僕が初めて自転車のロングランに挑戦したのは,今から約10年前(正確には9年前),高校二年生の夏だった。
長野県長野市から新潟県上越市までの約75kmを,当時の通学自転車の前かごに荷物を突っ込み,キャリアに寝袋を括り付けて2日間かけて往復したのだ。
何のために走ったかと言うと,「ただ日本海を見たかった」そんな単純な理由だったと記憶している。
あれから10年経った今,同じ道を走ってみようと思い立った。
通学用自転車からロードバイクに代わり,荷物は大きめのメッセンジャーバックひとつになった。

【写真1.当時の装備】

【写真2.現在の装備】
僕の自転車旅の原点に,今一度立ち返ろう。
さて,この日は夜に高校時代の吹奏楽部メンバーとの飲み会が予定されていた為,日帰りで走ってこなくてはならなかった。
「ロードバイクだしなんとかなるだろう。」
と軽い気持ちでいたのだが,この日は天気が悪かった。
朝から大雨が降ったり止んだりしていた為に路面は濡れていて,そのせいで湿度が高かった。
とは言っても,大学進学を機に上京した僕からして見れば,湿度の高さは関東のそれとは比べ物にならない。
長野は過ごし易さでは段違いだ。
雨の止んだ8時15分。
「少し蒸すくらい,何の問題もないか。」と楽観的に出発した。
かつて通った中学校を通り過ぎながら,雨に濡れたアスファルトや田んぼの匂い,青々と風に吹かれている稲を眺めて,
「ああ,帰ってきたのだな。」
と感慨に耽った。

【写真3.母校(中学校)】
そんな郷愁を振り切りペダルを漕いでいく。
国道18号沿いにリンゴ畑が連なる,いわゆるアップルロードを超えると豊野へ入る。
ここから緩急のついた上り坂が続く。
玉の様な汗を流しながら坂を登っていると,若干の気持ち悪さを覚えた。
少しだが手先も痺れてきていた。ハンドルを握る力が強すぎたか,などと思ったが,その考えは即座に否定した。
これは恐らく熱中症の初期症状だ。
朝ご飯も食べずに走り出したのだから無理もない。
序盤から無理をしても仕方ないので小休止し,鞄の中からゼリー飲料を取り出してエネルギー補給した。
同時に経口補水液OS-1で水分補給し,症状が治まったので再び走り出した。
一時間ほど走ると牟礼に着いた。
眼下には田んぼと牟礼の集落が広がる。
生憎の曇天だが,自転車旅には暑くなく丁度いい天気だ。
自転車を降りてカメラを構える。
ふふっと笑みが漏れる。
こういう景色を随分と見ていなかった。

【写真4.牟礼】

【写真5.牟礼】
10時前には黒姫高原付近までたどり着いた。
10年前はここまで来るのに,上り坂では自転車を押して歩いたものだが,今回は一度も歩かずに済んだ。
「これがマシンの違いか!」
と驚愕しつつも目の前には霧が広がり,一抹の不安が過った。
「このまま霧の中を進むか,少し逸れて道の駅で休憩して様子を見るか,さてどうしよう?」
と逡巡したが,体力も有り余っていたし先へ進むことにした。
そしてすぐに後悔することになった。
黒姫を過ぎれば日本海まで下り坂だ。
そんな中で雲に突入した直後,すぐに雨が降り出したのだ。
気温は20度。
体感温度は何度になっていたのだろう。

【写真6.関川の関所】
小雨程度なら問題ないと思い漕ぎ進めていたのだが,信越大橋に差し掛かった時にその認識を覆された。
橋の上は風が強い。
しかも橋長900m超の大きな橋である。

【写真7.信越大橋】
霧で橋の先も見えず,濡れた体に容赦なく吹き付ける風で体温を奪われながら走る。

【写真8.信越大橋】
「ああ,そう言えば10年前も同じ場所で霧が出て寒さに震えてたっけか。」
僕にとって信越大橋は鬼門となっていた。
そして10時7分,新潟県へ入った。

