いつもは弱さなんて感じない人が、例えその日たまたま弱っていただけであったとしても。


昨日、隣の席のおじちゃんが何時になく酔っ払っていた。彼はいつもよく飲む方だが、昨日ばかりは特に深く酒が入っており、目元が緩み、呂律が回らなくなっていた。


そんな彼、ここではNさんとしよう、がマスターに対して、何気なく口にした言葉があった。「マスターいつもお客さんばっかり相手して、素になれてないんじゃないの?ストレスたまってるんじゃないの?俺でよかったらいつでも愚痴聞くよ」、と。


人間は、自尊心が失われた場合、それを取り戻そうと努める。そして、誰かに頼られている、誰かに必要とされているという実感は、自尊心を高める。よって、自尊心が低い状態にあると、誰かに頼られたり、必要とされたりすることを自ら求めてしまう。この2つの前提条件は田中の経験にしか基づいておらず、信憑性はそんなに高くはないだろうけど、あながち外れではないと思う。つまり当のNさんは、失われた自らの自尊心を回復するために、他者を思いやる言葉を口にしたわけだ。


ところが優しさは、他人が求めることを行うことである。自分の自尊心を回復するために行う優しさは、自分が求めることを行っているのであって、優しさではない。弱い人間の示す優しさは優しさではない、と言ったのはそういう意味だ。


こう考えると、我ながら耳が痛くなってくる。まさに俺自身が、自分の自尊心を回復するためだけに、優しさを示し続けてきたことがあったからだ。


他人のことを思いやる、その心は尊ぶべきものである。ただし、それが本当に他人の求めることを行っているのか、自分が求めることを行っているに過ぎないのか。その違いについては常に敏感でありたいよね。
その名も山田。田中とか佐藤とか鈴木とか、そんなありきたりな名前なんてついぞ出てこないのに、彼の名は山田。


いや名前で麻雀の強さとか変わるわけじゃないのはわかるけど。わかるけどさ。彼が出てくるたびに笑ってしまう。いつだったか、みっくとぱっつぁんが引退し て組を背負って立つ身になりながらも、自分の非力さに「強くなりてぇ」と呟いてた時があった。その時の彼は隈を浮きだたせ目は血走っていたが、それもまた 可笑しかった。山田のくせに!山田って名前のくせに!いや全国の山田ファンの皆様申し訳ない。


そんな山田がまるで孫のように思えたんだろうな。新満のおっちゃん、山田と飲めるのを知った時の満面の笑顔といったら。でも実は内心、山田って名前のくせ にこいついっちょまえに酒飲むのかよwwwワロスwwwとか思ってたりして。いやいや全国の山田(笑)ファンの皆様まじでごめんなさい。


ところで、他の人達は八角さんをなんて読んでるんだ?俺は八角って読んでるんだが、八角って読んでる人もいるんだろうな、とは常々思う。
自分が悲しんでいることを知る。自分が怖れていることを知る。


強くなんてなれていない自分に、本当に腹が立つ。
人を不快にさせる人間はいるものだ。


他人は自分の不幸を理解するために存在していると、勘違いしている人。自分の負の感情を垂れ流すことが、どれだけ迷惑なことか自覚していない人。


人間がー嫌いだよー。酒がー飲みたいよー。
白が積んである山は他よりも低いのか?


私の天牌ネタが増えないのは、忙しくて書く時間がなかったからです。決して読んでないわけじゃないよ。むしろしっかり毎週チェックしてるよ。


もちろん、みっくが大ゴマで貴公子スマイル全開だった回は全私が狂喜した。みっくんみっくん!これはツガミンとみっくんの頂上決戦フラグなのか?ハゲと氷の輝かしい対決なのか?キィィーーーン。ピカーーーーン。フッ。フッ。なんて。意味不明。


そういえば最近はヤングツガミンの回想ネタがちらほら挿入されてるけれども。最初は若々しい雰囲気を出そうと頑張った形跡がみられるものの、今週のヤングツガミンは現在と全く一緒になってきてないか……?


突然の老けっぷりに笑った。そして妨害電波うんぬんの最後のコマのツガミンの顔!張に寄り添うきくたんに対するツガミンの眼差しはまるで熱い(暑い?)嫉妬!!思わず忍び笑いをもらしてしまいましたぜ旦那。

そんなことを、紅茶とブランデーを愛する司令官閣下がおっしゃっていた。



まったくもってそのとおり。博愛だとか、普遍的な愛だとかは欺瞞だ。憎むまでいかないにしろ、誰かを嫌うことを嫌がったり恥じたりする必要はない。それが誰かに対する好意に基づいているのであれば、むしろ誇るべきことなのかもしれない。



先日、田中の嫌いな女性と男性に、別々に出会った。俺はその女性が嫌いである。というのは、俺の最も大切な人間が不愉快になった最大の責任者だから。そしておそらく、それを自覚することもないから。



憎しみは何も生まないとか、そういう問題では決してない。それは結果のみを見て原因を無視している。誰かを好きだという気持ちが先にあり、その好きな人を害されたから憎むのだ。例えそれを害されたとしても誰も憎まないと、その程度の好意ではそれこそ何も生まれないんじゃないかな。



