自殺という言葉が幅を利かせ過ぎていると感じるのは私だけでしょうか?
強い言葉に感じてしまうのも私だけでしょうか?
歴史上の人物の場合、自害とか、自刃等の表現も見かけてきました。
心中という表現は今もたまに。
何年か前ですが、ロビン・ウィリアムさんが亡くなられた時、
うつ病による自殺は「自殺」ではなく「病死」だ
と、書いておられるライターさんの記事を読み、ずっと心に残っていました。
一つ前の記事でも書きましたが、他の科の病気では尊厳死とか安楽死という話題が出てもおかしくないぐらい長患いをしていても、他に新たに心疾患とか熱中症とか急性の病気にならない限り、病死を望む事が出来ない。そんな事を考えます。
ここ数年のニュースで、死刑になりたかったという動機の事件を耳にしますが、なぜ他人を巻き込むのか理解できなかった。
けれど最近、もし自殺をしたら、第一発見者の方の心を殺してしまうぐらいの衝撃を与えてしまうのかもしれない。などと思うと、その後の手続きとかいろいろ含めて、人が一人死ぬという事は、多くの人を巻込むものだと思うようになり、死刑を選ぶ人にも選ぶに至るまでの葛藤があったのか?などと考えた。
そして、自分もいつか再発を繰り返すうちに、そう考えてしまう日がくる可能性もあるのか?と怖くなる。
そうなった時のターゲットは誰でも良かったと耳にしてきました。
そんな事を考えられるうちは、まだまだ自分にけじめをつける必要は無いのかもしれないとも思う。
けれど、病死にも第一発見者はいるわけで。。。
うつ病の希死念慮からくる自殺は病死と思ってもらいたいのは、患者のワガママなのだろうか?
のこされた家族や友人が、止められなかったのか?と、悔やまずに、出来れば損傷少なく安らかに。。。なんて考えは、長患いしてるしてないは関係なく、人類の永遠のテーマのような気もします。
ただ、確実に自分が衰えていることは解っている。
そして、自己否定感が強いのが病状なのも解っている。
グチグチ書きました。
同病の方々、乗り越えて行かれてると思うと、まだまだ修行が足りないのかぁって自己評価がまた下ります。。。
強い言葉に感じてしまうのも私だけでしょうか?
歴史上の人物の場合、自害とか、自刃等の表現も見かけてきました。
心中という表現は今もたまに。
何年か前ですが、ロビン・ウィリアムさんが亡くなられた時、
うつ病による自殺は「自殺」ではなく「病死」だ
と、書いておられるライターさんの記事を読み、ずっと心に残っていました。
一つ前の記事でも書きましたが、他の科の病気では尊厳死とか安楽死という話題が出てもおかしくないぐらい長患いをしていても、他に新たに心疾患とか熱中症とか急性の病気にならない限り、病死を望む事が出来ない。そんな事を考えます。
ここ数年のニュースで、死刑になりたかったという動機の事件を耳にしますが、なぜ他人を巻き込むのか理解できなかった。
けれど最近、もし自殺をしたら、第一発見者の方の心を殺してしまうぐらいの衝撃を与えてしまうのかもしれない。などと思うと、その後の手続きとかいろいろ含めて、人が一人死ぬという事は、多くの人を巻込むものだと思うようになり、死刑を選ぶ人にも選ぶに至るまでの葛藤があったのか?などと考えた。
そして、自分もいつか再発を繰り返すうちに、そう考えてしまう日がくる可能性もあるのか?と怖くなる。
そうなった時のターゲットは誰でも良かったと耳にしてきました。
そんな事を考えられるうちは、まだまだ自分にけじめをつける必要は無いのかもしれないとも思う。
けれど、病死にも第一発見者はいるわけで。。。
うつ病の希死念慮からくる自殺は病死と思ってもらいたいのは、患者のワガママなのだろうか?
のこされた家族や友人が、止められなかったのか?と、悔やまずに、出来れば損傷少なく安らかに。。。なんて考えは、長患いしてるしてないは関係なく、人類の永遠のテーマのような気もします。
ただ、確実に自分が衰えていることは解っている。
そして、自己否定感が強いのが病状なのも解っている。
グチグチ書きました。
同病の方々、乗り越えて行かれてると思うと、まだまだ修行が足りないのかぁって自己評価がまた下ります。。。