5月連休中は、ビックリするほど
神社参拝を進めていました。

倭文神社は、お隣に倭文公園という
近代的な公園がオープンしてます

駐車場は近くの公民館に止めさせ頂きました
公民館も新築です。

■倭文神社(しどりじんじゃ)は、群馬県伊勢崎市
東上之宮町にある神社。式内社、上野国九宮。
旧社格は郷社。
利根川左岸に鎮座しており、右岸に鎮座する
火雷神社(上野国八宮、下之宮)に対して
「上之宮(かみのみや)」と称される

創建
社伝では第11代垂仁天皇3年の創建

「しどり」とは「しずおり」の略で、
天羽槌雄命は平絹を織る部民・倭文部
(しどりべ)の氏神である。

これより、倭文部が当地に移住して天羽槌雄命を
祀ったとする説がある


鎮座地の地名「上之宮」は当社に由来するとされ、
利根川を挟んで「下之宮」の火雷神社と対峙するが、
中世の利根川変流まで両社は地続きであった。

概国史の初見は、『日本三代実録』貞観元年(859年)「正六位上委文神」を官社に列し、同年に神階は
従五位下に昇叙された

『延喜式』神名帳では上野国那波郡に「倭文神社」
と記載され、式内社に列している。
長元3年(1030年)の『上野国交替実録帳』には
「正三位委文明神社」と記されるとともに
「向殿壱宇、間垣壱廻、鳥居壱基」と記載がある。

また『上野国神名帳』では、総社本では
鎮守10社の9番目、一宮本では鎮守12社の11番目に
「従一位倭文大明神」と記載されている
主祭神
天羽槌雄命 (あめのはづちおのみこと)
「倭文神(しどりのかみ)」ともいわれる、
機織・養蚕の神。

南北朝時代成立の『神道集』では
当社は上野国の九宮であったと見られている

また同集によると、当社の本地仏は如意輪観音で
あった

当社には祀官に真下氏がいたが、戦国時代の兵火で
社殿は焼失、社家も離散したという

その後江戸時代に入り、寛永年間(1624年)に
慈眼寺が別当となり、慶安元年(1648年)に
朱印地10石が与えられた
明治維新後、近代社格制度において郷社に列した
また、大正14年(1925年)に神饌幣帛料供進神社に
指定された

祭事
歳旦祭 (1月1日)
田遊祭 (1月14日)
祈念祭 (2月18日)
服飾初祭・例大祭 (4月16日)
秋祭 (10月17日)
1月14日には田遊び(たあそび)として、
田植えの予祝祭事が行われる

祭事では、祭員はまず笹竹を振りご神歌を
唱えながら、鳥居と拝殿の間を3往復する。
この祭事では田植えの模擬所作こそ伴わない
ものの、そのご神歌は中世にまで遡るとされる

この祭事は「倭文神社の田遊び」として、市の重要無形民俗文化財に指定されている。

こちらの拝殿には、上野國の式内社の
偏額がありました。

今日のランチ紹介は