東京に行く機会があったので
日枝神社まで行ってきました。
楽しかった。
次回は東京十社巡りの
御朱印帳を狙いたいと思います。
■日枝神社(ひえじんじゃ)は、東京都千代田区
永田町二丁目にある神社。
江戸三大祭の一つ、山王祭が行われる。
旧社格は准勅祭社(東京十社)、官幣大社
大山咋神(おほやまくひのかみ)を主祭神とし、
相殿に国常立神(くにのとこたちのかみ)、
伊弉冉神(いざなみのかみ)、
足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)を祀る。
太田道灌が江戸城築城にあたり、川越の
無量寿寺(現在の喜多院・中院)の鎮守である
川越日枝神社を勧請したのに始まるという。
徳川家康が江戸に移封されたとき、城内の紅葉山に遷座し、江戸城の鎮守とした
慶長9年(1604年)からの徳川秀忠による
江戸城改築の際、社地を江戸城外の麹町隼町に
遷座し、庶民が参拝できるようになった。
明暦3年(1657年)、明暦の大火により社殿を焼失
万治2年(1659年)、将軍家綱が赤坂の
松平忠房の邸地を社地にあて、現在地に遷座した。
この地は江戸城から見て裏鬼門に位置する。
明治元年(1868年)11月の東京奠都の際に
准勅祭社に指定された。
明治3年(1871年)に神祇官直下から
東京府管轄に移され、明治5年(1873年)の
官国幣社の選定時にも漏れ、そのまま東京府の
府社となった。
1881年(明治14年)に、氷川神社宮司で
日枝神社の祠官を兼ねていた平山省斎が、
皇城鎮護の神社が府社であっていいはずがないので、
官幣大社にしてほしいと願い出た。
東京府・内務省の賛成を得て1882年(明治15年)1月9日に官幣中社になった。大正元年(1912年)には
官幣大社に昇格した。
昭和20年(1945年)の東京大空襲で社殿が焼失、
昭和33年(1958年)に再建された
■東京十社(とうきょうじっしゃ)は、
元准勅祭社12社の内から、1975年(昭和50年)に
定められた東京近郊の10の神社のことである。
概明治維新が成り東京に奠都した明治天皇は、
1868年(明治元年)10月17日、氷川神社の
例大祭を新たに勅祭に定めた。
それに続いて、それまでの畿内二十二社などの
勅祭社に併せて東京近郊の主だった神社を
准勅祭社と定めて東京の鎮護と万民の安泰を
祈る神社とした。
当初は12社(六所宮・鷲宮神社を加えて)であった。
六所宮(東京都府中市) -- 現名称「大國魂神社」、
武蔵国総社
1975年(昭和50年)、昭和天皇即位50年を
奉祝して関係神社が協議を行い、准勅祭社から
遠隔の府中町六所宮と埼玉県久喜市の鷲宮神社を
外し、23区内の10社を巡る「東京十社巡り」が
企画され、七福神巡りなどとともに
現在に至っている。
■東京十社一覧
根津神社 須佐之男命、大山咋命、文京区根津
芝大神宮 天照大神、豊受大神 港区芝大門
神田神社 大己貴命、平将門命 千代田区外神田
日枝神社 大山咋神、官幣大社 千代田区永田町
亀戸天神社 天満大神(菅原道真) 江東区亀戸
白山神社 菊理姫命、伊弉諾命、文京区白山
品川神社 天比理乃咩命、品川区北品川
富岡八幡宮 八幡神(応神天皇) 江東区富岡
王子神社 伊弉諾命、伊弉冉命、北区王子本町
赤坂氷川神社 素盞嗚尊、奇稲田姫命、港区赤坂