太平山長勝寺は、種里城主・大浦盛信が養父大浦光信の菩提寺として種里(西津軽郡鰺ヶ沢町)に創建しました(1528年)。


大浦氏の居城が、種里城から大浦城(弘前市賀田)へ、大浦城から堀越城へと移るとともに、長勝寺も移転します。1610年、現在の弘前市西茂森町に鎮座しました。

長勝寺三門の建築様式は禅宗様を用いています。


大浦氏を継承し、後に津軽氏と改めて独立したのが津軽為信(津軽藩祖)です。長勝寺には為信公木像が保存されています。

本堂は入母屋造、手前の庫裏はかやぶき屋根の切妻造。

銅鐘には、寄進者の筆頭に北条貞時(鎌倉幕府9代執権)の名が刻まれているといいます。

長勝寺に向かう杉並は禅林街といわれ、曹洞宗の寺が並びます。弘前城築城とともに三十三の禅寺が集められました。

弘前城を防衛する土塁は、禅林街入口まで延びていることから、長勝寺構(ちょうしょうじかまえ)は、広い意味で弘前城なのです。