久しぶりにぐっすり眠れた!
少なくとも半年は昨夜のような眠りは体験できなかった。
本当にありがたい時間が訪れた。。。

先月の末には、眠りに落ちそうになると別世界に連れて行かれそうな初めて味わう恐怖と闘っていました。
眠れないよりも、更に疲弊する辛い日々でした。
オカルト的に考えると、お彼岸?なんて思ってしまう夢も視たり、私の命もここまでなのかと感じる日々でした。
希死念慮はずっと続いていたけれど、いざ、朝、目が覚めない日が来ると思うと、解放感よりも恐怖心の方が強かった。
結婚したばかりの主人を遺してってことを考えたら、おかしくなりそうだった。
ヒトって、こういう風に発狂するのかなぁなどと感じる日々だった。

けれど、昨晩、長年慣れ親しんできた眠りを久しぶりに味わえた。

昨日は、久しぶりに遠出が出来たり、心地よい疲れも体験できた日だった。
これで、抜け出せるといいなぁ。

いい意味で、頭が暇な日でもあった。
体と心が主人公というか。。。

余計なことを考え過ぎたり、案じたりする習慣が当たり前になってしまっていたんだなぁと、ホントに実感してる昨日と今日です。
これも、ひとりで暮らしてたら気づかなかった感情です。

信頼してる人の価値観に合わせて生きる。

こどもの頃には当たり前だったはずのことが、大人になったら出来なくなっていた。
良い体験をしている今、生きるスタイルを、本当の意味で切替てるんだなぁって思えるようになりました。
久しぶりに連投しますが、調子が良くなった訳ではありません。
一つ前の記事はコツコツと書きためていたもの。
その内容を誤解されかねない事件が起きてしまった。

私の考える安楽死は日本の医療用語で使われている安楽死とほぼ同意です。

事件の被害に遭われた方々に希死念慮という症状から逃れたいと長年念じておられた方はいるのだろうか?

一方的な殺人に安楽死という言葉が使われている印象を受けています。


この国の安楽死の法整備だけでなく、実際に医療現場で関わる方々への課題が複雑化してしまったように感じています。

私も人権という言葉や概念、法的威力を中途半端に感じている障害者の一人です。

けれど、障害者とひと括りにされては困る。
どこにどんな障害を持ち生きているか。
本当に様々な障害がある。
けれど、4年も関わっていた人が使ってしまった言葉が今もテレビなどマスコミで拡散されている。

どうか、心ない差別と闘ってきた方々の傷口を広げないで欲しいと思っています。

この件をきっかけに、理解を深めてくれる方が増えることを願います。


希死念慮が追いかけてくる。

安定剤などで懸命に逃げている。


希死念慮という言葉を知った時は驚いた。
なんだ、それなら小学生からだよ。あの感情が希死念慮だったのか。と。
30代だった。
精神科に通いはじめて、しばらく経った時に医師から確認されたのがきっかけだった。

自殺願望はありますか?

との問に、
積極的に死のうとは思わないけど、死んでしまえば楽なのに、とか、なんで人間に生まれてきてしまったのかっていうのは、結構昔から。
と答えた。

自分以外の人間に、この思いを話したのは初めてだった。

中学生の頃、リスカをしていた同級生もいたけど、彼女とは発想が違い過ぎて、希死念慮から自殺企図の一連の中に一緒にカテゴライズされているとは思いもしなかった。離人感の長さの違いからくる感覚の違いなのだろうか?

おそらく、これからも私は未遂はしないと思う。自傷行為に安心感を求める気持ちがわからない。
そのうち解る日が来るのだろうか?

最近、単独犯が複数の方々を殺傷する事件が多いと思う。
政治的な思想なのか、一つ前の記事にも書いた、誰かを巻込んでしまったのか、海外だと尚わからない。
国内で起きる事故や殺人の被害に遭われてる方々も、海外の方々も、元気で健康で、夢や目標を目指し活躍されていた等と報道を見ると、いたたまれなくなる。

希死念慮というキーワードで検索すると、同じように、この襲ってくる症状から必死に逃げている方々がいる。

症状が治まれば元気に活動出来る体験もしてきたけど、年齢が上がり、病み期が増えるにつれ、病んでる期間が長くなってきている。そして、希死念慮の範疇を超えてくる強さや勢いに怯る。

一つ前の記事にも書いたけど、症状なのに病死扱いされず、親しい人達に心苦しい思いをさせてしまう病。
病気に理解のある人に囲まれて居ればいるほど辛いという、幸せともいえる悩みを抱える。


一方で、突然巻込まれ、活き活きと暮らしていた方が事故死や他殺扱いになり、広く報道されてしまう。
そっとしておいて欲しいと思うご遺族もおられると思うのですが。。。

そんな不条理を感じます。