ただしもちろん、憎しみがあれば何をしてもいいわけではない。その表現方法は問われるべきだよね。だから俺はこうして、誰も見ていないここで文章にして、自分を知る手がかりとしているわけです。



え?嫌いなもう一人の男性?彼は単純に会話ができないだけだ。

いい歳してないてしまった。4月5日の恐らく午前1時頃。



たぶん、一生忘れることはないだろう。その時に体験した情景も含めて、20うん歳にもなって嗚咽を漏らした事実は。



今思い返しても、当時の反応としても、泣いてしまったのは相手にとって非常に失礼だったと思う。例え当人がそう感じてなかったとしても、俺の思考回路ではそうなる。たかが俺なんかに悲しみを共有できるわけがないのに。



でも、その時俺の中に広がった光景は、それはそれは美しかったんだ。

と言いながら牌を倒す。それが天牌クオリティ。黒沢さんがツモった後に、次のツモり牌を順番に確認してく時でさえも三國様と奥寺さんに律儀にフッ、フッ、とか言わせてしまう。それが天牌クオリティ。麻雀で一番カッコいい瞬間はフッていう時なんだからね!最後のおめーにはフッて言わせてやんねーぜ!なんというイジメ。



緑一色は話の流れ的にあがれないんだろうなーと思ってたけど。このツガミンの燃え尽きた灰のような顔色の悪さは負けフラグ?と思ってたところに回想シーン!しかもヤングツガミン、若い頃から想像以上の戦闘力(前髪的に)!!大阪の流れからして来るか来るかと期待してたし、れんらく帖のじーさんが描いたヤングツガミン予想図を見たばかりだってのもあって、あまりの若禿げもとい早熟っぷりに、コンビニで吹いた。立ち読みしながら吹き出した。



こんなフラグビンビンなツガミンですが、やっぱり彼はどんな劣勢もものともせずに、ネチネチ言葉攻めしながらフッとかいって勝っちゃうような、かっこいい博浪牙であってほしい。FJSの実はないけど心の中にあるナニをビンビンにしてしまうツガミンであってほしい。

最近、素敵な1日はギムレットで締めるのが半ば習慣的になってきた。それはレイモンド・チャンドラーの長いお別れの影響ではない。それを読む前からギムレットが好きだ。



例えばそれは、ある土地に別れを告げるとき。人にさよならを呟くとき。自分の成長を認めたとき。その日が静かであったとき。



今日はとても静かだった。焦りや苛々から久しぶりに解放された。目的らしい目的もなく、その日を生きるのはなんとも楽なことである。



ただ今日はあまりにも頭を使わな過ぎて、思ったよりも話したいことが話せなかった。難しいなーあ。もっといろいろ話したいことがあったのに。



という、とりとめも無さ過ぎる記事を書いてしまうくらい、今日はダメです。前半の張り切りっぷりと比べて後半がどんどん愚駄愚駄になっていくのが我ながら面白い。



おやすみなさい。




だから俺は泣かない。泣いたら少しは楽になれる、ということくらいは知ってる。とある人と泣いたら何でも言うことを聞くという賭けをしている、ということもある。その条件はその彼女が俺を泣かせたら、というものだけれども、たとえその人が理由でなくとも泣いたら負けのような気がするので泣かない。吉野朔実の「グールドを聞きながら」もしくは「月下の一群」を読めば泣ける自身はある。ただし生憎、両方ともその人に貸しているので今は読むことができない。



頭をたくさんたくさん使って、もう絞りきった雑巾のようになった夜には、静寂が潤いを与えてくれる。そこに酒と煙草と少しの会話があれば、もう何も言うことはない。きっとそんな日の終わりは、満足の中に眠りにつくことができる。



しかし。しかしである。とても残念なことながら、今日はそうはならなかった。俺のとても好きな店でビールを飲み、バージンバーボンをマスターに薦められたまではよかった。その時はまだ、静寂と酒が心に染み込んで、それはそれは心地よかった。ところがその後、俺の心のどこかで軽蔑している3人が順番に店に顔を出し、さらになおかつ騒ぎ始めてからは静寂も何もあったもんじゃなかった。心が一気に黒くなった。



雑音は疲れる。いちいち言葉を解釈し、反応しなければならないのは面倒くさい。俺が心の中で少しでも嫌っている人が間近にいるのは疲れる。俺がその人に対して抱く悪意を目の前に突きつけられるのは嫌だ。そんな悪意なんておくびにも出さずに、綺麗ごとを並べる自分に白ける。



特に今日みたいにもともと元気でない日には、心が閉じてしまいそうだ。体調が万全でないときには、煙草やら酒やら、普段はどうってことない体に対する負担が致命的になるように。もともと心が枯れかけている時には、俺を疲れさせる人達に対して憎しみさえ抱く。まあ、心理学を専門にしている見として心身二元論なんて語ってしまうのはあほらしいのですがね。



吉野朔実は、上記のほかには「瞳子」「少年は荒野を目指す」があるけれども、やっぱり「グールドを聞きながら」が読みたくなってきた。今度返してもらおう。そして一緒に飲んでもらおう。