平成から令和への新元号に向けて
一年間、お世話になった仏さままで
お礼参りに行って来ました。
いつもは、赤坂見附まで行って
浅草まで戻ってくるルートなのですが
お昼過ぎの浅草寺は人がいっぱい…
ということで、今回は反対まわりです。
■浅草寺(せんそうじ)は、東京都台東区浅草に
ある東京都内最古の寺である。
山号は金龍山。本尊は聖観音菩薩(しょうかんのん
ぼさつ)。元は天台宗に属していたが第二次世界
大戦後独立し、聖観音宗の総本山となった。
沙竭羅龍王さんです。墨絵の龍さんも
夕方見る姿とチョッと違うような気がします
観音菩薩を本尊とすることから「浅草観音」
あるいは「浅草の観音様」と通称され、
広く親しまれている。
東京都内では、唯一の坂東三十三箇所観音霊場の
札所(13番)である。
江戸三十三箇所観音霊場の札所(1番)でもある。
淡島堂→影向堂→六角堂とまわって
弁天堂まで、一回りお参りして気分がスッキリ
しました。
10時開店の浅草 念珠堂さんでとある
巡礼用品をゲットしました。
■成田山 東京別院 深川不動堂(なりたさん
とうきょうべついん ふかがわふどうどう)は、
東京都江東区富岡にある真言宗智山派の寺院。
千葉県成田市にある成田山新勝寺の東京別院。
江戸時代のはじめ、歌舞伎役者の市川團十郎が
不動明王が登場する芝居を打ったこと
などにより、成田山の不動明王を拝観したい
という気運が江戸っ子たちのあいだで高まった。
これを受けて、元禄16年(1703年)、1回目の成田不動の「出開帳」が富岡八幡宮の別当・永代寺で
開かれた。これが深川不動堂の始まりである。
■豊川稲荷東京別院(とよかわいなり
とうきょうべついん)は、東京都港区元赤坂に
ある曹洞宗の寺院である。
豊川稲荷 妙厳寺(愛知県豊川市)の、
唯一の直轄別院(飛び地境内)である。
大岡越前守忠相が豊川稲荷から
吒枳尼天(だきにてん)を勧請し、屋敷稲荷と
して自邸で祀ったのが由来
大岡家では、三河時代より豊川稲荷を
信仰していたといい、越前守の時に、
江戸の下屋敷に吒枳尼天を勧請して
祀ったといわれる。その後、大岡家の下屋敷が
赤坂一ツ木に移転となり、豊川稲荷も引き続き
移転先の屋敷で祀られた。
江戸では稲荷信仰が盛んであったため、
大岡邸では毎月「午の日」と22日には門を開けて、
一般庶民の稲荷への参拝を許していた。
その後、文政11年(1828年)、信徒の要望により、
妙厳寺が一ツ木の大岡邸の敷地の内、
4分の1(約250坪)を借り受け、豊川稲荷の
江戸参詣所を建立したのが、東京別院の
創建とされる。江戸参詣所が設けられたこと
により、一般信徒も参拝が毎日できるようになり、
今までの大岡邸の屋敷稲荷は「奥の院」とされた。
今日のランチ紹介は、
豊川稲荷敷地内の家元屋さんです。
稲荷寿司が美味しかった。