とうとう、三峰神社まで来てしまいました
憧れの巡礼の聖地です。

当日朝まで、行くかどうか迷っていました
導かれるように駐車場に入り、三ツ鳥居と遥拝殿で
深々と導かれたお礼を言ってお参りをさせて
いただきました。


■三峯神社(みつみねじんじゃ)は、
埼玉県秩父市三峰にある神社。
旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。

秩父神社・宝登山神社とともに秩父三社の一社。
拝殿の手前には珍しい三ツ鳥居がある。
狼を守護神とし、狛犬の代わりに神社各所に
狼の像が鎮座している。

主祭神
伊弉諾尊 (いざなぎのみこと)
伊弉册尊 (いざなみのみこと)
配祀神
造化三神 - 天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
高御産巣日神(たかみむすひのかみ)
神産巣日神(かみむすひのかみ)
天照大神 (あまてらすおおかみ)

社伝によれば、景行天皇の時、日本武尊が東征中、
碓氷峠に向かう途中に現在の三峯神社のある山に
登って伊弉諾尊・伊弉册尊の国造りを偲んで
創建したという。

景行天皇の東国巡行の際、天皇は社地を囲む
白岩山・妙法ヶ岳・雲取山の三山を賞でて
「三峯宮」の社号を授けたと伝える。

伊豆国に流罪になった役小角が三峰山で修業をし、
空海が観音像を安置したと縁起には伝えられる。
三峰の地名と熊野の地名の類似より、三峰の開山に
熊野修験が深くかかわっていることがうかがえる。
熊野には「大雲取・小雲取」があり、三峰山では
中心の山を「雲取山」と呼んでいる。

中世以降、日光系の修験道場となって、
関東各地の武将の崇敬を受けた。
養和元年(1182年)に、秩父を治めていた
畠山重忠が願文を収めたところ霊験があったとして、
建久6年(1195年)に東は薄郷(現・小鹿野町
両神あたり)から西は甲斐と隔てる山までの土地を
寄進して守護不入の地として以来、
東国武士の信仰を集めて大いに栄えた

しかし正平7年(1352年)、足利氏を討つために
挙兵し敗れた新田義興・義宗らが当山に身を
潜めたことより、足利氏により社領が奪われて
衰退した。

文亀年間(1501年-1504年)に修験者の
月観道満がこの廃寺を知り、30数年勧説を続けて
天文2年(1533年)に堂舍を再興させ、山主の
龍栄が京都の聖護院に窮状を訴えて「大権現」を
賜った

以後は聖護院派天台修験の関東総本山とされて
隆盛した。本堂を「観音院高雲寺」と称し、
「三峯大権現」と呼ばれた。

以来、歴代の山主は花山院家の養子となり、
寺の僧正になるのを常例としたため、花山院家の
紋所の「菖蒲菱(あやめびし)を寺の定紋とした

江戸時代には、秩父の山中に棲息する狼を、
猪などから農作物を守る眷族・神使とし
「お犬さま」として崇めるようになった。

さらに、この狼が盗戝や災難から守る神と
解釈されるようになり、当社から狼の護符を
受けること(御眷属信仰)が流行った。

修験者たちが当社の神得を説いて回り、当社に
参詣するための講(三峯講)が関東・東北等を
中心として信州など各地に組織された。

伊奈忠福(伊奈氏はもともと関東郡代の一族だった
が家督争いから一旦名跡取り上げとなり、
その後秩父郡の小普請となった)の代に、
土地山林を寺に寄進し、広く村人に信仰を勧め
栄えたが
明治の神仏分離により寺院を廃して「三峯神社」
に改称した。

明治16年(1883年)に近代社格制度において
県社に列した。明治中期には、社務所に600人が
泊まれる施設があり、客のための料理や酒も
自家製で賄っていたという
大正末期に秩父宮が参拝したことをきっかけに
信徒が全国的に増え、講社数が増大した

昭和14年(1939年)には、麓から参道に沿って
三峰ロープウェイが山頂まで敷設された
(2007年廃止)。平成16年(2004年)に社殿を
修復した。

三ツ鳥居は、明神型鳥居を三つ組み合わせた
鳥居である。

神乃山水
三峰山の上に「龍洞」という深い井戸がある。
竜神が住むと言い伝えられ、水分神がまつられて
いる
この水を当社にて飲むことができる(有料)。
特に大寒に汲まれた水は「寒の水」といわれ、
貴重なものとされている

奥宮
奥宮は妙法ケ岳(標高1329m)の山頂に鎮座する。
本社からは東南東へ1時間ほど山道を登る必要が
ある。

山頂には小さな祠とともに秩父宮登山記念碑がある
また、登山道の途中には両部鳥居がある

三ツ鳥居
三ツ鳥居は、明神型鳥居を三つ組み合わせた
鳥居である。境内入り口に立つ。

他に有名な三ツ鳥居としては大神神社のものが
知られる(ただし大神神社は直接見る事ができない)。大神神社の公式ホームページ上には三ツ鳥居の模型が掲載されており、当社のものとほぼ同じ形式である事が確認できる。 

三峯神社 年間祭事一覧
歳旦祭 (1月1日)
元旦祈願祭 (1月1日)
豆入り神事 (1月第3・第4日曜日)
節分追儺祭 (ごもっともさま、2月3日)
大祭 (4月8日) - 太々神楽
奥宮山開祭 (5月3日)
大祓 (6月30日)
大日祭 (土用の丑の日)
諏訪神社祭 (8月26日) - 獅子舞
月読祭 (十五夜、旧暦8月15日)
月読祭 (十五夜、旧暦9月13日)
奥宮山閉祭 (10月9日)
大歳のまつり (12月31日)

筒粥神事
筒粥神事は各地に残る年占の1つである。
1月15日に一室に籠もった神職により、
宵から15日の暁にかけて行事が行われる。

これは、神饌所で炊かれた小豆粥に、
36本の葦の筒を漬け、この筒の中に入った
粥の量により36種の作物の今年の作柄を占うもので、
その結果は印刷され、春先に参拝する信者に
分けられる。

ごもっともさま
2月3日の節分追儺祭の神事は「ごもっともさま」
とも呼ばれる。
豆を「福は内、鬼は外」と唱えた後、後に控えた
添人が大声で「ごもっともさま」と唱和し、
1メートル余りの棒の先に注連縄を巻き、
根元に蜜柑2個を麻縄でくくりつけた陰茎を
象った大きな棒を突き出す。

五穀豊穣・大漁満足・夫婦円満・開運長寿の願いが
込められ、子授けに奇瑞があると言われている。
山犬信仰(三峯講)
三峰信仰の中心をなしているものに、
御眷属(山犬)信仰がある。 

この信仰については、「社記」に享保12年9月13日
の夜、日光法印が山上の庵室に静座していると、
山中どことも知れず狼が群がり来て境内に充ちた。

法印は、これを神託と感じて猪鹿・火盗除けとして
山犬の神札を貸し出したところ霊験があったと
される。
また、幸田露伴は、三峰の神使は、大神すなわち
狼であり、月々19日に、小豆飯と清酒を本社から
八丁ほど離れた所に備え置く、と登山の折の記録に
記している。

眷属(山犬)は1疋で50戸まで守護すると
言われている

今日のランチ紹介は
山麓亭さんです
いも田楽がオススメです。