さいたま市で我が自治会地域の遊休地へ企業誘致をして、当地を産業集積拠点と

する構想を発表したのが今から10年前。私が自治会長をしていた時である。

 

田島団地の建て替え、駅前商店街の活性化、産業集積拠点の実現を三番柱と

した西浦和駅東西地区まちづくり協議会が間もなく発足、私も自治会を代表して

役員に名を連ねた。我が地域に御大層なものが出来るのであれば行政がやること、

反対してもどうなるものではない。だったらこちらの希望や意見を受け入れてもら

おう。個人では話も届かないだろうから地域の自治会として声を上げよう。と言うのが

主旨であった。

 

しかしそれには遊休地といえども、それぞれ地権者がいる筈で、その方々との話し合い

が必至で、これは行政の仕事であり、地権者を集めての説明会が行われたのだった。

先祖代々の土地を引き継いで所有している地権者にとって、自分の代で失うことは

できない。地権者は頑張り、殆どが反対を表明し、事実上、産業集積拠点計画は頓挫

した状況になっていた。

 

ここにきて、田島団地の建て替えは一部が始まり、駅周辺の道路の拡幅が具体化し

てきた。つまり当初の三本柱の二つは動き始めた訳である。

そこで、昨日の会議で大宮バイパスのこちら側、産業集積拠点構想については駅

周辺の三本から切り離し、こちら側でゼロからやってほしいという話になってしまった。

 

そんなのあるかよ、という感じである。役人が出来なかった地権者との交渉を一般

住民の我らがが出来る筈もなく、知り合いの地権者にこれまでの経緯を聞いてみる

のが関の山である。頓挫していた状態の物を我らが主導権をもって地権者を説得

するなんてことは絶対に無理である。