昨日、隣の席のおじちゃんが何時になく酔っ払っていた。彼はいつもよく飲む方だが、昨日ばかりは特に深く酒が入っており、目元が緩み、呂律が回らなくなっていた。
そんな彼、ここではNさんとしよう、がマスターに対して、何気なく口にした言葉があった。「マスターいつもお客さんばっかり相手して、素になれてないんじゃないの?ストレスたまってるんじゃないの?俺でよかったらいつでも愚痴聞くよ」、と。
人間は、自尊心が失われた場合、それを取り戻そうと努める。そして、誰かに頼られている、誰かに必要とされているという実感は、自尊心を高める。よって、自尊心が低い状態にあると、誰かに頼られたり、必要とされたりすることを自ら求めてしまう。この2つの前提条件は田中の経験にしか基づいておらず、信憑性はそんなに高くはないだろうけど、あながち外れではないと思う。つまり当のNさんは、失われた自らの自尊心を回復するために、他者を思いやる言葉を口にしたわけだ。
ところが優しさは、他人が求めることを行うことである。自分の自尊心を回復するために行う優しさは、自分が求めることを行っているのであって、優しさではない。弱い人間の示す優しさは優しさではない、と言ったのはそういう意味だ。
こう考えると、我ながら耳が痛くなってくる。まさに俺自身が、自分の自尊心を回復するためだけに、優しさを示し続けてきたことがあったからだ。
他人のことを思いやる、その心は尊ぶべきものである。ただし、それが本当に他人の求めることを行っているのか、自分が求めることを行っているに過ぎないのか。その違いについては常に敏感でありたいよね。