深夜仕事をする際に、ラジオを点けて作業することが多いのですが。

 

 

先日、1時間のインタビュー枠で、

出演したナントカ協会の理事のお爺ちゃんが、なかなかに強烈で。

わかりやすく言えば山城新伍みたいなオラオラ系爺さん。

 

 

 

 

とにかく自分はスゴイ!自分は能力がある!一流のものばかりを日常に取り入れている・・・みたいな。

これはこれで、この上品な番組には珍しい、アイタタ系老人だなと思い、ニヤニヤしながら聴いていました。

 

すると、

ここから先はあくまで田中の推察でしかないのですが、

聞き手のアナウンサーの方が、ちょっとイライラしだして。

俺様は~と語る老人に対して、ちょっと大きめの声で仕切りだして、

その空気を察したのか、番組の後半では、お爺さんがちょっとだけトーンを落とし、

丁寧な「ですます調」にギアチェンジしたところが最高に愉快でした(ゆがんだ楽しみ方)。

 

まあ、

なんとか協会の理事長先生に多い「あるある」ですな。

 

先生と呼ばれている老人と、

あとは企業の創業者とか。あの辺は大体、”山城新伍モード”に入ります。

やっぱり、自分はこの地位まで昇り詰めたんだぞという、自負のようなものが滲み出るんでしょうか?

 

 

田中は、30代のころからやたらとこの手の御老人たちと接する機会が多く。

飲みに行くときや、遊びに行くときは、

会長とか先生とか理事長と呼ばれる方々にくっついて、

あちこちに出かけていた記憶があります。

あの年代(70歳台以上)の人々から、当時の田中の年齢は、

ちょうどいい年齢差の”舎弟感”があったのでは?と、今さらながらに自己分析します。

田中も田中で、

同年代の女性たちからモテる要素はゼロの、哀しい男だったので、

老経営者たちから引く手あまたの能力を、ちっとは異性への能力にわりふりできないかと悩んだりしました。

そう、田中は老人や子どもから支持はあるけど、

異性からモテるという世界線を辿らず、今日に至っています。なんてかわいそうなんだ。

 

 

まあそれはさておき。

 

 

今自分が45歳と、

人生の折り返し地点に立った時、

もっともっと老人たちと話をして、理解を深め、彼らのメッセージを受け止めて、

自分への糧にしておけば良かったなと思うのです。

 

 

あの頃は正直、同じことばかり言ってウザいとか、

俺様スゲーみたいな話はウンザリとか思っていましたが、

ふりかえれば、懐かしくもあり、含蓄もあった、

貴重な体験記を生で聴けていたのですからね。もう少し、こっちも心を開いて受け入れていても良かったかなと。

まあ、今さらそんなことを思ってもアフター・カーニバル、後の祭りなんですが。

多くの先生方や会長さんたちは、彼岸の向こうに渡ってしまわれました。

できないことを承知で、

今はもっともっと老人を求めています。

 

 

ネットのログだけを閲覧することが、過去への学びではなく。

やはり生で、長生きしてきた人たちと対話することで、過去を知り、ミライを考える時間が欲しかったと。

この歳になって、後悔しています。

 

ここから先は、自分が壮年とか老年と呼ばれる世代に足を踏み入れ、

今度は田中が若い子たちに、

「あのオヤジ話長いんだよ」と煙たがられる年次が、近付いているわけなんですけどね。

 

 

会いたいときに、会いたい人がいない。

自分より年長者にたしなめられることもない。

こんな寂しいことはないんだけど、

自分が年をとればとるほど、この状態になってしまうんですね。

寂しいけれど、これも人生か。

 

 

せめてこの先は、ひとりでも喧嘩別れした人が少ないよう、生きていきたいものです。

喧嘩しても何の得もないじゃないですか?

知り合いや友だちは一人でも多い方がいい。

皆歳をとるわけですから、老後に一人でも語り合える友人が多い方が、絶対いいですよ。

なんだか今日は、珍しくシワシワした、お爺さんみたいな記事を書いてしまいました。

これも・・・老いの証拠か。

 

今日も、笑顔で

明日も、笑顔で

 

周囲の人を笑顔にできる、折り返し地点の人生を考える日々です。