2016年6月、2度目の移植をしました。
先生からの勧めで胚盤胞2個戻し。
淡く双子を期待しつつ挑んだ判定は...陰性(°_°)チーン
このとき今後起こる流産のことなんて露知らず、自分の妊娠力の低さに笑い転げていました。
2016年7月末
胚盤胞を使い切り、残りの凍結胚は初期胚の2個。
前回胚盤胞を2個戻して陰性だったため、今回は自ら初期胚の2個戻しをお願いしました。
クリニックが遠く、子育てしながらの通院に疲労を感じていたので、これを最後に近場へ転院したい考えがあることを先生に相談すると、前回の陰性結果から了解を得ることができました。
カルテにしっかり書き込んでいるのを私も確認済み。
しかし移植当日に行ってみると、何故か1個しか融解しておらず。
この日の担当は院長。
たな「すみません2個移植をお願いしたはずなんですがf(^.^;)」
院長『えっ。』
たな「········。」
…えっ?(°Д°)…
嫌な空気が流れる中、その1個を移植することになりました。
判定当日。
先生から謝罪といいわけと陽性判定を頂きました。
これまで妊娠した中で判定日のhcgの結果が一番良く、
…移植のことは水に流そう…
そう思えるほど結果が良いものでした。
胎嚢確認・心拍確認
5週目、胎嚢8mm。
まさかの大きさ。
今までの子たちに比べて育ちが良いだろうと思っていただけに、前回の流産と似ている胎嚢に期待から不安な気持ちへと変わりました。
家に帰り、エコー写真をよくよく見ると胎嚢の中に小さな点が···。
…赤ちゃんかもしれない!…
やはりあの点は赤ちゃんだったのでしょう。
5週目後半からつわりがはじまり、6週目心拍確認、7週目にはクリニックから地元の産婦人科への紹介状受け取り、卒業となりました。
産婦人科受診
2016年8月の真夏。
クリニック卒業後、7週目の段階で地元の産婦人科へ。
「エコーの状態から問題ないね。母子手帳もらってきて!」
ようやく安堵の瞬間が訪れました。
すぐさま市役所で母子手帳を交付です。
真夏に子供をおぶっての市役所までの行き来は大変でしたが、母子手帳を受け取った時、ついにここまで来れたのだと喜びに心が満たされました。
8週目には小さめだった胎嚢も一般的な大きさまで成長して順調そのものに。
それでも前回の流産のことも考慮して、次回指定された12週健診まで安静に努めるよう、食事や行動に気をつける日々でした。
2016年9月末妊娠11週目
つわりも終わりを迎えようとしていたのか、ほとんど不快を感じなくなっていた時期。
日中ベビーカーに子供を乗せて買い物へ出ていると、下から何かが出た感触がありました。
なんだか嫌な予感がして、急いで帰宅してから下着を下ろしてみると、目の前に飛び込んできたのは鮮血に色づいたおりものシート。
…どうしよう、今日はみんな仕事なのに…
この日、主人と頼みの実家の家族は仕事でいません。
けれど頼れるのは家族しかいなく、主人や実母・実父に連絡を取り続け、唯一連絡が取れたのは主人。
緊急だと知らせ、迎えに来てもらうまで、ひたすら安静に待つことにしました。
夕方、主人が自宅へ到着と同時に、連絡が取れなかった実母が私からのメールに気づき、仕事終わりに駆けつけてくれました。(この時はじめて母に2人目妊娠を告げる)
そのまま2人の付き添いのもと産婦人科へ行き、受付を済ませるとすぐに内診台に通されます。
そこで見たのは、
「心臓動いてないねぇ···。」
心拍が停止した赤ちゃんの姿でした。
2度目の稽留流産
「9週で止まって縮んだように見える。」
…またダメだった…
看護師さんから今後の説明を受け、数日後再度確認をして手術することになりました。
この日はよほど堪えたのでしょう。
夜中、夢の中で心肺停止した胎児の映像が流れ、何度もフラッシュバックし、飛び起きるというのを繰り返して、終いには怖くなり、寝ることさえできず、そのまま朝を迎えることになりました。
翌日、主人は仕事へ。
眠れず疲労困憊の私は、夕方まで義理実家に子供を預けて休ませてもらうことにしました。
眠れはしなかったけど、体を横たえることができ、大変助かりました。
夕方になると子供を迎えに行き、いつも通り子供のお世話。
19時20分頃。
腰が重くなり、前日と同じく下から何か出できた感覚がありました。
トイレで確認すると血。
出血再開の合図。
その後は怒涛でした。
荷物をまとめて、在宅中であろう実母に家まで来てもらい、産婦人科に連絡し、1歳の子供を連れ、実母へ産婦人科へ車で送ってもらっている車中、仕事中の主人へ連絡。
産婦人科で大量の出血を確認。
2016年10月1日。
稽留流産確定。
子宮内清掃手術をしました。