日光二荒山神社中宮祠の帰りは
二荒山神社 本社に向かいます
ご神水をくみにいきます
関東平野北部、日光連山の日光三山を
神体山として祀る神社です。
今回の参拝で、日光三社というのが
あることを知りました。次回は日光三社参りを
してみようと思います。
■日光二荒山神社 日光三社(栃木県日光市山内)
・本社 - 日光の社寺最奥に鎮座。
・別宮 本宮神社 - 日光の社寺入口、女峰山登山口入口。
・別宮 滝尾神社 - 女峰山登山口入口奥。
今回は本社のみ参拝し、ご神水を頂きに行きました
家ではコーヒーに使います。
それぞれに神をあてて祀っている。
日光連山を境内地とし、
面積は3,400haにも及び、その神域には
華厳滝やいろは坂も含まれる。
二荒山神社は古来より修験道の霊場として
崇敬されてきました。
江戸時代になり幕府によって日光東照宮等が
造営されると二荒山神社も重要視され、
現在の社殿が造営された。また、国宝指定の
刀剣等の重要文化財を現在に伝えている
諸説あります。霊場としての日光の始まりは、
下野国の僧・勝道上人(735年-817年)が
北部山岳地に修行場を求め、大谷川北岸に
天平神護2年(766年)に紫雲立寺
(現在の四本龍寺の前身)を建てたことに始まる。
そして二荒山神社の創建は、上人が神護景雲
元年(767年)二荒山(男体山)の神を祭る祠を
建てたことに始まるとされる。
この祠は現在の別宮となっている本宮神社にあたる。
上人は延暦元年(782年)二荒山登頂に成功し、
そこに奥宮を建てて二荒修験の基礎を築いた。
その後、神仏習合の霊場として栄えることと
なった空海が訪れた際、女峰山の神を祀る
滝尾神社を建てたと伝えられている。
また、円仁さんも日光を訪れ、
その際に現在輪王寺の本堂となっている
三仏堂を建てた。
この時に日光は天台宗となった
その後、二荒山の神を本宮神社から少し離れた
地に移して社殿を建て、本宮神社には新たに
御子神である太郎山の神を祀った。
このとき新たに建てた現在の本社、元の本宮神社、
そして滝尾神社は総称して「日光三社」と呼ばれる
江戸時代初め、徳川家康の側近で日光山貫主と
なっていた天台宗の僧天海(慈眼大師)により、
徳川家康を祀る東照社(日光東照宮)が
江戸幕府によって創建されると、二荒山神社もまた、
江戸幕府のみならず朝廷や諸大名、
さらに民衆からも厚い崇敬を受けた。
本殿が再建された江戸時代までは、
神領約70郷という広大な社地を有していた。
今日でも日光三山を含む日光連山8峰(男体山・
女峰山・太郎山・奥白根山・前白根山・
大真名子山・小真名子山・赤薙山)や
華厳滝、いろは坂などを境内に含み、
その広さは3,400haという、伊勢神宮に次ぐ
面積を有している。
神苑内にある正応5年(1292年)銘の
銅灯籠(国の重要文化財)は、
「化灯籠(ばけどうろう)」と通称される。
火を灯すと怪しげな姿に化けたといわれ、
武士が刀で斬りつけた傷が無数に残されている
主祭神は次の3柱。それぞれ日光三山の一山にあてられている。3神は「二荒山大神」と総称される。