やっと、発表おわり。ひと段落着きましたー
まだこれから提出に向けて頑張るのと、そのあとすぐに設計作業だからそんなに気は抜けないのですが、
息抜きは必要です。
発表についても、今回反省点は多すぎるくらい多いし、ここ半年くらい、ぐるぐる悩み続けた。
だから今、書きたいことはたくさんあるのですが、混乱状態なのでひとまず置いといて。
昨日、ずっとずっと、楽しみにしてた映画、
ヴィクトル・エリセ監督作品「エル・スール」「ミツバチのささやき」を見てきたよー
この映画を見たいがために、前日の発表まで頑張ってきたようなもんだもん。
だから今日は、この感想をただつらつらと書くだけです。長くなりそう。
いろんな悩みは少しずつ、少しずつ。
「poco a poco」=「少しずつ」、ってスペイン語なんだね、この映画観て知った。
まず『エル・スール』
「エストレリャが父はもう帰ってこないと予感したのは、ある15歳の朝だった。
内戦の記憶、父の過去。北の‘かもめの家’に届く、南=エル・スールからの誘い・・・」
(早稲田松竹の紹介文)
正直言うと、そこまで期待はしていなかった。
「ミツバチのささやき」の評判があまりによくて、だからこの作品はそうでもないんだろうな、と。
でも、うれしく期待を裏切ってくれました。すごく良かった。
この映画は、端的に言ってしまえば「父と娘」の物語。
誤解を生む言い方かもしれないけれど、恋愛感情に近いものすら感じられた。
でも実際も本当はそういう感情はあるのかもしれないな。
娘にとって、「父親」という存在は、初めて出会う男の人。
一般的にも、親に愛されたい、かまってもらいたい、そういう想いを
子どもは誰でも持っているけど、それは異性の親により強く求めてるんじゃないかな。
同性には埋めてもらえない部分って絶対あると思うんだ。
友情と恋愛感情はやっぱり別物。
映画では、絶対的な憧れだった「父親」もひとりの不完全な人間なんだってことに、
娘エストレリャが少しずつ気づき始める。
そして自分も大人になるにつれて、「父」ではない「異性」の存在を知り始める。
父があこがれ続けていた「エル・スール」=「南」。
いつも「父」が見ていた「南」、ずっと知りたかった「南」へ、「わたし」も行くことになる。
最後は、そのすごくドキドキしてる主人公の気持ちが伝わってきて、こっちがドキドキした。
ここでは、「南」は描かれていない。描かれぬまま終わる。
だから「未完」だという評価もあるけど、わたしはこれで十分だよ。
娘にとって父親という存在は、たぶん絶対的な異性として揺らがないんだと思う。
よく、父親に似た人を好きになる傾向がある、なんて話を聞いたこともあるけど、
たしかにそうなのかもしれないなって思った。
無意識のうちに、自分の中の憧れとしての異性には、自分の父親の影があるのかもね。
わたしの父は、どちらかというと寡黙な人。不器用な人。
そして人に対して変に真面目だと思う。
でもひとつだけ、今でもすごく覚えてる父との思い出がある。
わたしがまだ小学生くらいだったころ、エイプリルフールの日。
真面目な父親がわたしに小さな嘘をついたんだ。わたしを笑わせようとして。
それは単純なジョーダンだったけど、そのときに一緒に笑い合えた記憶が今でも時々思い出されるの。
あの記憶は、なかなか消えていかない。
この映画の一番好きなシーンは、小さかった主人公エストレリャが、大人になる場面転換のところ。
並木道を小さな自転車に乗って走っていくこどものエストレリャ。
だんだん見えなくなっていく。
そして戻ってきたのは、少し大人になったエストレリャ。
・・・これはすごい!