【写真9.新潟進入】
同時に雨脚も強まり土砂降りになった。
妙高高原からはひたすらに下り坂でスピードが出る。
スリップ転倒落車の危険性が一段と増し,脇を追い抜いて行く車が恐怖心を煽る。
こんなところでスリップしたらあっけなく死んでしまうだろう。
速度を抑えつつ歩道へ逃げ込んだ。
普段は歩行者がいないのだろう。
好き勝手に伸びた草が歩道を埋め尽くしていた。
枯れ枝やゴミなんかを踏んでパンクしたら目も当てられない。
歩道の段差や障害物でハンドルを取られないように自然と腕に力が入る。
降り続く雨と吹き付ける風に曝されて体温は奪われ,奥歯がカチカチと鳴りかけた時,
「これはまずい。」
と思い,速度を緩めて腕の力を抜いた。
ハンドルを握り締めていた手が痺れていた。
これから先は上越市街へ入るまで延々と緩やかな下り坂が続く。
その間,ひたすら温かい所へ行きたい,としか考えていなかった。
しかし,上越市街へ入る頃には雨も上がり,考える余裕も出てきた。
「悪天候での自転車旅も,悪くはないかな。」
あれだけ寒さに震えていたのに,そう思える様になるのが自転車旅の不思議な所だ。
どんなに過酷な旅でも“面白い”と感じられる。
そう言えば,ずぶ濡れで自転車旅をしたのは人生で二度目だ。
去年の夏に住んでいる神奈川県から故郷の長野県へ走ろうとした際,小雨が降り,日が暮れた碓氷峠を自転車を押して歩いていた。
その時の旅は軽井沢で土砂降りに遭い,体力も限界を超えていたから新幹線で輪行した。
あの過酷な自転車旅は記事にしようと思って未だに書けていない。
上越市街へ入る手前,流石に空腹で倒れそうになったので粘土の様な携帯食料を食べることにした。
包装から取り出すと砕けて欠片になっていたけれど。

【写真10.携帯食料】
そうして上越市街を抜けて日本海へ出た。
時刻は12時6分。
ちょうどお昼の時間だ。
しかし携帯食料を一箱食べてしまって空腹感を紛らわしていたので,取り敢えず付近を散策することにした。
「このままフェリーに乗って佐渡島一周もしたいなあ。」
なんてぼんやりと思いつつ,佐渡へ渡ってしまっては帰れなくなるので断念した。

【写真11.佐渡行き】
10年前は夜のコンビニで若い兄ちゃんたちに,
「長野からきたの?これから佐渡へ行かない?」
と絡まれたものだが,あれは何だったんだろうな。
若いお姉さんに声を掛けられたなら付いて行ってしまっていたのかもしれない。
そんな思い出に苦笑しながら走っていると,見覚えのある像に出会った。

【写真12.平和像】
平和記念公園にある平和友好象だ。
10年前にも偶然通りがかった場所だ。
その時は,
「なんでこんなところに平和記念公園があるのだろう?」
と首を傾げはしたものの素通りしてしまった。
しかし戦後七十年という節目の今年,引っかかるものがあったので見て回った。

【写真13.平和記念公園】
……10年前なら戦後六十年だったのかな?
直江津捕虜収容所なんてものがあったのか。
オーストラリア兵追悼碑があるから英国捕虜だったんだろうな。
公園脇の資料館を覗こうと思ったが,鍵を管理人さんに借りに行かなくては入れなかった為,今回は深入りしないで立ち去った。
余談だが,
10年前の記録を読み返していたら,この公園の写真は掲載されていた。
そして12時30分,海岸に到着した。天気が悪かったので海水浴客も少なかったが,日本海は意外にも荒れてはいなかった。

【写真14.日本海】

【写真15.海鳥】
「日本海の白波を見て,薩摩焼酎の白波を飲みたい。」
と台詞を考えていただけに残念であった。
10年前の行路をなぞり,同じ海を眺める。
海沿いの駐車場に自転車を停めて,
「そう言えばあの時はここに寝袋を敷いて一晩過ごしたっけ。」
なんて感慨に耽る。

【写真16.当時の野宿場所】
こうして自転車で僅か4時間程度の旅が終わった。
ただ,「日本海を見る」という目的の為だけに走ってきたものだから,10年前はあんなに苦労したのに,と余りの呆気なさにしばらくぼうっとしていた。
自転車旅の目的は,もちろん目的地に辿り着くことである。
しかし,実際はそれだけではない。
自転車は,走るためにある。
そう,僕らは走るために,走るのだ。
登山家が,
「そこに山があるからだ。」
と言って山に向かう様に,僕らチャリダーも,
「そこに道があるからだ。」
と言って走りに行く。
まあ,中には道なき道を進む人もいるのだろうけど。
つまり目的地に辿り着いたから自転車旅が終わった,なんて考えは間違っているのだ。
「そうか!まだ復路もある。それに折角来たのだから街をぶらぶらと走ってみよう。」
海を眺めつつ黄昏ていた僕は,気付くと同時に自転車に跨り,海に背を向けて走り出した。
「この街にはどんな面白い事があるのだろう?」
と期待しつつ。
今回のルート概要。
