いろいろ考えた末、わたしは戦わないといけないんだなーと思いました。
というより、戦いたい、という結論。
いままで、部活の試合だとか、受験だとか、勝負事はいろいろありました。
だけどそれはたぶん、誰かに用意されたもので。
それを何の疑いもなく自分の戦いとして素直に受け入れて、戦ってきた。
勝つことを目標にして、そのためにたくさん練習、勉強、いろいろ頑張ってたと思う。
そうやってずっと頑張ってこれたのは、自分で選択していることだって自覚していたからかな。
そして何より、ちゃんとその戦いに集中して、夢中になって、受験勉強ですら楽しめていたし、
達成した先にきっと楽しいことがあるんだって想像できていたから。
たとえ、用意された戦いだったとしても、やりたいからやってるって思えてたよ。
でも大学に入って、突然自由を与えられて、明確な目標を見失った気がする。
何よりも、自分がやってることの先に、あまり具体的な想像ができないでいるの。
やるやらないは自分の自由だから、なんだって自分次第になって。
選択肢が増えたとたん、道に迷ってしまったあああー
というようなことを考えている人は、たぶんわたしだけじゃないんじゃないかなあと思います。
これって、単純に自分に甘いだけ。甘やかして、甘やかされてるだけなんだよね。
でも、なんだかんだうだうだ迷ってしまったわたし。
迷ったわたしは、あることをきっかけに、戦うことを放棄しました。
放棄?というより、戦う必要がない、という答えを見つけました。
とりあえず流れに任せよう、と。今ある状況の中で自分のやりたいようにやろう。
きっといつか、自分の中でこれだ!っていうものがみつかるんじゃないかしら、と
それこそ、なるようになるさーっていうケセラセラ的思考で、のほほんと生きようと。
それは、もちろん今もすごく思います。
そのきっかけのおかげで、わたしはいろんなことに感謝して生きていくことができるようになったんだもの。
日常っていう平凡な毎日の繰り返しの中でも、わたしはたくさんのしあわせを感じることができている。
「生きてるだけでまるもうけ」というさんまさんの言葉、すごく身にしみてわかるようになったんだよ。
が、しかし!
今のわたしは、そんなのほほんとしたことを言ってられないなと思います。
それだけじゃたぶん、何も得られない。
幸せのかたちはたくさんあって、今目の前にあるしあわせも、十分素敵なしあわせ。
でもきっとそれは、周りの人たちがわたしに与えてくれた「しあわせ」
わたしが何をせずとも、みんながそっと置いていってくれたんだ。
わたしにできたことといえば、ばななさんの小説じゃないけど、それに気づくこと。それを大切に思うこと。
それを知ってるから、わたしはこれからもきっと、そういうしあわせをたくさん見つけることができると思います。
でもこれからは、そのすべてに感謝しながら、
わたしが自分で、しあわせをつくっていきたいって思うんです。
周りに与えてもらうんじゃなくてね。自分で、つくりだす。
見つけてるだけじゃ、もったいないよ。どんどん、つくっていこう。しあわせは無限にある。
そう思っています。結局は自分がしあわせになるため、なんだけどね。
そう思ったのは、今ある状況のおかげです。
ここでは具体的にかきませんが、その状況下では、勝ちを目指すこととそれを楽しむことが大きな意味をもつ。
勝たなくてもいい、願わくば勝ちたいけど。
その目標を持ったプロセスの中に、わたしにとってのしあわせを作り出すことができそうなんです。
だから、戦わないといけない。というより、戦いたい、と思う。
これは、とても怖い挑戦でもあります。たぶん、たくさん傷つくこともあるし、自分に嫌気が差して、
自分の頭の悪さが表出してしまうこと、自分の信頼を失うことも覚悟しないといけない。
冷静に考えれば、わたしにはレベルの高すぎる状況。だけど、もう逃げることが出来ないから。
そして、迷惑をかけてしまうと思うけど、逃げたくないとも思うから。
全部全部ひっくるめて、戦いたい。
大げさなことではないです。これは、自分がしあわせになりたいがための、自分が勝手に思ってする戦いです。
たぶん、多くの人たちはこういう戦いをいつもしている。当たり前のことなんだろうと思います。
そんな当たり前のことをえらそうに言ってるわたしは、きっとまだまだコドモ。
でもこれがわたしなんだから、しかたないかな、と言い聞かせています。
明日には、もう気持ちが揺らいでいるかもしれません。3日後には、違うことを言ってるかもしれません。
でも、今日、ここに決意表明。
*****
わたしがつくりたいしあわせは、あなたがいてこそ。
最後に泣くか、笑うか。
今は、そのとき笑顔でいるわたしとあなたを、一生懸命想像して。
