今日はいろいろ迷ったあげくに
貫前神社に行って来ました
行ってみると家光さんらしい神社でした
上野国の式内社一ノ宮です

■貫前神社(ぬきさきじんじゃ、群馬県富岡市一ノ宮)
式内社(名神大社)、上野国一宮。


群馬県南西部、鏑川左岸の河岸段丘上に鎮座する。
当社は物部氏が祖神を祀ったことに始まり、
古代には朝廷から、中世以降は武家からも
崇敬された。

境内は正面参道からいったん石段を上がり、
総門を潜ったところから石段を下ると社殿がある、
いわゆる「下り宮」と呼ばれる配置となっている。
社殿は江戸時代に第3代将軍徳川家光・第5代綱吉に
より整えられ、本殿・拝殿・楼門等が
重要文化財に指定されている。


祭神は以下の2柱。

経津主神 (ふつぬしのかみ)
葦原中国(日本)平定に功績があったとされる神
姫大神 (ひめおおかみ)祭神の名前は不詳。

創建
社伝によると、創建は安閑天皇元年(534年頃)
鷺宮(安中市の咲前神社)に物部姓磯部氏が
氏神である経津主神を祀り、社を定めた

概史
延長5年(927年)には『延喜式神名帳』に
貫前神社が名神大に列格されている。

当社は源頼義・義家父子を始めとする武家の
崇敬を集め、室町時代末期に越後上杉・
相模後北条・甲斐武田の各氏に支配された際も
庇護を受けた。

江戸時代には徳川家の庇護を受け、
現在の社殿が整えられた。
江戸当時は「抜鉾神社」が一般名称であった。
明治4年(1871年)に近代社格制度において
国幣中社に指定され、延喜式での表記に倣い
「貫前神社」と改称した。戦後は神社本庁が
包括する別表神社となっている

ツクヨミ社の岡ノ上に呼び止められ
行ってみると二十二末社の広場に出ました
人払いになったので、祝詞を奏上…
この地に呼ばれたと確信しました


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