今日、母に頼まれた本をネットで注文した。「いのちの贈り物」という本で特発性間質性肺炎と戦う家族の記録が書かれているらしい。普段、一切本を読まない私もこれはちょっと読んでみたい。

母は言った。この本のことは新聞載っていた広告を見て知ったらしいが、いつもなら全く見ないところ(欄)に書かれていたものなのに、今日たまたま気づいた!と。ちょっと興奮気味だった。きっと「虫の知らせ」だと。なんか違う気がするけど、本人はそれで納得しているからいいか。


やっぱり今でも考えてしまう。「あの日、無理にでも病院に連れて行っていればもしかしたら、今まだ生きているかもしれない。それも、自宅で、それまでとさほど変わらない状態で生きているかもしれない」と。父自身も家族も納得の上でのことだったから今さらどうということはないのだが、「もしあの時、もう一度人工呼吸器をつけていれば、話はできなくても意思表示くらいできる状態の父がまだ生きていたかもしれない」とか。まあ、後者の方はあり得ないことではあるけど。あの状態では呼吸器をつけても1週間はもたないと医師から言われていたから。

でも、父は間質性肺炎と診断されて3年半でその病気との闘いを終えたが、充実した3年半だったと思う。在宅酸素を始めるまでは大好きなゴルフにも数回行ったし、何度も温泉旅行に行ったりしたし、孫ともたくさん遊んだ。ドライブにも外食にも、バーベキューにもピレスパの副作用がなかったから、日焼け止めにUVカットグッズに身をまとって本当にいろいろ出かけた。最期の最後まで父らしい姿のまま生涯を終えた。今でもしっかり覚えている。すごく穏やかな、本当に寝ているような顔で棺に入っていたことを。安らかに眠って欲しい。



なかなか慣れないものだなぁ。父の死後もう1ヶ月以上経ったのに。

最近では、人の死について考えるようになった。死ぬというのはどういうことなのだろう?死んだらどうなるんだろう?考えてもわからないけど、考えてしまう。そして、そんなことを考えていると父のことを思い出し、あの時はどう思っていたのだろう?どの段階で意識がなくなったのだろう?どこまで、こちらの声が聞こえていたのだろう?そんなことばかり考えてしまう。

後悔するようなことはあまりないが、父と同年代の人たちがテレビなどに出ていると「あの人はまだあんなに元気なのに...」と思ってしまう。せめてあと5年、元気に生きていてくれたら、とよく思うが、今さらどうにもならないし、あの時点でどうしようもなかったのだ。

納骨はまだなので、実家に帰れば大きな花と父のお骨、お葬式のなごりというか、そういうものが目につくが、四十九日が過ぎ納骨が終わってしまうと、父が生きていた頃からある仏壇と父の写真だけになってしまう。母は掃除好きで、いらないものはさっさと捨ててしまうから、恐らく本当にいろいろなものがなくなってしまうんだろうな。でも、そんな母の性格を知っている父はきっといつもどおり黙って見ているんだろうな。


でも、時々「誰かどうにかして、父を戻して欲しい!」と思ってしまう…

父が亡くなって、今日でちょうど1ヶ月。あっという間だったけど、でもなんだかもうずっと前のことのようにも思える。そのくらい、いろいろあったからかな。


娘は今6歳。まだ幼稚園児で、この4月から1年生になる。父にも入学式の様子を見てもらいたかったが、救急で運ばれる前々日にたまたまうちでランドセルを背負ったところを見せたから、その様子は父もちゃんと見てくれていて、それだけでも良かったなと思える。

いったい、娘はじいちゃんの死をどのようにとらえているのだろうか?!ほぼ毎日お線香をあげ手を合わせている。時々じいちゃんの話をしたり(あの時こうだった、とか、こう言ってたよ、とか)時には自分のイチゴをじいちゃんにもあげると言ってお供えしたりしているが、実家に行くと一人でトイレに行けなくなったり(父が生きているときは行っていたのに)暗い部屋を怖がったりするようになってしまった。理由を聞くと「じいちゃんのことは好きだし、死んじゃってもういないってのはわかってるけど、突然どっかから出てくるような気がして、だから怖いの」と言う。確かに、とても安らかな表情で、眠っているかのように棺に入っていたし、私もその様子を見て娘に「ふざけてかくれんぼしてるみたいだね。かくれたまま寝ちゃったみたいだね。大きい声で呼べば目を開けそうだね」と言ったから、それが頭に残っていて、そのせいで怖くなってしまっているのかな、とも思う。

今日はついに自宅でも「廊下が怖い」と言うようになってしまった。うちはマンションで、廊下を挟んで左右に部屋やトイレなどがあり、リビングのドアをあければそれらが見えるから特別見えない部屋は存在しないのに、ナゼなんだろう?!まあ、もっともそういう年頃なのかもしれないけど。娘のお友達は娘よりだいぶ前から暗いのが怖いと騒いでいるし、私自身も小さい頃は家の中でも怖いと思うことが何度もあったから、ごく普通のことなのかもしれないが...私だっていまだに一人で家にいると怖いと思う時もあるし(笑)


頻繁にじーちゃんと一緒に留守番したり、遊んだりゲームしたり字を教えてもらったりしていたから、いなくなってしまった今をどのように受け止めているのだろうか?と思う。