセイ集なり、3冊は本を読みます。
これは平均値で、
調子良い時は月に10冊くらい読んでいる月もありますが、
大体10日に1冊というのが、今の生活に一番フィットしたペースで。
その多くは小説の文庫本が多いのですが、
巻末の「解説」で、盛大に滑っている人を、
そこそこの数、見受けられます。
本の「解説」ページは、
あくまでも作品の補足をするものであって、
決して自己表現の場ではないと考えます。あくまでも田中の考えです。
主役は本を書き上げた作家であり、
解説を書いている方は、あくまでもサブの位置なんだから、
あれこれ多くを語りたがる「解説」に出くわすと、
お前の本業の方で頑張れ!と、思ってしまうんです。
一番あ然とした巻末の「解説」は、
短編小説のまとめられた本で、解説自体のページ数が、
本編の短編1話分よりも、ページ数が多かったものに遭遇した時でした。
とあるベテラン小説家が、
若手の短編集のために解説を引き受けたケースだったと思いますが、
「お前よりも面白い文章書けるんだぜ」感がにじみ出ていて、
せっかくの短編集の読後感が台無しになりました。
誰かが必死に作った創作物に対して、
知識や技術でマウントを取るとか そんな悲しいことはしてくれるな!
これは写真にも、映像作品にも言えることなんですが。
ネットで、
名前を伏した掲示板なんかで、特定のアマチュアカメラマンを馬鹿にしたような書き込みや、
映像制作を趣味としている人間や集団に、一方的な個人の感想をぶつけるだけの書き込みなど、
無責任な言葉の暴力で、誰かをクサして、自分だけが気持ちよくなる、
マウント取りたいだけの卑怯者が、実に増えた気がします。
前にも同じテーマでブログに書きましたが、
芸術作品に、上手いも下手もないんですよ。
ファインダーを通せば、そこからはその人の世界なんだから。
カメラマンも、SNSで投稿する時に、
まるで呪文のように「#キリトリセカイ」とか付記するでしょう。
そういうことなんですよ。
一度ファインダーの中を覗いたら、
そこから先に現像される写真や、映像作品は、
すべて撮影者の著作物であり、誰にも侵害されることのない芸術の小部屋なんです。
キリトラれた世界の中で、自分がいいと思う「アート」を表現しているのだから、
やれテクニックがどうとかこうとか、
いらんお世話ですわ。
それを匿名掲示板で、
「下手」だ
「ピンボケ」だ
「音が悪い」だ
「アドリブ任せの芝居が悪い」だ、
よくもそんな安全地帯から拡声器で文句言えるなって。
マウント取りたがるのも、性癖としてわかります。
人間は、常に比べたがるものだから。
だけど、
もしも相手を理屈や論理でねじ伏せようとするのならば、
せめて「同じ土俵」に上がってからじゃないか?
自分が論破したい相手が写真をしているなら写真で、
映像制作しているなら映像制作で。
それぞれ同じ土俵で作品を発表してから、堂々と公の場で言葉のボクシングをしようよ。
ノーガードで殴り合おうよ。
それすらせずに、一方的に陰に隠れて攻撃するのはアンフェアじゃあないか?
なんだか、最近のネットでの風潮を見ていて、寂しいものを感じました。
日本人はここまで心が荒んでいるんだなって。
まずは誰もが誰かを尊重しようよ。
目の前にいない誰かの魂を尊重しよう。
みんながみんな、独立した表現者なんだから。プロ・アマ問わずに。
そして、
批判の言葉を浴びせたいのならば、
せめて同じ土俵の上に足を踏み込んで来い。
写真
映像制作
自分はどの分野でも、真っ向勝負できるように足を踏み入れてます。
殴られる覚悟ができているから、殴ることもできます。
だけど自分は・・・殴らんけどね。
みんな違ってみんな素晴らしいんだよ。
スマホの向こう側で、チマチマとした文句を打ち込んでいないでさ、
実際にお前の気になるカメラマンさんや、映画監督に会ってみなよ。
ちょっとでも会話すれば、見方も変わるぜ?
結論:とにかく外に出よう
だけど最近は暑いからな。水分補給忘れずに(ハート)熱中症に気を付けて(ハート)
汗をたくさんかいた日には、真ラーメン部のオススメ ラーメンショップさんへGO!