鹿島神宮から、車で20分くらい南下した
地にあります。以外と近くでした。

息栖神社近くの車で行ける範囲は、
ラーメン屋さんや蕎麦屋さん、うなぎ屋さんなども
あるので、参拝時間によってはこちら近隣で
ランチもよいかもしれません

■息栖神社(いきすじんじゃ)は、茨城県神栖市
息栖にある神社。国史見在社で、旧社格は県社。



茨城県鹿嶋市の鹿島神宮、千葉県香取市の
香取神宮とともに東国三社の一社である。

主祭神
久那戸神 (くなどのかみ、岐神)
社伝では、鹿島神・香取神による葦原中国平定に
おいて、東国への先導にあたった神という。


天鳥船命 (あめのとりふねのみこと)
『古事記』では、建御雷神の副神として
葦原中国平定に赴いたと記される。

住吉三神 (すみよしさんしん)
上筒男神、中筒男神、底筒男神の3柱の総称。
なお江戸時代の文書では、主神を気吹戸主神と
する説もある


創建
社伝では、第15代応神天皇の代に日川の地
(にっかわ:現・神栖市日川)に創建された
という

その後大同2年(807年)4月13日、藤原内麻呂に
よって現在地に移転したと伝える

当社の名称について『日本三代実録』では
「於岐都説神」と記される。


また元亨元年(1321年)の古文書で「おきすの
やしろ」と記されるように、当社は「おきす」と
呼ばれていた

この「おきつせ・おきす = 沖洲」という古称から、
香取海に浮かぶ沖洲に祀られた神である
と考えられている

祭神が久那戸神(岐神)・天鳥船命であること
からも水上交通の神であることが示唆され
鹿島・香取同様に東国開発の一拠点であった
という見方もある

国史では、『日本三代実録』において仁和元年
(885年)に「於岐都説神」が正六位上から
従五位下に叙されたという記事が見える。

この「於岐都説神」は当社を指すものとされるが
『延喜式神名帳』には記載がないため、いわゆる
国史見在社にあたる。

当社は古くから香取神宮・鹿島神宮と並んで
「東国三社」と称されたといわれる。

ただし地理的な関係から鹿島神宮の影響が強く、
当社は同宮の摂社とみなされていた。

鎌倉時代の『鹿島社例伝記』や室町時代の
『鹿島宮年中行事』から、鹿島神宮と当社の
密接な関係性が指摘される
また当社は朝廷からの崇敬を受け、元寇の際にも
国家安泰を祈願するために勅使が派遣された
という。

江戸時代には徳川家の崇敬が篤く、慶長9年
(1604年)に鹿島神宮領から14石が給された

またこの時代には、「下三宮参り」と称して
関東以北の人々が伊勢神宮参拝に東国三社を
巡拝する慣習があったという

参拝客が利用する息栖の河岸は利根川水運の
拠点として江戸時代から大正時代まで栄えたという。

明治維新直後の明治元年(1868年)と明治4年
(1871年)には当社に勅使が派遣された。

明治10年(1877年)、独立した神社として
近代社格制度において県社に列した

祭事
元旦祭 (1月1日)
白馬祭 (1月7日)
節分祭 (2月節分)
祈年祭 (3月6日)
例大祭 (4月13日)
境内社祭 (5月3日)
大祓(みそぎ祭) (6月30日)
風祭 (8月27日)
秋祭 (11月23日)
献穀祭 (12月3日)
大祓 (12月31日)


神猫ちゃんがいっぱいいました❗