巨石の上に巨石が載っている
地元の人はその奇跡のバランスの石のことについて
小学校でも習う
そう教えられて向かったのは、安芸郡熊野町でした。
広島県の中心部に位置する熊野町。
全国的に熊野筆で有名な町でもあり、鉄道が通っていない町の中では、県下最大級の町だとか。
確かに。
広大で、飲食店やスーパーも充実しているイメージはあります。
熊野町の中心部から車を走らせること15分。
「筆の里工房」という施設を目標に山に向かって行き、
さおこからさらに5分山まで走ります。巨大な霊園の先に「ゆるぎ観音」と呼ばれる地域に到着しました。
御山一帯が「ゆるぎ観音」地帯なのだそう。
広場の入り口で2体の仏像が出迎えてくれます。
RPGのダンジョンの出入り口みたいで、なんだかわくわくしますね。
すごく立派な仏像です。
そしてここから山を登っていくのですが・・・
お賽銭を入れる甕(かめ)がありました。
防犯対策ばっちりです。
確かにこれなら、ちょっとやそっとでは盗めないでしょうね。
例によってお金を入れて、旅の無事を祈ります。
賽銭甕の横にはこんなものがありました。
水が出る何かだったのでしょうか?
この日田中が訪れたときは何も出ていませんでしたが、
文章の「~まれにみる軟水の名水といってよい」という力強い口調に頼もしさを感じます。
入り口から登って数十メートルのところで、すぐに「ゆるぎ岩」が現れました。
ゆるぎ岩を様々な角度から撮影。
なるほど。
巨石の上に巨石。
大自然の奇跡のバランスが産んだ妙
確かにこれは、信仰の対象になるわ・・・という、見事なものでした。
かつて太古の昔に岩が生成されたときからなのか、それとも大規模な土砂崩れがあった時からなのか。
その時から絶妙な位置で2つの岩は、今の熊野町が出来上がるまでを見守り続けたということなのでしょう。ロマンがありますね。
ちなみにこの岩。
善人がゆすると動く という言い伝えがあり、田中も試してみましたが・・・微動だにしませんでした。
こちらのゆるぎ岩からさらに20mほど上に、観音堂があります。
そして、この山林の中で「磨崖仏(まがいぶつ)」なる、岩に刻まれた仏さまを確認することができます。
三十三体プラス三体あるんだとか。
とりあえず、この日は目に入ったものを写して回りました。
なんとも厳かな気持ちになります。
明治の初期に掘られた仏像だそうで。
車で訪れるのにもなかなかの山道を登ってきましたが、
大昔に人々が願いをもってこの御山に登り、そこで願をかけていたと思いを馳せると、とても清らかな気持ちになります。
今回は静止画だけの撮影でしたが、
いつか自分の持ちうる撮影技術の粋を集めて、きれいに記録動画撮影ができないかなと思いました。
このスポットこそ、本当に地元の人のみぞ知るスポットだなと。
事実、お隣の呉市出身の田中もまさかこんな荘厳で由緒正しい神聖な場所があるとは露ほども知らず。
こういう場所って、あるんですね。
でも、撮るときは畏敬の念を忘れずに。
この山のすぐそばは、直近の大規模度土砂災害で、山から大量の土砂が流れていて、今もその傷跡が生々しく残っていました。
しかし、仏さまに護られた山なのか、
ゆるぎ観音周辺は、被害がほとんどなかったそうです。
山を登りながら、斜面の磨崖仏を確認する際は足元要注意です。
かなりの高さの崖のサイドが崩れていて、ロープで規制されている場所もあります。
山登りの師匠から言われた言葉ですが、
「基本、山のロープや板は信用してはならぬ」だそうです。
この斜面のロープも、ただ危険を知らせているだけのロープなので、がけ下に落ちたら大けがです。
この記事を読んで山に行こうと思った方は、最低限のトレッキングができる装備で行かれることをおすすめします。
一大観光地というわけでもなく、地元のお年寄りが信仰のためにお参りする山のようで、田中が滞在していた1時間半の間に、わずか2組の老人がやって来ただけでした。
がけ下でうずくまっていても、誰にも発見されないリスクはありそうなので、安全対策をばっちりして入山してください。
撮影うんぬんを抜いても、シンプルに自然の中にいるだけで心が癒されます。
特にこういう世相の中で、経済活動もままならなくなった今、
自分自身を見つめなおすには最適な場所が山や海なんじゃないかと思っています。
もちろん、誰にも会わず、誰ともつるまずに、黙して籠るというのが大前提ですが。
ゆるぎ岩のように、一見たいへんそうな状況でも、悠然と乗っかり続けるくらいのおおらかさ、強さを見習わないといけない。
そんなことを考えながら、ゆるぎ観音を後にしました。