わたしがんばるから、手加減してね。
というより、戦いたい、という結論。
いままで、部活の試合だとか、受験だとか、勝負事はいろいろありました。
だけどそれはたぶん、誰かに用意されたもので。
それを何の疑いもなく自分の戦いとして素直に受け入れて、戦ってきた。
勝つことを目標にして、そのためにたくさん練習、勉強、いろいろ頑張ってたと思う。
そうやってずっと頑張ってこれたのは、自分で選択していることだって自覚していたからかな。
そして何より、ちゃんとその戦いに集中して、夢中になって、受験勉強ですら楽しめていたし、
達成した先にきっと楽しいことがあるんだって想像できていたから。
たとえ、用意された戦いだったとしても、やりたいからやってるって思えてたよ。
でも大学に入って、突然自由を与えられて、明確な目標を見失った気がする。
何よりも、自分がやってることの先に、あまり具体的な想像ができないでいるの。
やるやらないは自分の自由だから、なんだって自分次第になって。
選択肢が増えたとたん、道に迷ってしまったあああー
というようなことを考えている人は、たぶんわたしだけじゃないんじゃないかなあと思います。
これって、単純に自分に甘いだけ。甘やかして、甘やかされてるだけなんだよね。
でも、なんだかんだうだうだ迷ってしまったわたし。
迷ったわたしは、あることをきっかけに、戦うことを放棄しました。
放棄?というより、戦う必要がない、という答えを見つけました。
とりあえず流れに任せよう、と。今ある状況の中で自分のやりたいようにやろう。
きっといつか、自分の中でこれだ!っていうものがみつかるんじゃないかしら、と
それこそ、なるようになるさーっていうケセラセラ的思考で、のほほんと生きようと。
それは、もちろん今もすごく思います。
そのきっかけのおかげで、わたしはいろんなことに感謝して生きていくことができるようになったんだもの。
日常っていう平凡な毎日の繰り返しの中でも、わたしはたくさんのしあわせを感じることができている。
「生きてるだけでまるもうけ」というさんまさんの言葉、すごく身にしみてわかるようになったんだよ。
が、しかし!
今のわたしは、そんなのほほんとしたことを言ってられないなと思います。
それだけじゃたぶん、何も得られない。
幸せのかたちはたくさんあって、今目の前にあるしあわせも、十分素敵なしあわせ。
でもきっとそれは、周りの人たちがわたしに与えてくれた「しあわせ」
わたしが何をせずとも、みんながそっと置いていってくれたんだ。
わたしにできたことといえば、ばななさんの小説じゃないけど、それに気づくこと。それを大切に思うこと。
それを知ってるから、わたしはこれからもきっと、そういうしあわせをたくさん見つけることができると思います。
でもこれからは、そのすべてに感謝しながら、
わたしが自分で、しあわせをつくっていきたいって思うんです。
周りに与えてもらうんじゃなくてね。自分で、つくりだす。
見つけてるだけじゃ、もったいないよ。どんどん、つくっていこう。しあわせは無限にある。
そう思っています。結局は自分がしあわせになるため、なんだけどね。
そう思ったのは、今ある状況のおかげです。
ここでは具体的にかきませんが、その状況下では、勝ちを目指すこととそれを楽しむことが大きな意味をもつ。
勝たなくてもいい、願わくば勝ちたいけど。
その目標を持ったプロセスの中に、わたしにとってのしあわせを作り出すことができそうなんです。
だから、戦わないといけない。というより、戦いたい、と思う。
これは、とても怖い挑戦でもあります。たぶん、たくさん傷つくこともあるし、自分に嫌気が差して、
自分の頭の悪さが表出してしまうこと、自分の信頼を失うことも覚悟しないといけない。
冷静に考えれば、わたしにはレベルの高すぎる状況。だけど、もう逃げることが出来ないから。
そして、迷惑をかけてしまうと思うけど、逃げたくないとも思うから。
全部全部ひっくるめて、戦いたい。
大げさなことではないです。これは、自分がしあわせになりたいがための、自分が勝手に思ってする戦いです。
たぶん、多くの人たちはこういう戦いをいつもしている。当たり前のことなんだろうと思います。
そんな当たり前のことをえらそうに言ってるわたしは、きっとまだまだコドモ。
でもこれがわたしなんだから、しかたないかな、と言い聞かせています。
明日には、もう気持ちが揺らいでいるかもしれません。3日後には、違うことを言ってるかもしれません。
でも、今日、ここに決意表明。
*****
わたしがつくりたいしあわせは、あなたがいてこそ。
最後に泣くか、笑うか。
今は、そのとき笑顔でいるわたしとあなたを、一生懸命想像して。
わたしがんばるから、手加減してね。