息栖神社から、20分くらい北西の地
なのですが、香取駅北側の津宮浜鳥居を
目指します。ここは香取神宮、一の鳥居で
玄関口です。

ネット情報では、駐車場がないの記述でしたが
土手沿いの道が若干広くなっている所があって
数台停められるようになっていました。
スペースが開いていてラッキーです。

■香取神宮(かとりじんぐう)は、千葉県香取市
香取にある神社。式内社(名神大社)、
下総国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は
神社本庁の別表神社。

関東地方を中心として全国にある香取神社の
総本社。茨城県鹿嶋市の鹿島神宮、茨城県神栖市の
息栖神社とともに東国三社の一社
また、宮中の四方拝で遥拝される一社である。


千葉県北東部、利根川下流右岸の「亀甲山
(かめがせやま)」と称される丘陵上に鎮座する。
日本神話で大国主の国譲りの際に活躍する
経津主神(フツヌシ)を祭神とすることで
知られる、全国でも有数の古社である。

古くは朝廷から蝦夷に対する平定神として、
また藤原氏から氏神の一社として崇敬された。
その神威は中世から武家の世となって以後も続き、
歴代の武家政権からは武神として崇敬された。

現在も武道分野からの信仰が篤い神社である。

文化財としては、中国唐代の海獣葡萄鏡(かい
じゅうぶどうきょう)が国宝に指定されている。

建造物では江戸時代の本殿・楼門、美術工芸品
では平安時代の鏡、中世の古瀬戸狛犬が国の
重要文化財に指定されており、その他にも
多くの文化財を現代に伝えている。

祭神
経津主大神(ふつぬしのおおかみ)
別名を伊波比主神/斎主神(いわいぬしのかみ)、
斎之大人(いはひのうし)。

香取神宮の主祭神はフツヌシ(経津主)として
知られる。その出自について、『日本書紀』
(720年)では異伝として
イザナギ(伊弉諾尊)がカグツチ(軻遇突智)を
斬った際、剣から滴る血が固まってできた岩群が
フツヌシの祖であるとしている。

カグツチの血が岩群を染めイワサク・ネサク
(磐裂神・根裂神)が生まれ、その御子の
イワツツノオ・イワツツノメ(磐筒男神・磐筒女神)
がフツヌシを生んだとしている。

その後『日本書紀』正伝では天孫降臨に先立つ
葦原中国平定においてタケミカヅチ(鹿島神宮祭神)
とともに出雲へ派遣され、大己貴命と国譲りの
交渉を行なったという。なお、『古事記』では
フツヌシは登場しない。

フツヌシと香取の関係については、『日本書紀』
に「斎主神云々、此神今在于東国檝取之地也」
とあり、「檝取(楫取、かとり) = 香取」に
祀られることが記されている。

祭神の性格としては、フツヌシが国土平定に
活躍したという書紀の説話から、武神・軍神と
見なされている。名称の「フツ」についても、
記紀に見える神剣「フツノミタマ(布都御魂」
の名と同様、刀剣の鋭い様を表した言葉である
といわれる


社伝では、初代神武天皇18年の創建と伝える。
黎明期に関しては明らかでないが、古くは
『常陸国風土記』(8世紀初頭成立)にすでに
「香取神子之社」として分祠の記載が見え、
それ以前の鎮座は確実とされる

また、古代に香取神宮は鹿島神宮とともに
大和朝廷による東国支配の拠点として機能した
とされるため、朝廷が拠点として両社を祀った
のが創祀と見る説がある


春日大社(奈良県奈良市)
藤原氏の氏社。その創建に際して経津主神は
香取から春日へ勧請され、その第二殿に祀られた。

奈良時代、香取社は藤原氏から氏神として
鹿島社とともに強く崇敬された。神護景雲2年
(768年)には奈良御蓋山の地に藤原氏の
氏社として春日社(現・春日大社)が創建された
といい[注 3]、鹿島から武甕槌命(第一殿)、
香取から経津主命(第二殿)、枚岡から
天児屋根命(第三殿)と比売神(第四殿)が
勧請された

その後も藤原氏との関係は深く、
宝亀8年(777年)藤原良継の病の際には
「氏神」として正四位上の神階に叙されている。

延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳には
下総国香取郡に「香取神宮 名神大 月次新嘗」と
記載されており、式内社(名神大社)に列し、
月次祭・新嘗祭では幣帛に預かっていた。

なお、同帳で当時「神宮」の称号で記されたのは、
伊勢神宮・鹿島神宮・香取神宮の3社のみであった。
また下総国では一宮に位置づけられ、
下総国内からも崇敬されたという

中世、武家の世となってからも武神として神威は
維持されており、源頼朝、足利尊氏の寄進に
見られるように武将からも信仰された

一方で、千葉氏を始めとする武家による
神領侵犯も度々行われていた
また、この時期には常陸・下総両国の海夫
(漁業従事者)・関を支配し、香取海を
掌握して多くの収入を得ていた

千葉氏の滅亡後、代わって関東に入った
徳川家康の下、天正19年(1591年)に
1,000石が朱印地として与えられた

その後開かれた江戸幕府からも崇敬を受け、
慶長12年(1607年)に大造営、元禄13年
(1700年)に再度造営が行われた

現在の本殿・楼門・旧拝殿(現・祈祷殿)は、
この元禄期の造営によるものである

明治4年(1871年)5月14日、近代社格制度に
おいて官幣大社に列し、昭和17年(1942年)
に勅祭社に定められた。戦後は神社本庁の
別表神社に列している。

■香取神宮の『三本杉』
この杉は、源頼義の祈願によって三又に分かれた
という伝説
三本杉は、拝殿左手にあり、強力なパワーを放って
います。

大杉で、真中の杉は空洞になっています。
空洞の手前の立ち、頭を少し空洞に入れると
パワーを頂けます。
中央の杉だけでなく、左右の二本も、
根元に立つとパワーが半端なく
入ってきました。杉には触れないように~

今日のランチ紹介は
参道のお蕎麦屋さんです

道の駅 こうざきもオススメです。
三社の御朱印がそろいました。