youtubeにありました。見つけてしまった。…ショック。
こんなに大好きな大切な映画が、こんなに簡単に見れてしまうことが、少し悲しい。くやしい。
でもそれを載せてしまう自分も、なんだかなあ。矛盾だらけのわたし。
でもすごいシーンなんだもん、載せてしまえー。えいやー。
あとは、やっぱり最初のシーン。
エストレリャがまだ母親のお腹の中にいるときの、父と母二人の会話。
あの映像もとてもきれい。ひとつの絵画だよ。
あ!あと、そのあとのエストレリャが朝起きて、部屋に色が付き始めるシーン。
これも、本当にきれいだったー。いいなー、こういう表現大好きだよ。
もうひとつ。好きなわけじゃないけど、心に響いたシーン。
親に反発して、というかかまってもらいたくて、ベッドの下に隠れたエストレリャ。
母親は必死で探してくれている。でも、父親は探そうとしてくれていなかった。
それでも待ち続けたエストレリャ。
その娘に父は、屋根裏の自分の部屋で、杖で床をたたき続けるという態度をとった。
「コン、コン、コン、・・・」という音は、家中に響き渡る。もちろん、エストレリャの耳にもその音は届く。
そのときエストレリャは悟った。
「父は、わたしよりも悩みの深いことを、知らせようとしている」
こんなに自分が悩んで、ベッドに隠れることで気を引こうとしたのに、
それよりも父の悩みは深い。わたしのしてることは、父には届かない想いだった。
悲しい。悔しい。さみしい。エストレリャの痛みがジンジン伝わってきたよ、このシーン。
むむむ。つい熱くなっちゃうな。もっと書きたいけどこのくらいにしよう。うん。
『ミツバチのささやき』
これもまたyoutubeにありました、予告編が。載せてしまえー。
「ソイ・アナ・・・私はアナよ」無垢な瞳が照射する、内戦スペインの心。
養蜂家の父、フランケンシュタインの存在を信じる少女。
スペインの内戦を深く視座に吸え、繊細で寡黙、
純粋に私的な映画表現で描き出した映画」
(早稲田松竹の紹介文)
ただただ、映像がすごくきれい。
それは間違いない。エリセ監督の映像美はもう当たり前になってるなー。
でもこの映画の「ミツバチの国のアリス」だ、という評価に納得だよ。
どこまでも純粋なアナと、少し大人のイサベル。
同じこどもでも対照的な二人だけど、この映画はアナの視点で描かれている。
こどもの純粋な心には、世界はあんなに神秘的できれいで純粋に映るんだね。
目の前にあるものすべてが、偽りじゃない、「本当のもの」として存在するから、
あんなに一生懸命に向き合うんだな。
映画館出た後に聞こえた他の人の感想は、よくわからなかったー、って。
これ、実写だから、理解されにくいのかもしれない。
これは納得。そうかそうか。きっとそこでつまづくんだ。
実写だからすごくきれいなんだろうなって思うけど。
もしアニメだったら、まさに「ミツバチの国のアリス」で、
きっとジブリ映画的に見ることができるんだと思うよ。
ジブリ映画があんなにすんなり受け入れられるのは、アニメだからだなー
大人になると失うたくさんのもの、この映画、エリセ監督はきれいに映し出してくれる。
忘れたくない感情たち。
これからも何度も何度も、見たい作品です。
「ミツバチのささやき」「エル・スール」「マルメロの陽光」
ちいさなこどもアナと、少女から女性に成長するエストレリャ、そして老人ロペス。
これ、つながってるよ。ひとつの一生を描いてるみたいだよ。
ほんと、いい映画に出逢えたな。うれしいな。
まだこれから提出に向けて頑張るのと、そのあとすぐに設計作業だからそんなに気は抜けないのですが、
息抜きは必要です。
発表についても、今回反省点は多すぎるくらい多いし、ここ半年くらい、ぐるぐる悩み続けた。
だから今、書きたいことはたくさんあるのですが、混乱状態なのでひとまず置いといて。
昨日、ずっとずっと、楽しみにしてた映画、
ヴィクトル・エリセ監督作品「エル・スール」「ミツバチのささやき」を見てきたよー
この映画を見たいがために、前日の発表まで頑張ってきたようなもんだもん。
だから今日は、この感想をただつらつらと書くだけです。長くなりそう。
いろんな悩みは少しずつ、少しずつ。
「poco a poco」=「少しずつ」、ってスペイン語なんだね、この映画観て知った。
まず『エル・スール』
「エストレリャが父はもう帰ってこないと予感したのは、ある15歳の朝だった。
内戦の記憶、父の過去。北の‘かもめの家’に届く、南=エル・スールからの誘い・・・」
(早稲田松竹の紹介文)
正直言うと、そこまで期待はしていなかった。
「ミツバチのささやき」の評判があまりによくて、だからこの作品はそうでもないんだろうな、と。
でも、うれしく期待を裏切ってくれました。すごく良かった。
この映画は、端的に言ってしまえば「父と娘」の物語。
誤解を生む言い方かもしれないけれど、恋愛感情に近いものすら感じられた。
でも実際も本当はそういう感情はあるのかもしれないな。
娘にとって、「父親」という存在は、初めて出会う男の人。
一般的にも、親に愛されたい、かまってもらいたい、そういう想いを
子どもは誰でも持っているけど、それは異性の親により強く求めてるんじゃないかな。
同性には埋めてもらえない部分って絶対あると思うんだ。
友情と恋愛感情はやっぱり別物。
映画では、絶対的な憧れだった「父親」もひとりの不完全な人間なんだってことに、
娘エストレリャが少しずつ気づき始める。
そして自分も大人になるにつれて、「父」ではない「異性」の存在を知り始める。
父があこがれ続けていた「エル・スール」=「南」。
いつも「父」が見ていた「南」、ずっと知りたかった「南」へ、「わたし」も行くことになる。
最後は、そのすごくドキドキしてる主人公の気持ちが伝わってきて、こっちがドキドキした。
ここでは、「南」は描かれていない。描かれぬまま終わる。
だから「未完」だという評価もあるけど、わたしはこれで十分だよ。
娘にとって父親という存在は、たぶん絶対的な異性として揺らがないんだと思う。
よく、父親に似た人を好きになる傾向がある、なんて話を聞いたこともあるけど、
たしかにそうなのかもしれないなって思った。
無意識のうちに、自分の中の憧れとしての異性には、自分の父親の影があるのかもね。
わたしの父は、どちらかというと寡黙な人。不器用な人。
そして人に対して変に真面目だと思う。
でもひとつだけ、今でもすごく覚えてる父との思い出がある。
わたしがまだ小学生くらいだったころ、エイプリルフールの日。
真面目な父親がわたしに小さな嘘をついたんだ。わたしを笑わせようとして。
それは単純なジョーダンだったけど、そのときに一緒に笑い合えた記憶が今でも時々思い出されるの。
あの記憶は、なかなか消えていかない。
この映画の一番好きなシーンは、小さかった主人公エストレリャが、大人になる場面転換のところ。
並木道を小さな自転車に乗って走っていくこどものエストレリャ。
だんだん見えなくなっていく。
そして戻ってきたのは、少し大人になったエストレリャ。
・・・これはすごい!
