今宮神社に続いて、秩父神社まで
行って来ました。
今宮神社の水分祭(みくまりさい)には
秩父神社までの行列があるそうです。

今宮神社の水分祭で秩父の祭りが始まり
秩父神社の夜祭りで1年を終える
今回の巡礼で学ぶことができました。

■秩父神社(埼玉県秩父市番場町1-3)
秩父神社(ちちぶじんじゃ)は、
埼玉県秩父市にある神社。
式内社、武蔵国の四ノ宮です。

秩父地方の総鎮守で
三峯神社・宝登山神社とともに秩父三社の一社。
12月の例祭「秩父夜祭」で知られる

荒川の河岸段丘上に広がる秩父市街地の
中心部に鎮座している。崇神天皇の時代、
知知夫彦命(ちちぶひこ の みこと)が、
祖神の八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)
を祀ったことに始まる。

武州六大明神に四宮として数えられ、
武蔵総社六宮の大國魂神社(東京都府中市)
にも祀られている。

中世には妙見信仰と習合し、「秩父大宮妙見宮」
として栄えた。

江戸時代に徳川家康の命により
現在の社殿が建てられ、社殿には左甚五郎作と
伝えられる「子宝・子育ての虎」や
「つなぎの龍」など、さまざまな彫刻が施された


祭神
八意思兼命 (やごころおもいかねのみこと)
知知夫彦命 (ちちぶひこのみこと)
天之御中主神 (あめのみなかぬしのかみ) 
秩父宮雍仁親王 - 昭和天皇の弟。昭和28年に合祀
天之御中主神は明治の神仏分離のときに
改められたもので、それ以前の神仏習合時代には
妙見菩薩であった。

江戸時代までは「秩父大宮妙見宮」と呼ばれていた。
知知夫彦命は
崇神天皇(第10代天皇)の時代に
初代知々夫国造に任命された。

知知夫彦命の祖先は八意思兼命と考えられ、
秩父神社ではこれをもって神社の創建としている。
さらに知知夫彦命の
九世子孫である知知夫狭手男が知知夫彦を
合わせてたといわれる。
地域名の「秩父」の名を冠するが、
「知知夫」から「秩父」に変わった時期は
明らかではない

古代から近世では
律令制度の崩壊により、秩父神社を支えてきた
豪族の力が弱まるにつれ、当社も次第に
衰微していったものと思われる。
これに代わって登場するのが妙見社である。
社記によれば、
神仏分離まで「妙見宮」として栄え、
延喜式に記載の本来の「秩父神社」の名称より
「秩父大宮妙見宮」の名称の方が有名となった。

江戸時代の絵図では、境内の中央に妙見社があり、
その社殿を取り囲むように天照大神宮・
豊受大神宮・神宮司社(知知夫彦と記す絵図もある)
・日御碕神社の4祠が配されていた。

今日のランチ紹介は