youtubeにありました。見つけてしまった。…ショック。
こんなに大好きな大切な映画が、こんなに簡単に見れてしまうことが、少し悲しい。くやしい。
でもそれを載せてしまう自分も、なんだかなあ。矛盾だらけのわたし。
でもすごいシーンなんだもん、載せてしまえー。えいやー。
あとは、やっぱり最初のシーン。
エストレリャがまだ母親のお腹の中にいるときの、父と母二人の会話。
あの映像もとてもきれい。ひとつの絵画だよ。
あ!あと、そのあとのエストレリャが朝起きて、部屋に色が付き始めるシーン。
これも、本当にきれいだったー。いいなー、こういう表現大好きだよ。
もうひとつ。好きなわけじゃないけど、心に響いたシーン。
親に反発して、というかかまってもらいたくて、ベッドの下に隠れたエストレリャ。
母親は必死で探してくれている。でも、父親は探そうとしてくれていなかった。
それでも待ち続けたエストレリャ。
その娘に父は、屋根裏の自分の部屋で、杖で床をたたき続けるという態度をとった。
「コン、コン、コン、・・・」という音は、家中に響き渡る。もちろん、エストレリャの耳にもその音は届く。
そのときエストレリャは悟った。
「父は、わたしよりも悩みの深いことを、知らせようとしている」
こんなに自分が悩んで、ベッドに隠れることで気を引こうとしたのに、
それよりも父の悩みは深い。わたしのしてることは、父には届かない想いだった。
悲しい。悔しい。さみしい。エストレリャの痛みがジンジン伝わってきたよ、このシーン。
むむむ。つい熱くなっちゃうな。もっと書きたいけどこのくらいにしよう。うん。
『ミツバチのささやき』
これもまたyoutubeにありました、予告編が。載せてしまえー。
「ソイ・アナ・・・私はアナよ」無垢な瞳が照射する、内戦スペインの心。
養蜂家の父、フランケンシュタインの存在を信じる少女。
スペインの内戦を深く視座に吸え、繊細で寡黙、
純粋に私的な映画表現で描き出した映画」
(早稲田松竹の紹介文)
ただただ、映像がすごくきれい。
それは間違いない。エリセ監督の映像美はもう当たり前になってるなー。
でもこの映画の「ミツバチの国のアリス」だ、という評価に納得だよ。
どこまでも純粋なアナと、少し大人のイサベル。
同じこどもでも対照的な二人だけど、この映画はアナの視点で描かれている。
こどもの純粋な心には、世界はあんなに神秘的できれいで純粋に映るんだね。
目の前にあるものすべてが、偽りじゃない、「本当のもの」として存在するから、
あんなに一生懸命に向き合うんだな。
映画館出た後に聞こえた他の人の感想は、よくわからなかったー、って。
これ、実写だから、理解されにくいのかもしれない。
これは納得。そうかそうか。きっとそこでつまづくんだ。
実写だからすごくきれいなんだろうなって思うけど。
もしアニメだったら、まさに「ミツバチの国のアリス」で、
きっとジブリ映画的に見ることができるんだと思うよ。
ジブリ映画があんなにすんなり受け入れられるのは、アニメだからだなー
大人になると失うたくさんのもの、この映画、エリセ監督はきれいに映し出してくれる。
忘れたくない感情たち。
これからも何度も何度も、見たい作品です。
「ミツバチのささやき」「エル・スール」「マルメロの陽光」
ちいさなこどもアナと、少女から女性に成長するエストレリャ、そして老人ロペス。
これ、つながってるよ。ひとつの一生を描いてるみたいだよ。
ほんと、いい映画に出逢えたな。うれしいな。